壱岐タケチトのブログ旅行恋愛記

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第8章 終わりに~この旅記を書き終えて~

第8章 終わりに~この旅記を書き終えて~




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やっと書き終わった・・・・

本当に疲れた・・・

ここまできたらあとこの“あとがき”を書くだけとなった。


僕はスイスのこの本は80ポケットあるファイルを試用することにしていた。このファイルに全て埋め込むのは80枚×両面(2)で原稿にしたら160枚。写真を入れたとしても莫大な量になる。このスイス旅行を書こうと思ったきっかけはこの本の初めに詳しく述べている。

最も苦労したのは画像の取り入れと文の構成。画像の取り入れはスイスで実際に映した写真はCDからそのままこのワードに入れ込むだけだが,デジタルカメラで写した写真が本当に苦労した。少しでも良い写真にしたいため,写すたびに暗みが入ったり,ぶれたりして何度も取り直して本当に大変だった・・・そしてこの本の構成。僕は大きく分けて以下のように考えた。
 

1章 はじめに
2章 スイスに行こうと思ったきっかけ~出発までの準備
3章 3月15日
4章 3月16日(ユングフラウヨッホの絶景写真を大量に入れ込む*メインだから)
5章 3月17日
6章 3月18日~19日
7章 旅で買ったお土産など
8章 終わりに

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最初は何も考えず,どんどん写真を挿入したり,解説を入れていった。何しろ80ファイルで原稿にしたら,160枚にもなるのでどんどん入れていかないとこのファイルが埋まらないと思ったからだ。

しかし,最初,本当はスイスを半分,ネパール(この次に書こうと思っているエベレスト紀行)を半分ぐらいでこのファイル1冊で2カ国の旅紀行を作ろうと考えていた。そう考えていたのだがやはり,1冊のファイルに2カ国入れるのは不細工と思った・・何しろ1冊のファイルは1国で残すほうがタイトルもびしっとファイルに大きく書きこめるし,1冊のほうが見栄えがいい!それに保管するのも1冊の本になっていいと思った。

本当に書こうと思ったらどんどん書けてしまう・・・写真もかなり省いたぐらいだ。初めて,スイスの旅紀行を手にする読者の方もいらっしゃると思い,勉強した知識をもう一度ガイドブックや観光資料で確かめながら,アレンジして文章を作り,解説していったつもりだ。

最初は,大学時代のことや旅の経緯をもっと詳しく書きたかった。しかし大学時代のことを書き出したらそれだけでファイルが埋まりそうになると思い,省略した。そもそもスイス旅行のきっかけは図書館で見つけたスイスの本がきっかけだった。しかし,その本を見て“スイスへ本当に行きたい”と思うようになったのはなぜか?他にも世界の本はたくさんあるのになぜ僕はスイスを選んだのか?僕のこの価値観とは何だろうか?



【両親との登山の思い出】
僕が思うには両親との“登山”・・・これが無意識的に脳に焼きついていてこのような価値観をもったのだろうと思う・・・。 僕の両親は登山が好きで僕をよく山へ連れて行った。最初は嫌だった。どうしてしんどい思いをしてまで重い荷物を背負って何が楽しくて長時間歩かなければいけないのかと・・・最初は両親が「山へ行こう!」と誘われたら断っていた。

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しかし,何かのきっかけで一度,初めて山へ行った。(物心がつく前も何度か言ったのは覚えているがずっと背負ってもらったりしていた)小学校,中学校,高校は友人と遊んだり,野球をしたり,ピアノをしたりして,(日曜日もほとんど友達と遊んでいた)登山はそんなに行っていないと思う・・・大学に入ってから両親は休みが合えばよく呉市に遊びに来た。最も生活用品や食料,衣類交換や季節の調達,部屋の掃除などが主の目的でもあったが。僕が初めての一人生活が心配であったようだ。
 

大学の夏休み,冬休み,春休みは本当に長かった。夏休み2ヶ月以上,冬休み一ヶ月以上,春休み約2ヶ月くらいだったかな・・・土日祝は休みだったのでおそらく講義は年に半分もなかったと思う。休みは大学でいてもすることがないので僕は半分以上の日数を徳島に帰っていた。


【大学時代所属の体育会本部の思い出】
大学時代は体育会本部{旧応援団}に所属していた。いわゆる生徒会みたいなもので大学祭の実行,同じ体育会本部の広島県各大学の学祭やコンサートや講演会のイベントへの接待や参加,年に一度の野呂山の“サマーキャンプ”は我が体育会本部の最大のイベントだった。広島県の大学の同じ体育会本部などの学生約200人が呉の野呂山にキャンプに来るのだ。もちろん主催はすべてこちらでする。

トラックを借りて何十ものテントを前々日から運び,朝早くから夜遅くまで運ぶ,キャンプ中の食料「各班をランダムに作り,班ごとでカレーを作ったりする」の買出し,電気モーターの設置,“サマキャン”と僕らは呼んでいたが,準備には約1年はかかる。なぜか僕は4年生最後の年は“サマーキャンプ実行委員長”とういう肩書きになり,サマキャンでは“レクレーション”担当となった。

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サマキャンでは200人もの参加者が2泊3日間,野呂山でキャンプをする。正確には1日目の昼過ぎに参加者はバスで野呂山へ,それから班分けをして班で馴染み,レクレーションスタート(全員参加のクイズ,徒競走,イントロ,などなど),夕食準備,夕食後自由行動,2日目朝食準備,朝食,レクレーション,昼食準備,昼食,レクレーション,夕食準備,“最終日はキャンプファイヤーのため夕食準備兼ファイヤーの準備”,夕食,キャンプファイヤーにて各大学の出し物“女子大学は歌やダンス,男子大学は劇や漫才が中心”,その後ユーロビートのダンスパーティーでオールナイト,最終日は朝食の後,各班で記念写真の撮影,色紙交換,昼頃に閉会式と,こういう流れだ。この通り“レクレーション”というのはサマキャンのレジャー面においては最も重要なものであり僕の担当は“レクレーション”の全てだ。

2年生からレク見習いになり3年生がレク中心者,4年生がレク総責任者となる。1年生は雑用であり何もかも手伝う。他にも施設「サマキャンに必要なトラックやテントの数点検や道具,各業者との取引など最も重要で責任のある役。基本は会長が兼ねる*僕のときは友人M氏のM会長」)食料,警備,召集,会計,など様々にあったが僕はレクになった。1年生のその人の適正を見て4年生ら先輩が役を2年生から決める。一度2年生で役がつけば基本的にその役は3年間同じだ。僕は2年生から4年生までレクを担当した。

レクというものは“司会,クイズの作成,クイズなどに使う道具の作成,イントロのテープ作成,クイズをするにあたり,2年生と3年生のレクに適切な指示出し,この2人が1年生にまた指示する”,ダンスパーティーのCD作成とダンスをすべて覚える“これが一番苦労したかな?一人でビデオ見ながら覚えた。何しろ一人でも踊れる見本がなかったらキャンプの参加者は誰も踊れない・・・プレッシャーが詰まっていた。と,まあこのようなのが体育会本部。他にも大学祭では警備をしたり,お客様にお出しするなべを作ったりする・・・こんな感じが体育会本部!



【なぜ僕はスイスを選んだのか?~突然の父の病~】

その帰っていたある夏休み,両親に“石鎚山”に誘われて宿泊した。この山が大変きつかったのだが頂上に到達したときに凄く気持ちの良い達成感を得たのだった。それから徳島の山も何度か両親と登った。また広島では連休に両親が来てくれたときに“大山”にも登った。こういう経緯が僕に山を好きにさせたのだろう・・・・“なぜ,僕はスイスを選んだのか”自然が好き,アルプスに憧れていたから,ヨーロッパに行きたかったから,いろいろな理由があったが間違いなく“両親に登山に連れられたので山を好きになったから”という要因は大きかったと思う。当時図書館でスイスの山の本を見つけたときは漠然と行きたいと思い実行した。頭の中にこの要因があったのだろうと思う。

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その僕をよく山へ連れて行ってくれた父は57歳の若さでこの世を去った。退職してすぐに母とスイスの旅行に行ったときに黄疸が現れ,8日間旅行だが6日目で先に帰国した。それが“ガン”であった父の最初の症状だった。帰国して一カ月後に手術は無事に終わった。同時に“余命半年”ということを家族に伝えられた。 母は父に最後まで余命のことはふせていた。父は退職後,四国八十八ヶ所に一人,自転車で回るのが夢だった。

結局,回ることはできないまま,この世を去った。なぜ,両親はスイス旅行を選んだのか?“僕が笑顔で帰ってきてすばらしいすばらしいと行っていた山好きの父親がスイスに行きたい”と思ったから。母は“父の意見に同行したということ”だった。妻という女性は男性の夫とは一緒に旅行に行けるだけで幸せなんだと思った。



【夢であった憧れの旅行会社を目指して】
僕は現在旅行会社に勤めている。今年で8年目にもなる。毎日が勉強でまだまだ未熟者ではあるが,仕事内容に関しては満足している。「あれっ」と思われた読者の方もいらっしゃるだろう。そう,僕のこの旅行記ではスイス帰国後はI社で働くと述べていたからだ。僕は4月に入社式を迎え,I社の配属も決まり,I社で働く毎日を送った。僕の大学4年生時の2000年という年は“就職の氷河期”と呼ばれていた。

やりたい仕事をみつけるのもあったが,“就職を早く決める”というのをゼミの教授に教えられた・・・働くということは生きるということ・・・生きるということはすさまじいことであるとよく,教授はよくおっしゃっていたが・・・結婚もして子供のいる今の僕ならこの意味は理解できただろう・・・しかし,独身で子供もいない当時の僕は“自分の意思で100%I社に入社したのではなく就職を決めるためにI社に就職した”ということが入社して働いてから実感させられたのだった・・・僕は思った。(スイスに行くときのHさんのような人に夢を与える仕事,僕も旅行に関わる仕事をしたい!)

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でも,この僕に気持ちはI社の入社式終了後にはほぼなくなっていた(100%ではなかったが)当然,入社式で入社した会社の社長から辞令を手渡しで頂き,新しい先輩もでき,新しい同僚の仲間も出来れば,新しい新鮮な気持ちになるのが人間だ。旅行会社への気持ちは完全には消えてはいなかったが,

「頑張るぞ!僕はこの会社で一生働いて会社に骨を埋めるぞ!」

そう思っていた。4月の入ったときは・・・。あれから約2ヶ月,6月に入った僕は大阪の旅行専門学校の手続きを開始していた。僕の目指した大阪の旅行専門学校とは昼間に旅行会社でアルバイト生として働かせてくれる。(当然バイト代は頂ける)そして夕方から夜までにかけて旅行業の授業を習う。

卒業時には9割以上の生徒が“一般旅行業務務取扱任者”(現在の総合旅行業務取扱管理者)を所得していた。この資格は旅行業界必須の国家資格で旅行業界への就職活動においては大きなアピールポイントとなる。僕はこの学校に来年から行こうと思い,試験勉強(一応筆記試験と面接あり)と入学手続き(合格するものと思い入学への手続きの準備)を開始していた。(スイスに行くときのHさんのような人に夢を与える仕事,僕も旅行に関わる仕事をしたい!)という僕の大きな夢は入社式をおえても撲滅してはいなかったから・・・・両親や友人,周りの人は考えるように説得した。

当然I社は休暇,収入面でも特に不満はなく内定が決まったのは約80人受けて4人だった。せっかく地元に就職が決まったのになぜ,わざわざ就職が決まるかどうかもわからない2年後に向かって大阪の学校へ行くのか?この家はどうするのか?(僕は長男で姉はすでに大阪に嫁いでいる)
しかし,もう夢に向かって走り出した僕を誰にも止めることはできない。当時僕は“あゆ”(浜崎あゆみ)の曲をよくに聞いていた。このときの僕を支えてくれているかのようにあゆの曲は僕に勇気を与えてくれた。


当時僕が好きであった「あゆ」の一部分(歌名タイトルは略)


「輝きだした僕らを誰が止めることができるだろう,輝きだした彼らを誰に止める権利があったのだろう・・・」
「幸せの・・・・基準はいつも・・・・自分の物差しで・・・・見てきたから」
「あなたがもし旅立つその日がいつか来たら,そこから二人で始めよう・・・あなたのこと必要としている人はきっと・・・必ず一人はいるから・・・あなたが必要とする人ならいつもきっと・・・隣で笑っているから・・・」
「周りばかり・・・気にするのは・・・もう終わりにしよう・・・・」


 http://www.youtube.com/watch?v=FIXlhcF9CoA&feature=player_embedded





【大切に思う人≧夢】

ちょうど入社して3ヶ月頃。夢に向かって走り出した僕は一人の女性と出会う。僕は本当にその人を好きになった。そして社会人になって1年も経たない僕は交際後,始まりと同時にその人と将来の約束をした。大阪の旅行試験日の当日まで,何も気にせずにその人と会っていた。今まで勉強したこともその人との出会いですべて流してしまった。僕はI社で骨を埋めようと決意していた。“大切に思う人さえ側にいればそれだけで生きていける”ということがこの時,わかった。(ここではこの経緯については詳しく述べない)



【人生の夏休み】


I社に入社して1年と2ヶ月が経とうとする五月のゴールデンウィーク頃,僕は会社での仕事内容への思いへの限界に達した。同時期,前述した女性と終止符をうつ。(厳密にいえば終わってはいなかったがここではこの経緯については詳しく述べない)このことも仕事に影響がなかったとは言えない。僕は5月に直属の上司に入社して初めて“有給休暇の願い”を出した。体調を崩した僕はそのまま会社に行くことはなかった。

“うつ病”と診断された僕は約4ヶ月,病院に通いながら僕は将来の道を考えながら自宅で一人過ごした。(友人からの誘いもできるだけ断った)出口のない真っ暗な道をライトも持たずに歩いているような感じだった。母の友人で居酒屋を経営しているKさんから「今まで頑張り過ぎたから人生には休暇が必要だから今はゆっくり休みなさい。気が向いたらうちの掃除の手伝いに来て。バイト代は出すよ」僕は掃除手伝いにいったのがきっかけで,最後の2ヶ月は朝に牛乳配達,夜は飲食店でアルバイトを始めた。だんだん元気になっていた僕は体調も良くなり,I社に正式に退職願いを提出した。

秋が始まろうとする9月の頭のことだった。戻ってくるようにも言われたが僕の決意は変わらなかった。後悔もなかった。この5月から9月まで,フリーターであり,心身ともに休暇した4ヶ月はKさんに言われた。「人生の夏休みだったね」


【僕は再び夢に向かって走り出した~そして・・・旅行会社でのアルバイト決定!】

「今度こそ僕は夢に向かって・・・もう何も迷うことはないんだ・・・」

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大阪の旅行専門学校の試験手続きも完了した。もう迷わない!この道以外はない!そう決めた僕は入学までの間(当然試験は受かると考え)地元の旅行会社で学校へ入学するまでのアルバイトしようと決意した。採用はダメだろう,しかし,とにかく廻るだけ廻ろうと思った。当然何社回っても断られ,あきらめかけた最後,あと1社廻ろうと思い,現社長が当時常務だった今,僕が勤めている会社に飛び込みで入っていった。

「すみません,アルバイトに雇ってもらえないでしょうか?」

幸い忙しい時期であったこの会社(現在僕が勤めている会社)に常務が「ほう,旅行の専門学校に行って旅行会社で働きたいのか!」と,話が始まり,また採用するか決めて連絡すると言われた。期日に連絡がなく次の日に僕から連絡した。なんと・・・アルバイトで採用して頂いた。

平成14年の9月中句だった。こんなに嬉しいことはなかった。見ず知らずで赤の他人の僕をアルバイト採用してくれる会社が世の中あるなんて・・・僕は思った。(世の中は悪い人ばかりじゃない・・・こんな人たちも世の中にいる・・・だから人は生きていけるんだ)帰ったら両親は大喜びだった。特に父が・・・


「本当によかったな!よかった!頑張れよ!」


父はこの時から1年半後に亡くなった。



【旅行専門学校の入学取り消し~旅行会社への採用を】

父は本当に僕の将来を心配していた。二度と仕事につまずかないように,自分の好きな仕事に頑張っていけるように。そして,やはり長男である一人息子である僕に家の後を継いで欲しかったのだろう。平成15年の年明けの2月,大阪の旅行専門学校に合格が決まった僕に父は喜んでいる半面何やら悲しげにしていた。


「採用してもらった常務に正社員にして頂けるかどうか頼めないか?お父さん,お前がもし今の会社に正社員で働いてくれたら本当に嬉しいわ!徳島でいてくれたらこんなに嬉しいことはない・・・・会社も事情もあるだろうからむずかしいと思うが・・・お前をアルバイトででも採用してくれた会社だから・・・もし断られたら学校に行ったらいいじゃないか・・・後はお前が決めなさい・・・」

この一言が僕の運命を変えた。9月から2月まで仕事をしていく中で約半年間,僕も専門学校で“知識を身につけるよりは実践で身につけるほうがいい,国家資格は頑張れば働きながら勉強したら所得できる!”ということはわかってきた・・・しかし学校の合格も決まっていてさらに3月の学校に行くまでの間のアルバイト採用と常務らと約束していたためそんな図々しいことはとても言えない・・・しかし・・・

「ここで働きたい!」

その気持ちの方が僕の中で上回った。ダメもとでお願いしてみよう・・・ダメなら大阪に行って頑張ろう!そう決意した。


【自分の気持ちを常務へ伝える・・・】

その日,僕は常務に話があると伝え,お願いした。

「すみません!勝手を言いますが学校へは行きません!正社員で僕を採用して下さい!」と・・

当然,常務は驚いた。

「学校は決まったと前に言ったじゃないか?ご両親にもそう言っているのじゃないか?」

僕は正直に自分の気持ちで答えた。

「ここで働いているうちに知識だけを身につけるのではなく実践で学ぶのが一番の勉強ということがわかりました。どんな仕事でも,給料も文句は言いません!ここで働かせて下さい!」

「・・・また返事する・・・今日にどうこうは言えんわ・・・私一人でも決められないからな・・・」
とりあえず気持ちは伝えた。後は会社が決めるだろう・・・・

ダメなら大阪に行く!それでいいじゃないか!僕はやるだけのことはやったと満足していた。


【夢であった旅行会社で正社員として入社決定!~そして・・・父の死】

数日後,僕は常務(現社長)と営業部長(現常務)に呼ばれた。

「今まではアルバイトということで雑用仕事だけで甘くしてきたが正社員になるのなら男性は営業をしてもらうようになる。修学旅行や慰安旅行,ツアーの添乗はもちろん,営業で売上げのノルマも付く。コンピュータで予約もできるようにならないといけない。君にそんなこともできるか?」
僕は答えた。

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「やります!闘います!! 営業でも何でも旅行の仕事が出来るのなら何でもやります!勝負させてください!」

「ご両親や親戚の方にも旅行にはご協力してもらわないといけない。給料面も高くないということは自分や家族にも納得は頂けるか?」

「大丈夫です!精一杯頑張りますのでよろしくお願い致します!」

「わかった。君の気持ちは確認できたから試用期間3ヶ月つけるが採用しよう!」

「ありがとうございます!本当にありがとうございます!」


僕は現在の会社への就職が決まった。平成15年2月11日のことだった・・・帰って両親に報告した。父は本当に喜んだ。

「本当によかったな!本当によかったな!よかった!これから大変やけど常務を裏切らんように正念入れて頑張るんやぞ!お父さんもう今年で退職するからお前の会社で旅行に行って行ってするからな!営業もいっぱい知っている人に声をかけたるわ!本当によかった・・・」


父は,涙目で喜んだ。僕は今の会社で働くことは今まで心配をかけた父へのせめてもの恩返しと思った。それから約半年後,平成15年8月に退職,その翌月9月に母と二人で僕の手配でスイス・ドイツ8日間の旅行に行くことになった。それが父と母で二人きりの最期の旅行であった・・・

スイスの観光が終えたドイツの6日目で父の体に黄疸が現れ,緊急で帰国。病院で検査した結果,“ガン”であることが判明した。手術は成功。しかし同時に余命半年と告げられた。僕はこの日から父の代わりに四国八十八ヶ所巡りを車で一人,回った。(間,間で回ったので結局父が亡くなるまでにすべて回ることはできなかった)年も明けた3月にはは姉も帰って姉の子の孫も含めて祖谷温泉に家族旅行もした。これが本当に最後の家族旅行であった。

父が亡くなる前の特に印象的だった言葉(以下の2つ)

①「お父さんも四国八十八ヶ所を回りたかったなあ・・・退職もしたからこれからは田んぼも畑もいっぱい耕して米や野菜をたくさん作りたかったなあ・・・」決して余命を誰も告げていない・・・しかしこのような言葉が父から出たのだ。父はわかっていたのだろう・・・自分の余命が短いということを・・・

②「おい!おい!」父が亡くなる前日のことだった。まだ元気ではあったが突然が会社に出かけようとする僕を父が側に来るように招いた。

「頑張れよ!仕事頑張れよ!」

と強く手を握った。いつもの朝と違った。僕が行く頃は何もなく横になっているのだが・・・その日は,僕の手を握ってきたのだった・・・その日・・・僕が帰宅した時,父は昏睡状態に近い状態になりまともに話が出来なくなっていた。つまり,朝の父の握手が父の意識があるうちに僕にかけてくれた最後の言葉だった。







そして・・・




















平成16年6月21日,





























父は静かに息を引きとった。


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僕は“一つだけ”父へ悔いが残っている。それは父に“自分の花嫁を見せてあげられなかったこと”だった。父は僕が結婚できるのか,いいお嫁さんが本当にこの家に来てくれるのだろうか,と・・・決して僕の前ではそんなことは言わなかったが父が強くそう望んでいたことを僕は知っていた。僕はそれができなかった。父はずっとそのことは心残りのまま,この世を去っていった。結婚が決まったら妻と一緒に父の墓に報告を・・・しかし・・・死んでしまってからでは何をしても遅いというのが僕の強く揺るがない考えである。















【初めてのお父さん~息子へ】

2008年5月2日,こんな僕にも子供が生まれた。男の子で名前は“優誠(ゆうま)”と呼ぶ。僕は“誠”という字がすべての字の中で一番好きだった。“誠”というのは当時の“新撰組”の旗のシンボルであり,僕は“新撰組”が好きだった。かっこよかった。誠を尽くして最後まで幕府のために戦った新撰組・・・決して彼らを美化するわけではないが,“誠”という字には僕の中では“率直,誠実,尽くす,偽りのない,誠意,真っ直ぐ,ひたむき”などの意味が思い浮かばれる。そして“優”。“優”には優れている他にやさしいとも読む。“優しく誠の心を持った子に”という願い込めて優誠(ゆうま)という名前をつけた。名前は僕が考えた。


将来,この子らが就職活動する時は今とは比較にならないぐらいシステムも変わり,また就職も困難になっていると思う。自分探しを見つけるフリーターはますます増えてくるだろうと僕は思っている。そんな中,自分の道が見つからないときにこの旅行記を読んでもらいたいと思う。僕はスイス旅行に行ったことによって自分のやりたいと思う仕事を見つけた。この“自分のやりたい仕事を見つけた”というのは僕にとって本当に大きなことだった。僕が尊敬していた大学のゼミの教授はこう言っていた。

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「なぜ,今の若者にフリーターが多いと思う?なぜ“自分探し”が多いと思う?それは“今までの人生が経験不足ということ”だ。つまり,“世の中をそれだけ知らない”ということだ。世の中を知ればやりたいことはいくらでも見つかる。いろいろなことを経験すればその経験に基づいて人は価値観が生まれてくるのだ。だから,君たちも何でもいいから若いうちはいろいろなことを経験しなさい。失敗を恐れる必要はないのだよ」


もし,何か途方にくれたときはこの旅行記を読んでもらって自分の道が見つかればいいと思う。そして,僕は本当に父を尊敬していた。しかし,父について残っているものは写真しかない。父がどういう人物であったかということは写真だけではわからない。月日が立てば本当に人は忘れてくるものである。そこで僕はこのような旅行記を作った。この旅行記には僕の青春時代の思い,出来事を記録したつもりだ。

もし,僕も父のように若くして病気になり,そして若くしてこの世を去ることになれば“父はこういう人物であった”という自分の軌跡を子供に伝えたい。僕の結婚式に父の姿はなかった。僕はこのことで子供の結婚式だけは何があっても絶対に出席できるようにと思っている。孫を見たいとまでは望まない。しかし,父が僕の花嫁を見たかったように僕も子供の結婚式だけは絶対に出席できるように・・・それまでは絶対に健康でいないといけないな!







【スイスは僕にとって青春時代の終点駅であり,社会人時代の始発駅でした】


ここまで読んでいただいた読者の方に僕は心から感謝したい。この本には僕のスイス旅行のきっかけ,スイス旅行の内容,そして現在の旅行会社に入社したエピソードを主観的,独自な発想を述べてきた。そんな僕に付き合ってくれて本当にありがとうございます!途中で書くのをあきらめようかと思ったが(書くのに時間がかかりすぎてしんどくなったので)最初の“目標”を思い返してはパソコンの前に座った。

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遅いときは夜中の3時,4時まで,(気がついたらそんな時間が来ていたという感じ・・・)休みの日は朝起きてから,1日中パソコンの前に座っている日もあった。そんな中,僕の「旅行記を書きたい・・・書いていろいろな人に読んでもらいたい・・・スイスの素晴らしさを一人でも多くの方々に伝えたい・・・」というエネルギーがこの旅行記を完成させた。僕はこれからもこのような旅行記を書いていきたいと思っている。(自分が旅行会社で働いている・・・そして旅行会社の営業マンである僕という人間の性なんだろうな・・・)


「スイスは僕にとって青春時代の終点駅であり,社会人時代の始発駅でした」


僕はこうのように思っている。もし,僕がもう一度,スイス旅行に行くチャンスがあれば今度こそ,アルプス3大名峰を訪れたい。



“モンブラン”,“マッターホルン”,“ユングフラウ”・・・・・



ユングフラウは制覇したので“モンブラン”と“マッターホルン”に行きたい・・・。

そして,今回雨で全く見えなかった“リギ山”にもう一度訪れたい・・・(あとチーズ・フォンデも食べる!笑)最後に僕はこの旅行で買ったすべての絵葉書で最も気に入っている絵葉書を旅行記の最後に綴る。(憧れのスイスアルプス“リギ山”の写真。現在,会社の机に挟んで,仕事のバネにしている)

そんな日まで健康でいれますように・・・僕だけでなく,妻も息子も家族全員健康でいれますように・・・この願いは僕たち夫婦の共通の願いである。



 妻は僕にこう言ってくれたよ!






「あんたは絶対に康でいられるよ!








 だってお父さんが付けてくれているじゃん。










 “壱岐 健知斗” タケチトって。」
















Englishman in New York

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第7章 このスイス旅行で買ったお土産のご紹介

第7章 このスイス旅行で買ったお土産のご紹介


Schweiz Suisse Svizzera Switzerland Швейцария Suiza 瑞士 スイス






*スイス製のたばこ
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*グリンデルワルトで買ったキーホルダー

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*同じく。これはスイス紙幣を表している。





こちらはユングフラウ頂上で買ったチョコレート

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*2002年の1月31日が賞味期限。このように賞味期限はとっくに過ぎているが食べないで記念に保管している。(虫が来ないようにビニールを何重にもまいてプラスチックケースに密封している)

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*同じくユングフラウヨッホで買ったチョコレート。背景のユングフラウがいい!

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*こちらも当然賞味期限は過ぎている。



*ベルンで買った絵本

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*中身はもちろん英語でなんとCDもついていた



このスイス旅行で記念に取って置いたスイス硬貨と紙幣

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*スイスの硬貨。左から5SF,2SF,1SF,2/1SF。右の金の硬貨はさらに小さい。


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*スイスの紙幣。写真は10SF







tomo the tomo - ハゲタカ  ROAD TO REBIRTH

 "HAGETAKA(The Vulture)" Trailer
Thema:海外旅行記
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第6章 最初で最後の町チューリヒ~帰国~

第6章 2001年3月18日 最初で最後だった町チューリヒの観光~帰国~



湖畔の町“フィッツナウ”~ルチェルンへの湖船旅~

ルチェルンに向かって湖船が出発した。船が出発すると波がゆらめく。決して天気は良くなかったが湖はすごくきれかった。10:52発で11:42着だから約50分の船旅だ。 後ろにフィッツナウが遠ざかる

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フィッツナウを背景に・・・


船の中は豪華なレストランがあった。あまりに豪華でびっくり・・・カップルなどのディナーに来たらいいなあと思った。僕は外に出て写真を撮ろうとしたら日本人らしき僕より少し年上ぐらいの男の人がいたので話しかけたら韓国に方だった。(少しぽっちゃりしていてメガネをかけていた)かなり雑談した。彼は32歳で一人旅をしている。

証券会社で働いているらしい。先にはイタリアとドイツに行ってきてからスイスに入ったそうだ。仕事の出張と旅行を兼ねているみたいだから羨ましい・・・・。今日の16:00にユングフラウヨッホへ向かうらしい。乗船時間,ずっと彼と話してかなり親しくなったのでリギ山で買ったお菓子と絵葉書を1枚プレゼントした。彼は写真を撮ってくれた。彼とはルチェルンの港で別れた。



韓国人の彼が船の上から撮ってくれたりした。人類皆兄弟。


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リギ・ピラトゥス山の麓・旧市街が残る美しい町“ルチェルン”

僕はルチェルンの港からまずはカペル橋に向かった。もう港からは歩いてすぐだ。このルチェルンという町はカペル橋というヨーロッパ一古い木造橋がある。本来は午前中にルチェルンを観光してからリギに向かい,最後にジュネーブを観光してチューリヒへ戻る予定だったが先にリギを観光してルチェルンを後で観光,そしてジュネーブへ行くことにした。ジュネーブはスイスの最西南でほとんどフランスに接する位置なので距離がある。僕はジュネーブ行きの次の列車時間を調べた。以下の通りだ。



ルチェルン12:57発=========ジュネーブ16:20着(約3時間半)


これでもジュネーブ到着は遅いほうだが,現在11:42分なので12:57分に乗ってもルチェルンは1時間少ししか観光できない。僕はルチェルンの有名な観光場所を2つに絞っていた。




①「カペル橋」・・・・・ルチェルンのシンボルともいえる美しい屋根付き橋。1333年に完成し,木造ではヨーロッパ最古だったが1993年にその大半を焼失。北部が一部焼け残り,翌年に再建された。屋根の梁には,スイスの歴史的な出来事やルチェルンの守護聖人が描かれた三角形の板絵が飾られている。17世紀にも書かれたオリジナルのものも10枚ほど残っている。途中にある8角形の塔は水道塔で1300年ごろに城壁の一部として造られ,一時期は牢獄や拷問室に使われたこともある。


②「ライオン記念碑」・・・・・フランスと派兵契約もあったスイスは16世紀後半から各国に兵隊を派遣し始める。やがて派兵を抑え,中立国としての立場を確立していた矢先の1792年,フランス革命のためパリのチュイルリー宮殿で,ルイ16世とマリー・アントワネット王妃を警護していたスイス人傭兵786人が全滅してしまった。この「ルチェルンの死に瀕したライオン」の記念碑は勇敢に戦った彼らを讃えたモニュメント。天然の岩に刻み込んだもので,作家マーク・トウェインは,「世界で最も悲惨で心を打たれる岩塊」と記している。
僕はこの2つだけは最低見ようと考えてルチェルンを急いで駆け巡った。






*写真はルチェルン駅。ヨーロッパらしいとも言えるこの駅の時計はもう11:45分。あと1時間!

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*ルチェルンのシンボルであるカペル橋。

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*木造はヨーロッパ最古(半分以上は火災で焼失のため一部以外は修復している)

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カペル橋はあまりにも有名で多くの観光客が訪れるという。修復しているというが十分魅力と風格のある木造造りだ。僕は橋を歩いていたら橋の真ん中に店があった。すごくおしゃれで民芸品やかわいい人形などを売っている。僕はこのおしゃれな店に入りにわとりのキーホルダー,絵葉書とルチェルンのキーホルダーを買った。(これから行くライオンが裏に載っている)ここの店のおばさんは凄く優しかったのを覚えている・・・。
 


橋を渡ると旧市街。僕は橋を渡ってライオンの碑を目指した。地図通り行くが見当たらない。僕は走って走った,この辺りのはずだが・・。母と男の子が通ったので聞いた。「ライオンはこの道をまっすぐ行って右よ!」「センキュー!」少し暗い狭い道を抜けると急に辺り一面に真っ白な壁が現れた・・・・・・!(これは・・・・凄いなあ・・・・・・)


見事なライオンの記念碑が目の前に現れた。こんもりと木立ちの中にライオンが横たわっている。ルチェルンで1番の見所といわれるこのライオンの記念碑はデンマークの彫刻家トルバルセンによるものである。1792年8月10日,パリのチュイルリー王宮でルイ16世一家を身を持って守ろうとして全滅した786人のスイスの傭兵を記念にして作られたものである。苦しげな表情で横たわるライオンの傍らには,折れた槍と十字のマークの入った盾が見られる。像の前は小さな池になっていて夏の音楽祭の時には水上に舞台が設けられ,夜間演奏会など開かれる。

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それにしても見事なライオンだった。ライオンの横に一人のアジア風の女性がいたので写真を写してもらおうと尋ねたら日本人だった。彼女もスイスに一人旅で来ているらしく,先日ユングフラウを見てきたらしい。スイスには結構一人旅の人が多いなあ・・・と思った。彼女にお礼を言って僕は先を急いだ。

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僕が大通りに出たらなにやらたくさんの屋台があり,そこには野菜を売っていた。日本では見たことがないような野菜もあった。このあたりは最も繁華街らしく旧市街の建物も美しい。僕は歩いているとピアノの置物があるので惹かれてその店に入ったらCD屋だった。何の曲かもわからないのですぐに出た。


 ルチェルンはヨーロッパ風で凄くにぎやかな町だ。凄く気に入った。僕は名残惜しかったが,12:57分のジュネーブ行きの列車に間もなく乗らないといけないのでレストランにでも入って昼食を取ろうと思ったがあまり時間がなかったので駅で何かパンでも買おうとした。僕はルチェルン駅に向かった。僕は駅で買い物をしようとした。すると,高校生らしい日本で言うコギャル風の女の子3人にからまれた・・・・・一人は真っ赤な髪の毛,もう一人は金髪,もう一人は茶色い髪の毛をして3人ともピアスをしていた。

金髪の子はほっぺたに何やら落書きをしており,その子が一番喋っていた。日本人が珍しいのか最初,ケーキか何かをおごらせられるのかと思ったが何やらそんな風でもなさそうだ・・・・写真つきの名札をぶら下げて見せられた。意味不明であったが,突然阿波踊りの格好をして3人が「ホーローリーホー!」と言いながら踊りだし,「go!」と広場を指差され,連れて行かれそうになったのでジュネーブに行かないといけないことを告げたら残念そうに去っていった。(阿波踊りを踊っていたのでもしかしたら日本人から阿波踊りを教えてもらいたかったのかもしれないな・・・)と思ったが時間がないので駅でサッと食事物を買った。
 

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からし付の肉まんと左はカレーついた大きなウインナー。右はナッツクリームの入ったパン。このパンはすごく独特で変わった味がした。(買った店の親父凄く無愛想だった)ウインナーは注文してから焼いてくれた。間もなく12:57分。僕は急いで列車に乗った。ルチェルンを最後に僕はジュネーブへ向かった。


“ルチェルン”~ジュネーブへの3時間半の列車旅

僕はジュネーブ行きの列車に乗った。
 ルチェルン12:57発=========ジュネーブ16:20着(約3時間半)


スイスもいよいよ明日で去ることになる。今日のこのジュネーブの町の観光はメイン観光では最後になる。列車は3時間半とかなり長いが僕は無事にほかの観光地は見ることができたので満足してゆっくりと列車でくつろいでいた。すると・・・・・列車は凄くにぎやかになった・・・・何かパレードをする人が現れた。

ピエロの格好をした人,トラの頭をかぶった人,女装した人など太鼓をたたきまくり,笛を吹きまくり,ラッパも吹きまくり,うるさすぎるぐらいにぎやかだった・・・サーカスの人たちではないと思うがスイスではこのような公共の列車の中でもこのようなパレードもあるのか・・・・と驚いた・・・僕はじっと静かに座っていた。乗客に人なども一緒になって踊っていて後ろはあいかわらずにぎやかだった。するとカーニバルの男の人が一人話しかけてきた。金髪の小太りの人でかなり酔っていた。いろいろ雑談して親しくなったのでお菓子をあげた。すると大勢のカーニバルの人が僕のところにやってきてトランペットなど吹いてくれて一緒に写真を撮ってくれた。みんなかなり酔っているのですごくにぎやかだった・・・





陽気な優しいピエロの人。話がはずんだのでお菓子を上げた。
彼らはジュネーブまでは行かず途中の駅で降りた。降りるとき「こにちわー」と叫ぶ。嵐が過ぎたようだった。スイスで最も憧れていた町“ジュネーブ”

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外は雨がずっと降っていた。もうそろそろ終点ジュネーブだ・・・僕は最初,ジュネーブをスイスの首都と思っていた。皆さんにとってもジュネーブという町の名はかなり聞く名前だと思う・・・国連ヨーロッパ本部,国際赤十字委員会をはじめとする国際機関が集結している,世界各国からの観光客が集まる,噴水がシンボルのこの町を僕はずっと憧れていた。そう思っていたら16:20。終点ジュネーブへ着いた。駅は予想通りかなり大きくて人も多い。

「ジュネーブはスイスではない」とも言われるこのまちはほとんどフランスとの国境に近くフランス領になるといっても過言ではない。

僕は特にこの町のどこに行こうとは決めてなかったがとにかくジュネーブの町並みを歩きたかった。しかし,噴水を見る,花時計を見る,そしてスイスでは時計が有名と言われるのでジュネーブで一つ腕時計を買おうと思っていた。時刻表を見たら,


ジュネーブ19:29発=========チューリヒ22:26着
ジュネーブ20:29発=========チューリヒ23:34着
ジュネーブ21:29発=========チューリヒ0:36着(最終)


僕はスイス最後の晩になるのでたっぷりとジュネーブを滞在しようと思った。現在16:30分なので最終までいれば5時間はいられる。しかし,夜遅くもあり店も閉まるだろう,そして最終の場合,もし列車に乗り遅れたり,列車の事故等で帰れなくなったら困るので(チューリヒまでは3時間半もかかるからかなりの距離なので)一つ前の20:29発の列車に乗ることにした。約4時間ある。たっぷりジュネーブを歩こう!

僕は小さい頃絵本でスイスの噴水と花時計の好きな写真があったのを覚えている。もうその絵本はなく,なんという絵本か忘れたが,小さい頃その写真が凄く好きでここに行きたいと思っていた。小さい頃好きだった景色というのは大人になっても好きという・・・そして何かその風景にすごく懐かしさを感じていた。言葉ではうまく表現できないが僕にとってスイスの花時計と噴水は小さい頃のインパクトが強かった。


僕はジュネーブ駅を出てガイドブックに書いてある噴水の場所を目指した。


天気が悪かったので写真はそんなによくないがこれがジュネーブスイスの噴水。水が見事に吹き出ているこの町のシンボルだ。噴水の水は途絶えることなく常時吹き出ている。思ったより近くで見ると大きいなあ・・


こちらは何やら有名な方の石碑か?

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噴水から歩くと僕花時計を目指した。花時計到着!こちらは思っていたよりあっけなかった・・・周りは何か工事しているような雰囲気で臨場感が薄れた・・・小さいときに絵本で見た花時計とはイメージが全然違ったので残念・・・。(ここでスイス人らしき男性が「オー,ニーハオー!」と話しかけてきた・・・僕は日本人と答えた・・・スイスに来てこれで中国人と思われたのは3回目だ・・・それだけ中国人に見えるのだろうか)歩くとスイスの民芸品店発見!少し買物。少し歩くと大きな広場に出る


路面電車もあるようだ。


メリーゴーランドがある。ジュネーブの人は話しかけても英語が通じない人が多かった。発音からしてフランス語っぽい。

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カフェレストラン店。僕は坂を歩いていたらカフェレストラン店を見つけた。疲れも出ていたのでちょうど休憩に良いかと思いこの店に入った。入るとエレガントで美人な細高い色白で茶髪のフランス人風(ジュネーブはフランス人っぽい人が多い)のモデルさんみたいな店員の人が

「ハロー!ユア ウェルカム!」

と招いてくれた。僕はメニュー表をもらったが何か全くわからないので「カフェ!」と言った。

するとしばらくしたらおいしそうなカフェが出てきた。カフェにはチョコが一つついていた。すごくおしゃれな店で周りには若いカップルや女性が多い。みんな色白の茶髪で鼻が高い。言葉も英語ではなくフランス語のような発音の言葉に聞こえた。ゆっくり体を温めて僕はこの店を出た。(カフェはかなり苦かった)

カフェ店で休んだが僕はかなり疲れている・・・スイスでのハードなスケジュールと時差とが3日目に疲れが僕を襲ってきている。僕はジュネーブの見所であるジュネーブ大学敷地内の“宗教改革記念碑”の4人の大きな壁像を見るためにジュネーブ大学を目指した。しかしなかなか場所がわからない。ジュネーブ大学はどこにあるか公園のカップルや通りがかりのおじさんに尋ねたがすべてフランス語。何とかジェスチャーで方向を指差してもらい,何人かに聞いてやっとたどり着いた。坂を下ったところにジュネーブ大学を見つけた。




途中でジュネーブの町並みを背景に1枚。雨がふってびしょびしょ・・・

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ジュネーブ大学敷地内。なんと大きなチェスが!



大学の広い構内の道。平日はこの道はたくさんの学生であふれるのだろう・・僕も今月大学を卒業した・・
芝生内になにやら大学の学長らしき石碑があった。

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この石碑を見るために苦労してここまでやってきた。これはジュネーブ大学の敷地内にある。この石碑について以下に解説する。“宗教改革記念碑”・・・・・宗教改革の中心人物たちを記念して造られた長さ約100mの大きな壁像。中央に並ぶ4人の像は,左からファレル,カルヴァン,ベーズ,ノックス。その両脇には宗教改革運動の普及に貢献した人々の名と,普及にまつわるエピソードを書いたレリーフがある。カルヴァン生誕400年にあたる1909年から1917年にかけて造られた。ジュネーブ大学の敷地内にある。(ジュネーブ大学は敷地も校舎もかなり大きくて広い・・・かなり偏差値レベルも高いのだろうなあ・・・)

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大学を出た僕はメインストリートである“モン・ブラン通り”を目指した。“モン・ブラン通り”は広い通りに高級時計店やチョコレート専門店,お土産物屋が並んでいる。僕は時計店で一つスイス腕時計を買った。
ジュネーブのモン・ブラン通りで買った思い出のスイス純製腕時計



CHARMEXというブランド。

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青色が好きな僕。スイス旅の記念として保管しているため全く使用していない。“MEDE IN SWISS”と書かれている。160SF(約10,600円)

あと最後にこの“モン・ブラン通り”で親戚やいとこ,大学や地元の友人,家族のお土産をまとめて買った。多くはキーホルダーやタバコ,絵葉書,そしてチョコレートを買った。スイスの腕時計も買って,カルヴァンの壁像を,花時計を,噴水を見て,ジュネーブのカフェ店も味わったのでもうジュネーブに悔いはない・・・僕は駅に向かった。気がつくと約3時間が過ぎていた。現在間もなく19:30。


ジュネーブ20:29発=========チューリッヒ23:34着


あと1時間しかない!僕は急いで駅に走った。駅は凄く人が多い。駅で夕食を食べてからチューリヒへ帰ろう・・・スイス滞在中は洋食ばかりだったのでアジア食を全く口にしていなくアジア食に恋しくなった僕は“アジア食専門店”というのが駅内にあったのでそこに入ることにした。取り放題になってもっていったら27SFした。水とワインも買った。

*料理の写真。あとで気づいたのだがフラッシュをたいていなかったらこのように真っ暗になった・・・

あまり時間がないので急いで食べて僕はレストランを出た。駅に20:10分ぐらいに到着。20:29発までまだ少し時間があるので食後に売店でチョコレートを買った。ホワイト,バニラとレーズンのチョコ。(スイスはチョコレートが名産品なのでいたるところに売っている)ホワイトはすごく甘かった・・・


 ジュネーブの印象はとにかく英語ではなくフランス語がほとんど。そして背高いやせスリムの美人女性がとても多かった。この旅で最も楽しみにしていたジュネーブを後にして僕は,20:29分の列車に乗った・・。
 僕は窓を眺めていた・・・(明日ついに日本に帰るのか・・・)凄くさみしい気分になってきた。(またいつかスイスに来たいな・・・)疲れきっていた僕はそんなことを思いながらうとうと・・・・・・・・・・・・


(はっ)僕が目覚めたら時計は23:36分!23:34着予定なので慌てて周りを見たらチューリヒ駅だった。僕はずっと寝てしまっていたらしい・・・3月15日から初めて到着したチューリヒ駅は馴染みが出ていた。部屋に帰った僕はビールを1本飲み,タバコを1本吸った。明日帰るので荷造りもすませた。3日間泊まったホテル“モンタナ”も今晩最後だ。僕はスイス最後の夜を迎えて眠りについた。


朝,6:30に僕は目覚めた。顔を洗い下に行く。今日は7:00より朝食らしい。僕は再び部屋に戻り着替えて最後の荷造りを済ました。荷物はかなり重くなった。テレビをつけたら“アルプスの少女ハイジ”をやっていた(もちろん英語で)そして7:00過ぎに降りていった。最後の朝食を食べた。3日間お世話になった金髪のお姉ちゃん。空港には何かあるといけないので2時間前に着こうと思っている。チューリヒ駅からは約10分で空港へは着けるのだが飛行機に遅れたら大変だ。飛行機の時間は以下の通りである。

3/18日 チューリヒ14:50発――――――――――――――3/19日 関西空港9:20着
 

僕は12:00頃にチューリヒ駅の列車に乗ろうと思っていた。今は7:30頃。これから11:30ぐらいまで4時間あるので最後,この最初に到着してから最後の日の今日までほぼ全く観光していないこのチューリッヒを観光することにした。これが本当に本当に最後のスイスの観光になる・・・・僕は11:30まで歩きたいのだが荷物が重すぎてじゃまになるので金髪のお姉さんに

「WALKING!11:00まで。バッグOK?」

「OK!」鍵も預かってくれた。ホテル代は1番最初に3日分のチケットを渡しているので問題はなかったから。

「センキュー!」

僕はお礼を言って荷物は全てフロントに戻る時間を伝えて外に出て行った。チューリヒ中央駅を1枚。この駅からこの旅の全てが始まった。このチューリヒ駅には感謝したい・・・(スイスのすばらしい絶景に連れて行ってくれてありがとう・・・・)



*チューリヒ中央駅

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スイス最終日にチューリヒの町並みを見渡した。歩いていたら天気が凄くよくて朝日が気持ちいい!風がかすかに暖かい。(もうすぐ春になるな・・・)僕はひたすら町並みを歩いた。湖が凄くきれい・・・太陽が水面を照らし上げている・・・・1年間計画してすべて旅程を無事終えてチューリヒを歩く僕は達成感があふれてすがすがしい気持ちでいっぱいだった・・・。

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湖の畔に聖ペーター教会が見える。見渡すリマト川。丘の上の緑。朝日がまぶしく新緑を照らし続けている。鮮やかな緑が美しい・・・。丘の上から眺めた聖ペーター教会。朝日がまぶしい。丘の上は朝が早いせいか誰も人はいない。丘から眺める町並み。チューリヒの町はこのリマト川が流れている。坂道の商店街。朝が早いので店は閉まっている。

チューリヒ湖の景観。美しい水面に鳥の群れが見える。リマト川にも鳥の群れが・・・天気が良いので川も美しい。



“聖ペーター教会”・・・・リマト川とともにチューリヒの町のシンボル。ヨーロッパ最大の時計がある。チューリヒで最も古い教会で857年の文献にすでにその名前を確認することができた。この教会を有名にしたのは1534年に建てられた時計塔。時計の文字盤は直径8.7mもあり,時針3m,分針4mとヨーロッパ最大である。この教会の塔は1911年まで火の見やぐらとして使用され,火事番が住んでいた。




チューリヒ湖と聖ペーター教会のシンボルの風景。チューリヒ湖に一羽の白鳥が・・・。雄なのか雌なのかわからないがたった一羽で湖を泳いでいた。何やら寂しそうにも見える。徳島に帰った後に広島での大学の仲の良かった友人10人ぐらいにスイスの写真を送った。“広島を去った僕が一人で卒業旅行にスイスにいった形跡の写真を友人に見せたかった”写真を送った一人の子がこう言ってくれた。


「アルプスの写真も全て含めてこの写真が一番好き!なにかすごくいい!」


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僕はチューリヒ最後の町並みを早朝の朝日に照らされながら歩いた。聖ペーター教会もお店も閉まっていたが静かで気持ちが落ち着く・・・チューリヒの町はリマト川沿いにヴァイン広場,市庁舎,教会が広がる。そしてリマト川の河川は南のチューリヒ湖へ流れている。チューリヒの町並み概念図




僕はチューリッヒ中央駅よりこのリマト川沿いを南へ歩きチューリッヒ湖を目指した。

2011年3月18日 帰国日 朝の最後の散歩
今回のスイス旅行で達成したかった目的(一つだけ達成していない“チーズ・フォンデ”)
今回のスイス旅行での目的は以下である。
①世界一美しい村グリンデルワルト滞在
②“トップ・オブ・ヨーロッパ”ユングフラウヨッホの観光
③リギ山観光
④チューリヒ・ベルン・ルチェルン・ジュネーブの四都市の観光
⑤スイスのチョコレートを食べる(買って帰る)
⑥スイス時計を買う(*腕時計を買った)
⑦スイス西部ヴァリスの名料理チーズ・フォンデを食べる!
他にも様々あったが上記の7つが必須目的です。読者の方もお気づきですか?スイス最も有名な“チーズ・フォンデ”の写真がこれまでになかったでしょう?下の二つはガイドブックで絶対食べようとチェックしていた。
下記2部画像 《地球の歩き方 スイス2001年~2002年度版》より




レシュティはベルンで食べた。チーズフォンデはまだ!散歩を終えて時計の時間は9:00。僕はチーズ・フォンデだけは食べなければ日本に帰れないとチューリヒ駅の方へ再び引き返した。駅の下は地下道になっておりたくさんの店があったのをチェックしていた。


僕は今回スイス旅行に旅行代以外でお小遣い“9万5千円”を持ってきていた。(空港で1344SFへ変換)
残り450SFほど残っていたので使い切ろうと思った。(ユウグフラウの切符,買い物,食事など使った残り)
 

日本へのお土産はまだ買えきれてない。何しろ様々な人にこのスイス旅行の計画を話していたのでお土産もたくさん必要になってしまった・・・。お土産リストを作っていたがまだ埋まっていない人たちの分はすべてここで買おうと思った。ワイン,お菓子など売っていたが,駅の地下道には本当にたくさんの店があったのでどこで買うか非常に迷った。しかし時間が経つのは早い。もうすぐ10:00が来る。ホテルには11:30までに戻らないといけないので僕はワインの専門店みたいなところでワインを3本ほど買った。同じ店で買うほうが割引してくれると思ったからだ。やはり少し負けてくれた(ラッキー!)ワインは親父らへ。
 
 
あと友人らに細かいチョコレートを買った。立ち売りしている女の子に呼ばれたが凄く安かった。モッカ,バニラ,アップルチョコの3つ入りが1.25SF!これを大量に買った。誰にでも配れるサイズだからね。絵葉書もたくさん買っていたが追加で最後の買い物をした(スイスの絵葉書帰ったらトータルで70枚以上あった・・・多すぎたのでアルバムファイルを買ってそれに全て入れた。今でも大事に保管している)

さて,あと1時間ほど時間はある。














残る我が目指すものはチーズ・フォンデ店1軒のみ!








食べ物の恨みは恐ろしいので・・・・僕はチューリヒの駅,町中を最後の滞在時間に走りまくった。走って走って走って走って・・・・(最も1日目や早くから店を先に調べておいていたらよかったのだが観光に必死になって移動だけで精一杯だったのでチーズ・フォンデを探す最後の今日まで余裕がなかったのだ・・・やっぱりユングフラウやリギ山に頭がいっぱいだったからなあ・・・)しかしそれらしき店はない。チューリヒぐらいの都市なら駅に近い店ならあるはずと思ったのだがどこを見てもない・・・僕は自力で探すのは無理と判断し,近くにいた店の人にガイドブックの写真を見せて必死で尋ねた


「チーズフォンデショッププリーズ!」


「ノー」

聞くとこの辺りにはないらしい・・ガイドブックにも書いてあった通りこの料理はスイス西部ヴァリス地方の料理だ。もともと北東のチューリヒにはないらしい(どこかあるかもしれないがもう時間なかった)
僕はもうあきらめた・・・(残念!くー!今度スイスに来たら一番に食べるぞー!)*新たな目標ができた

時計の時間は11:30が来る。僕はホテル“モンタナ”に帰り,チェックアウトし,預けていた荷物をもらった。3日間お世話になった金髪のお姉さん。「センキュー!グッバイ!シーユー!」最後かわいかったな☆



*3日間お世話になったスイスチューリヒのホテル“モンタナ”。決して高級ではないがアットホームで
凄くよかった。ありがとう!今度またチューリヒに来ることがあったらぜひ泊まらせてもらうよ!
チューリヒエアポート~“さよなら,ありがとう,SWISS!”


「さて,エアポートへ向かうか・・・」


時刻は12:00。僕は最後のチューリヒ駅の列車に乗り空港へ向かった・・・
空港へは10分で到着した。空港はやはりとてつもなく広い・・・時間に十分余裕があるが誰も出国手続きを手伝ってくれる人はいない・・・一刻も早く出国手続きを完成させて置かないと落ち着かない・・・

 
スイスエアーのカウンターへ到着!

「13:50エントリー!」

チケットに○を付けてくれた。荷物も全て預けて貴重品かばんのみになった。これで身軽になったので空港を自由に見学できる!(荷物を預けた後はなにか気持ちがいいものだ)僕は出国口へ向かった。日本行きのナンバーは理解できた。出国ゲートに入らないと何があるかわからないので店舗数はへるかもしれないが僕は出国ゲートに入った。


日本 大阪行き スイス航空 14:20発


 出国ゲートに入っても店の数は多かった。12:30を回っている。まだ時間は十分ある。空港を見学するのは最後として僕はそろそろお腹が空いてきたので空港のレストランへ入った。(チーズ・フォンデも探したがやはりなかった・・・悲しい・・)日本人のコックさんがいた“チューリヒの子羊名料理レストラン”「ここの名物を。」と注文して僕は席に座った。


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*ポテトは熱くてすごく香ばしい。こちらは子羊の肉。クリームソースがなんともいえないまろやかな味で究極においしかった。パンもついていた。100SFほど残っている(約6,600円)日本に帰ったら関空から徳島に帰るバスのチケットはあるが最低5千円は残しておこうと思っていた。値段を聞いていなかったが42SF(約2,800円)(予想はしていたが,少し思っていたより高かったのであせった・・・)


まあ,バスのチケットさえあれば徳島には帰れるから大丈V!


さあ,空港で本当に本当に最後のスイスでの自由行動の滞在時間だ!

なんだがものすごく悲しい気分になってきたが時間いっぱいお店を回ろうと思った。空港の免税店で友人のたばこを買った(吸ってもらうためにあげたのだがその友人は誰も吸っていない。吸うより珍しい記念のため持っておくほうが良いと今でも保管している・・・・)

そしてチョコ,キーホルダー,絵葉書,ワインなどを最後に眺めた。やはり空港のものは高いなあ・・・今までたくさんの観光地で商品を見てきたから空港が高いのは一目瞭然でわかった。最後に空港を見学して僕はロビーでタバコを吸った。(やっと終わった・・・終わってみたらあっけないものだったが本当にスイスはよかったな・・・)



時間が迫ってきた。14:00が過ぎている・・・しかし14:20分が出発の飛行機のはずなのにまだ呼ばれない・・・・僕は真っ青になりあせった(まちがっているのか!・・・・)聞いたら飛行機の準備が遅れているらしい・・・心臓が止まりそうになった。



14:30に搭乗した。





結局14:45発と言っていた飛行機は15:00に出発した。





ブオオオオオオーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!





(ついに旅が終わる・・・・スイスから離れるのが凄くさみしいな・・・・・)



飛行機は離陸する・・・・・・一瞬で飛行機は空の上に上がり,チューリヒの町並みははるかに小さくなってしまった。そして飛行機はさらに上空へ・・・・タバコを吸いながら僕はずっとずっと外を眺めていた。


(*当時はまだ飛行機の中は禁煙になっていなかった)



(あっ!)



僕が上空から見えると真緑の見たことがあるような景色が見えた。


(ベルナー・オーバーラントのグリンデルワルトの町並みだ!あの真緑は間違いない・・・最後に僕を見送ってくれているのか・・・・ありがとう・・・)僕の目に自然に涙があふれてきた。



2日前だったがあの“トップ・オブ・ヨーロッパ”の“ユングフラウ”のアルプスの壮大な景色が何年も前かのように思える・・・スイスのアルプスに行きたくて行きたくて・・・・憧れたユングフラウを展望することができた。生きていてこんなに素晴らしいと思える一時を得ることができた。










またいつか必ず来るから・・・










さよならSWISS・・・

















そして,ありがとう・・・












僕は最後の最後まで上空からスイスの景色を眺めていた・・・・


このスイス旅行は僕の学生生活最後の旅行,いわば間もなく社会人になる学生時代の集大成の旅行であった・・何もかもやり過ごしてもう学生生活に悔いはない・・・大学時代は罰があたるぐらいに本当によく遊んだ。



海外旅行は2年生の中国,


年生夏のアメリカ,



そして卒業旅行のスイス・・・そして,


僕の様々な思い出のある広島県呉市・・・







無事にスイスの旅を終えて僕は機中で最後にこう思ったのだった・・・












「よし,これから僕は日本に帰ってI社(就職の決まっていた会社)でがんばるぞ!」











Walking in the Sun - Travis

 http://www.youtube.com/watch?v=fuvylD8DLYQ&feature=player_embedded
Thema:海外旅行記
Janre:旅行

第5章 山の女王リギ山とルチェルン

第5章 山の女王リギ山とルチェルン~ジュネーブへ~





ユングフラウヨッホ“トップ・オブ・ヨーロッパ”の見所

ユングフラッヨッホの駅に続く建物はその名も“トップ・オブ・ヨーロッパ”。クライネ・シャイデックから約50分で,標高3454m,鉄道としてはヨーロッパ最高地点のユングフラウヨッホに僕はついに到着した。(かつてここにはホテルもあったみたいだが1972年に火災で焼け落ちてしまったらしい)標高の割には天気がよかったため,全く寒くなかった。むしろ暑いぐらいだ・・・・

この駅は万一の時を備えて酸素ボンベも用意してあり,警報ボタンを押せば駅員が駆けつけてくれる。前よりの通路からロビーに向かうと,駅窓口のほかに案内所・郵便局(もちろんヨーロッパ最高所)と並んでキオスクがある。団体観光客の集合場所になっているこのフロアは,簡単にお茶が飲めるスタンドがある。トイレは地下にあり,階段,エレベータで2階に上がるとセルフ・サービス式のレストランがあり,座席は少し離れたこの階のトイレよりにもある。3階には映写室もあり(視界が悪い日はここでスライドショーを見る),本格的な予約制のレストランもある。

僕はガイドブックの案内通りまずはスフィンクス展望台を目指す。日本語の案内もあるため比較的わかりやすい。ますはスフィンクステラスへ向かい,標識に沿うと小型エレベータがある。このエレベータでさらに上へ上がると,標高3573mものある“スフィンクス展望台”だ・・・。


僕はこの標高3454mのユングフラウヨッホ駅から地下道を進み,エレベータにて標高3573mのスフィンクス展望台へ向かう。

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エレベータを上がるとそこはスフィンクス展望台。そこはあたり一面白銀の世界・・・。



展望台は凄い人だ。この快晴のため,この美しい山の姿を人々は待ちわびたように見えた。右側には大きく“メンヒ”4099mが聳え立つ。







そして・・・






















僕が,












“トップ・オブ・ヨーロッパ”スフィンクス展望台より















そこで見たものは・・・





























アレッチ氷河(万年雪)全長約22km氷の厚さ1000m,ヨーロッパ最長

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ベルナーオーバーランドの王者“ユングフラウ”標高4158m

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スフィンクス展望台から見渡す白銀のアルプス山脈

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見渡す景色。真ん中にはクライネ・シャイデックのかすかな緑が見える。

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スフィンクス展望台からの絶景




見える・・・・アイガー,メンヒ,そして“ユングフラウ”・・・そして遥かに広がるアレッチ氷河・・・・上から眺めるグリンデルワルトの村をはじめスイスアルプスの山々・・・僕はあまりにも素晴らしい景色に感動して涙が出てきた・・・・(地球にこんな素晴らしい景色があるとは・・・やっぱりスイスに来て本当によかった・・・)大自然のスケールの壮大さに見とれているばかりだった・・・・。



この1番の見所スフィンクス展望台は,標高3454mからさらに上がった,岩山の頂上に立てられている。足の下が金網上でちょっとスリリングなテラスにも出られ,西はユングフラウ,東にメンヒ,南にはアレッチ氷河,北にはグリンデルワルトなどの緑の谷と,見事な展望が楽しめる。

この南側に見える巨大な流れはヨーロッパ最長のアレッチ氷河。全長23.6km,氷の厚さは1000mもある。反対側の北側に広がるクライネ・シャイデック,グリンデルワルトの緑と好対象をなす,白一色の世界である。氷河を目でたどるともうひとつの氷河と合流しているのがわかる。

この合流点をコンコルディア・プラッツと呼び,山小屋が建てられている。厳密にはここから先が氷河で手前部分が万年雪である。 僕はベルギーから来たおっちゃんと写真を撮り合って,しばらく思いにふけてずっと眺めていた・・・(将来はスイスで暮らしたいな・・・帰ったらいよいよ社会人か・・・頑張らないとな・・・)

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珍しく真っ黒な鳥が展望台に・・・

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展望台よりベルギーのおっちゃんに写してもらう。



ピース!この旅1番の笑顔?!
(半分,疲れきっている・・・・)


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天気が良かったのが何よりも最高だった。展望台を心行くまで楽しんだ僕はエレベータを降りて行った。次のユングフラウヨッホ出発時間は15:00・・・まだ少し時間があるのでせっかくなので駅を散策しよう・・・


下に下りて僕はレストランの売店へ行った。物凄く込んでいる・・・。僕はガイドブックでちょっと変わった絵葉書というのをチェックしていたのでこの絵葉書を買おうと思った。実はこの絵葉書は駅構内にプリクラの要領でユングフラウなどの背景をバックに自分の顔入り絵葉書が作れる。機械に料金5SF(約300円)を投入して自分を撮影して背景を選択する。まあ日本のプリクラと同じ要領だ。





下の写真はユングフラウヨッホで買った絵葉書。
  
 
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*こんなスイスらしい絵で書いてある絵葉書もあった。懐かしく素朴な感じがする・・・


僕は絵葉書の他に,キーホルダー,チョコレート,また快晴で暑いのでミネラル・ウォーターを買った。


(スイスではチョコレートは名物となっていていろいろな種類のものがあり,チョコ巡りツアーもある。そういうのもいいと思うのだが今回は山をメインとしておりあまりそういう余裕がない・・・時間があれば行きたい・・・余談だが,スイスの名物はあと“チーズ・フォンデ”がある。これは絶対に食べたい・・・と思っていたが実は場所が調べきれなくて食べられなかったのである・・・残念・・・今でも悔やんでいる・・・食べ物の恨みは恐ろしい・・・)



 あっ・・・ユングフラウの看板がある・・・これは記念に収めておこう・・・・



*ユングフラウヨッホ地下の雪のトンネル。ここを歩いて展望台へ行ってきた。
ユングフラウヨッホを満喫した僕はそろそろ降りることにした。電車は15:00発。切符を買いに行き,もとに来た駅へ向かう。
 
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参考)・・・ユングフラウヨッホの滞在時間は,展望台から眺めるだけなら1時間,そのほか食事をしたりアトラクションを楽しみたい方は2~4時間ぐらいである。それではさようなら,ユングフラウヨッホ!もうここに悔いはありません。登山列車が到着。あいかわらず凄い人。また日本人も多かった。帰りの僕の下山ルートは以下である。


ユングフラウヨッホ15:00発===クライネ・シャイデック15:45着/15:55発
ラウターブルンネン16:50着/17:05発=インターラーケン17:25着/18:40発
ベルン19:34着 ◎世界遺産,スイス首都のベルン市内散策(約1時間半)
ベルン21:16発====チューリヒ22:26着




帰りは行きとは違い,ラウターブルンネン経由で帰る。インターラーケンで1時間以上待つのがしんどいが,帰りはスイスの首都“ベルン”を駅から少し散策して帰る予定。チューリヒへ着いたら夜中22:26。


朝,5:25分に出て本当にハードだなあ・・・・・再び僕は列車に乗った。ユングフラウヨッホを出発した列車はまた長いトンネルを走っていく。僕の席の前に日本人のおばあちゃんとおじさんの親子が座っていた。同じ日本人同士ということで,話ははずんだ。おばあちゃんから飴を頂いたので,僕は頂上で買ったチョコレートを差し上げた。おばあちゃんはスイスに8日間旅行に来ているそうだ。おじさんは1ヶ月スイスに仕事でいるらしい。おばあちゃんはスイス航空で成田に帰るらしい。

おじさんからいろいろと話を聞いたら,今日はとてつもなく運が良くて晴れていたということ。(この人の友達は1週間,インターラーケンで待って今日ユングフラウヨッホまで行ったらしい。インターラーケンからビデオでユングフラウヨッホの映像が見えるそうだ。長期滞在の人はユングフラウヨッホに行くときは下のビデオで観測してから登るらしい。ユングフラウ鉄道の料金も高いから)




*前のおばあちゃんに撮ってもらった。トンネルは真っ暗だ。

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*15:45分,クライネ・シャイデック到着,太陽がまぶしい・・・日本人の2人とはここで別れた。



クライネ・シャイデックの出発時間は15:55分。乗り換えの時間は10分しかない。僕は慌てて近くにいた人にラウターブルンネン行きの列車の場所を聞いて駅へ走った。無事に列車に乗り継ぎ,僕を乗せたこの列車はラウターブルンネンに16:50に到着予定。約1時間だ。グリンデルワルト経由が東回りに対し,こちらのラウターブルンネン経由は西回りなので景色が違う。帰りの進行方向は左側に座れば,シュタウブバッハの滝,ユングフラウが眺められる。



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*夕方になるが空は真青のブルー。


行きと帰りと経由が違うため,景色をしっかり見ないともったいないので必死になって見ている僕に横に座っていたまたまた日本人の親子3人のお父さんに話しかけられた。お父さんとお母さん,それに僕と同じぐらいの年の女の子と3人だ。


 「一人でスイスに来たのですか?」

お父さんが話しかけてきて


 「はい,一人で来ました。」
 「若そうだけど年は何歳ですか?」
 「22歳です。」 
 「えっ,78年生まれかな?それならうちのこの娘と同じだ!」

 
一緒にいたこの女の子は僕と同い年だったので驚いた。この親子も娘の大学の卒業旅行にスイスへ来たのだ。お父さん,お母さんとはいろいろと話をして,凄く会話がはずんで楽しい時間になった。でも,女の子は何か怒っているようにムスっとして全く会話に入ってこなくて一人外の景色を眺めていた。この人たちも8日間のスイス旅行。ベルンには先に行ってきたのでお父さんがいろいろとベルンの話をしてくれた。

僕は話をしながらも違う景色がもったいないので,話しながらも外の美しい景色を眺めていた。なにかこっちのラウターブルンネン経由のほうが夕方のせいか,景色が綺麗と思った・・・僕が想像していたアルプス山々の草原に聳え立つ家というのはグリンデルワルトでは僕は一番望んでいたイメージのこれといった景色にはまだ出会うことができなかった(もちろん景色はとても素晴らしかった)が次のこの写真が僕の今回の旅行で最も僕が望んでいたようなスイスらしい風景の写真である。


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*窓から撮った写真で少しガラスが写っているが,スイスらしい風景と思った?凄く気に入っている写真。

 
お父さんとお母さんとは話が盛り上がったので凄く楽しかった。(女の子はずっとすねているような感じだったが・・・)この親子は次のウェンゲン駅で下りて今日はここで泊まるらしい。明日,ウェンゲンからハイキングに行く予定だそうだ。次の駅がウェンゲン駅というアナウンスが流れたら,突然,お父さんとお母さんが,席を立った。


「いろいろと話できて,楽しかったよ。旅,気をつけて,4月から社会人頑張ってね。」
「ありがとうございます。」
(娘にお母さんが)「お父さんとお母さん,あっちの席に座っているからここにおりよ。」


と,いきなり娘さんを残してどこか別の席に移動してしまったので僕は真向かいにこの怒っているような女の子と2人きりになってしまった・・・。僕は沈黙した。(気まずい・・・早く駅に着かないかなあ・・・)
すると,女の子は初めて笑顔を見せてむこうから話しかけてきた。

「就職決まってよかったね。あたし,就職決まらなかったからあたしも旅行帰ったら就職活動頑張らないといかんな・・・理系なんや。あたしも理工系やったからまたどこかで会うかも知れへんな。」

 と,ウェンゲンに着くまで同年代の話を弾ませた。

「一人旅やけど気をつけてな,四月から頑張れ!」
「そっちも就職活動頑張ってな,気をつけて!」


彼女たちはウェンゲンで降りた。

ウェンゲンを出た列車はラウターブルンネンへと向かう・・・そして,16:50分ラウターブルンネンへ列車は到着した。

ラウターブルンネン着。17:05発でインターラーケンへ。駅で水を買った。

16:50分にラウター・ブルンネンを出てインターラーケンに17:25分到着。長い長い1日のベルナー・オーバーラントの観光(グリンデルワルト・ユングフラウヨッホ)が終わった・・・。朝,チューリヒを朝の5:25の列車に乗って約12時間が終わった・・・天気に恵まれて山も見てもうここに悔いはない・・・と,思ったら,もう疲れすぎて何もやる気がおこらなくなった・・・・(ずっとろくに寝ていないし・・・)これからの僕の予定は以下となる。


インターラーケン17:25着/18:40発
ベルン19:34着 ◎世界遺産,スイス首都のベルン市内散策(約1時間半)
ベルン21:16発====チューリヒ22:26着      チューリヒ(泊)


これからスイスの首都であるベルンの観光に行く。体力がかなり疲れているため,次の18:40発まで時間があるのだが歩いたりせず,駅のホームで座っていた(寝かかっていたがベルンの本を読んだ)次の発車まで時間が1:15分もある。早く出発しないかなあ・・・・・。
 

そう思っているうちに,列車は来た。僕は再びスイスパスを駅員さんに見せて列車に乗り込む。ベルン行きは夕方でもあったので割と人が込んでいた。横の人と話をしていたら今日のユングフラウヨッホは20度もあったらしい・・・暑いはずだった・・・・。間もなく列車はベルンに到着する・・・。



スイスの首都“ベルン”  僕は19:34分,スイスの首都である“ベルン”へ到着した。


ベルン駅。首都だけあってさすがに人が多かった。駅はすさまじく広い。

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駅を出るとこの世界遺産に指定されている街はヨーロッパ風の建物に取り囲まれており中世の匂いが漂う。しかし,東京などと違って高層ビルなどはなく,人も東京ほどではない。しかし,インターラーケンやグリンデルワルトと比べたら当然大都会に思えた。


ベルンはアーレ川が大きくU字形にカーブしたところが開かれた街となっている。街は3分の1が森や公園で,中世の面影を残す美しい町並みが“ベルン旧市街”の世界遺産登録を受けている。またベルンは美しい噴水が多いことでも知られている。旧市街を歩くとあちことで噴水にぶつかる。様々な像に細かい細工が施された色とりどりの噴水はベルンをいっそう美しい街へと導いているような感じがする。


ベルンは上の写真のような建物が駅を少し歩いたらすぐに見られた。僕のベルン到着時間は19:34分で
出発時間が21:16分なので約1時間40分。駅の周りから中心を歩くぐらいにはなるが首都であるこの町をこれから楽しむことにした。

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これはホテル街通りと思われる


あたりはかなり暗くなってきた。写真がぶれて写りが悪いが船の形をした噴水。

 
これはストリートを撮った。壁にはなにやら落書きが見える。

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またまた噴水が見える。こちらは水が止まっていた。


僕はおそらくベルンの最も中心地と思われる広場に出てきた。本当に大きなお城みたいな美しい建物が前方に見える。僕が歩いていると一人のおじいさんが僕に話しかけてきた。

「日本人?どこに行くの?」

僕がベルンの中心地を聞いたらおじいさんが中心地らしきところの道を教えてくれたので僕はその方向へ歩いていった。だんだんにぎやかになってきた。するとピアノを弾いている男性がいた!

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曲を聴いた感じでこれは地元の民芸曲だろう。周囲の人はお酒を飲んでいる人も多く楽しそうに曲を聴いてリズムに乗っていた。みんな笑顔で楽しそうだ。僕もピアノ弾きたいなあ・・・こういう場所で・・・。

 僕はぐるっと町を回ったら,フィルストの展望台から何も食べてなかったのでそろそろ夕食と思いレストランを探した。一軒,すぐ前にあったレストランに入ったら黒人の女の人が出てきて

「オール・バイキング」と言われた。あまり,バイキング気分ではなかったのでこの店はやめた。


レストランが近くに見当たらなかったのでもう少しこの街を散策してみよう☆☆☆
 


 
中心街で一番大きな建物。おそらくこれは市役所かなにかだろう。

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ベルンは路面電車も走っていた。松山や高知を思い出すなあ・・・洋服店もある。

 

あっ,熊の置物だ。ベルンのシンボルは熊なのでいたるところに熊の置物があった。そして町にはベルンの全体図が書かれている,さっぱり読めないが




これは何の像だろう?神秘的な感じがするなあ。


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ずいぶんとベルンの街を歩いた。疲れに限界が来た僕は{RESTRANT Le mazot}というレストランを見つけたのでそこに入ることにした。僕が店に入ると女の人がメニューを持ってきてくれた。僕はとにかくお腹が空いていた。僕はベルンに着いたらガイドブックに載っていたベルン地方の名物“レシュティ”を食べたかったので「レシュティ!」と頼んだ。ドリンクも聞かれたので“レッドワイン”を頼んだ。
 

“さあ,どんなのが出てくるのか楽しみだなあ・・・”レシュティ“はソーセージやジャガイモをこんがりと焼いたものらしい。ベルン地方の名物料理である。しばらくして女の人がメニューを持ってきてくれた。





「あっ!」

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僕は思わず声を出した。


 熱い鉄板にジュージューと音をたてながら持ってきてくれた“レシュティ”は香ばしかった。
僕はこのいい匂いに満足してレストランでこのおいしおうなメニューを写真に収めた。


「カシャッ」



まばゆいフラッシュが当たり一面を照らしつけた。閃光が薄暗いレストランを照らしつけたため,周りの人がびっくりして一斉に僕は注目された。近くにいた若いカップルに大笑いされた・・・・・(フラッシュ消すのを忘れていたな・・・欧米ではこんなレストランで写真を撮るのは恥みたいだ・・・)


僕は,周りの人が注目するのを無視してワインを一気に飲んだ。“うまい,飲みやすいワインだな”


 
続けてチーズのはいったレシュティを一口・・・(うまい!)チーズが口にとろけて乳製品の強い香りが口の中に広がる・・・日本のとはまた一味違う地元の味で大変うまい・・・幸せのひと時を過ごした。ワインをいっぱい飲んだらけっこう酔いがまわったなあ・・・・・。パンはスイスの料理では常に横に置かれるようだ。
 

お腹いっぱいになって満足した僕は支払いを,と思ったら,店員の人が机まで来てくれたのでお金を支払った。店を出ようとしたら先ほど大笑いされたカップルの金髪の女性がカメラを撮った僕がおかしかったらしく「グッバイ!」と大笑いしながら僕に叫んだので僕は会釈だけしてすばやくこのレストランを後にして駅に向かった。

 
ベルン駅へむかう途中,別の人がまたさっきの場所でピアノを弾いていたがクラシックに変わっていた。“ピアニスト違うのかこの人らは”と思うぐらい見事な演奏ぶりだった・・・。



駅に着くと真っ赤の髪の毛をした女の子が,ローラースケートで,凄い速さで横切って言った。また,周りにはノートパソコンを開いた若い金髪の女性や,ウォークマンを聞いて歩いている学生もいる。(当然,スイスのような国ならパソコンやウォークマンはあって当たり前なのだが,今まで登山鉄道に登ってきていたので何か珍しく思った・・・やっぱり首都は違うなあと思った。)駅に行くとタバコを1本吸って休憩。僕はお土産(記念に)駅にドナルドの漫画絵本が会ったのでベルンの記念として買った(中身は全て英語ですが)


もう列車に乗るのは余裕だ。だいぶん慣れた。21:26分,チューリヒ行きの列車はベルンを出発した。列車に乗ると僕は疲れすぎて一瞬で寝てしまっていた・・・・・時計を見たら21:57分だった。30分ぐらい爆睡していた。外の景色を見たら一瞬チューリヒに着いたと思ったが違っていた。外は雨が降っていた・・・・・。(今日ほど人生で充実した1日はなかった・・・本当に今日はユングフラウに行けてすばらしい1日だったなあ・・・・・)
 
と,僕は電車の窓を眺めながら思っていた・・・・・・。


(明日はリギ山とジュネーブだ!最後1日の観光日だが頑張ろう!)長い長い1日が終わった・・・帰ってホテルに着いたらそのままベッドに横になった。それから記憶がない。



朝,目覚まし時計が鳴っている・・・・昨日僕はあまりに疲れてベッドで横になったままそのまま寝てしまっていた。一度4:00に目が覚めてシャワーをしたが速攻で寝た。そして今目覚ましが鳴っている。本当に凄くよく眠れた。スイスに来て睡眠不足と体力に限界がきていたせいか今日はすがすがしい気分だ。僕は起きて朝ごはんを下に食べに行った。ホテルの金髪の姉ちゃんがクロワッサン,チーズ,ハム2枚,ミルク,ヨーグルト,トマトジュース朝ご飯のお盆を持ってきてくれた。(あとでこの人たばこ吸っていた)朝ご飯はおいしかった。また1日走るからしっかり栄養をとらないと・・・全部食べた。


今日の予定は当初,下記の通りであった。
3月17日
 チューリヒ6:01発=====ルチェルン6:49着
◎ルチェルン観光(約2時間)
ルチェルン湖船9:15発~~~フィッツナウ10:12着/10:15発=======
===リギ・クルム10:45着 ◎リギ山観光(約1時間)リギ・クルム12:05発==
==アルトゴワ12:50着/13:12発===チューリヒ13:53着/14:06発
===バイエル15:34発/15:36発=====ジュネーブ17:13着
◎ ジュネーブ市内観光(約2時間)
ジュネーブ19:29発=====チューリヒ22:26着 チューリヒ(泊)【宿泊 ホテルモンタナ】



しかし,午後から雨が降りそうなのでルチェルンは午後から見たほうがいいと考え,(そしてすでに今が朝,6:00をとっくに過ぎているので6:01発の列車はもう過ぎている・・・)先に僕はリギ山に行こうと急遽予定を変更した。時刻表を見たら下記の通り。時間を見たら今6:30なので7:07発には乗れそうだ。


チューリヒ7:07発==========アルト・ゴルダウ7:50着があった。

 
アルト・ゴルダウからリギ・クルムまでは45分である。

   
アルト・ゴルダウ8:00発=========リギ・クルム8:45発



僕は急いでチューリヒ駅に向かった。(今日は曇っていて天気が悪い・・・・リギ山は見えないかもなあ・・・昨日にユングフラウに行っていて本当によかったよかった!)リギ山についてはだいぶん前に記載したが読者の方にわかりやすいよう,今一度ご説明する。




山の女王“リギ山”

http://www1.myswiss.jp/alps/04/rigi/index.htm
リギはルチェルン東にあり高さは1797.5mで山の女王と呼ばれる。古くからアルプスのご来光を仰ぐ展望台として人気があり,かつては徒歩やロバで山頂を目指していたという。1871年には湖畔の町フィッツナウからヨーロッパ初の歯車式登山鉄道が設けられた。時間が合えば夏期間だけだがジョイ危機感者にも乗れる。山全体を木々や草花がおおい,車窓からは牛や草を食む,スイスらしいのどかな景色が見える。山頂駅から数分登るとリギ・クルム・ホテルが見え,このテラスからの眺めはすばらしい。カフェや本格的なレストラン,売店,郵便局まである。頂上へは山頂駅から右手に約15分だが,まさに360度の眺望が開けている。


 
中央スイスで最も有名な展望台といえばなんといってもこのリギ山が筆頭といわれている。昔からあるアルプスのご来光を眺める場所として知られ,徒歩やロバの背に揺れられて山頂を目指した時代に,年間4万人もの観光客を集めていた。それゆえに,リギ山は1871年に「ヨーロッパ最初の登山鉄道が開通」したのだ。
 

ルチェルンからフィーアヴァルトシュテッテ湖越しに望むこの山は,チューリッヒからも近く,半日の観光コースとしても人気を集めている。高度もさほどではないので年配の人も安心できる家族向きの手頃なハイキングコースが多い。




リギ山へのアクセス
リギには南と東からふたつの登山鉄道があって,湖畔のフィッツナウ(Vitznau)と,幹線鉄道の通るアルト・ゴルダウ(Arth-Goldau)がそれぞれの起点である。ルチェルンからは湖船でフィッツナウへ行くのが一般的で,帰りはアルト・ゴルダウへ下って列車で戻る回遊コースを取ることができる。

(今回僕は,行きはアルト・ゴルダウより登り,帰りはフィッツナウへ下ってルチェルンへ向かった。当初はルチェルンを観光してからその後,一般的なフィッツナウの湖船でリギへ行く予定だったが逆にしたとういうことである。アルト・ゴルダウへはチューリヒよりルチェルンに寄らずに先に行くことができる)


フィッツナウからの赤い車両の登山列車は,放牧小屋のある無人駅をいくつか過ぎて,20分ほどで標高が1453mのリギ・カルト・バートに到着する。夏の間だけ走る特別運転のSL列車は,ここが終点になっている。列車はさらに気持ちの良いアルプの中を進み,山頂駅リギ・クルム(Rigi Kulm)に向かう。


 
もう一方の登山鉄道乗り場があるアルト・ゴルダウは,ルチェルンから急行で25分,チューリヒからは約40分かかる。ルガーノからも直通列車があり,ICの一部も停まるから足の便は大変よい。こちらの登山列車は青い車両である。緑いっぱいのアルプの中を右手にツーク湖を眺めながらゆっくり上がっていく。二つ目の駅,クレベル(Chrabel)からは,リギ山塊の別の小さなピークであるリギ・シャイデック(Rigi Scheidegg)に上がるロープウェイが出ている。ここから山頂までは30分ほどである。

 




*リギ山の登山鉄道を下るとアルト・ゴルダウへ行く。リギ・カルバートを左下へ下っていくとフィッツナウ・ヴェッギスへと行く。山頂からの斜面はなだらかなフィーアヴァルトシュテッテ湖側に反してツーク湖側は切り立った崖になっており,なかなかスリリング。眼下には周囲を囲む湖と行き交う船,大小の町,アルプスの山々などの美しい景色が広がっている。アルプスを眺めるのが目的なら朝早めに到着した方がよい。





さあ,リギ山へ向かうぞ!僕はチューリヒ駅に着いて駅でヤニを1本くらい,列車に乗った。セカンドクラスと言われ,言われるままに駅員の案内される席に座った。


これからの予定は以下である。

チューリヒ   7:07発==========アルト・ゴルダウ7:50着

   アルト・ゴルダウ 8:00発====登山鉄道====リギ・クルム8:45発

アルト・ゴルダウまでは1時間もかからない。窓を見たらものすごく天気が悪く今にも雨が降りそうだった。



*列車からの1枚。このように空は曇っていた。

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*もうすぐアルト・ゴルダウに着くぞ。この前方の山がリギ山と思われる。




アルト・ゴルダウに着いた。僕は昨日,スイス列車に自分で乗り切ったので列車の乗り方など簡単だと安心して余裕ぶっていたら,アルト・ゴルダウに着いたら,リギ・クルム行きの登山鉄道の場所がわからない!僕は着いたら目の前にでもあるのだろうと思い込んでいた。時間も10分もあるため乗れないはずがないと思っていたのだ!登山鉄道の駅が見当たらない!うろうろしていたらもう7:55分だ!あと5分しかない!これに乗り遅れたら次は9:10までない(1:10分もここで待ちぼうけになり大きく旅の計画がずれてしまう!)周りには朝早くまた天気も悪いせいか人がいない・・・すると横に白髪のおじいいさんが通ったので僕は慌ててこの人に尋ねた。

「Do You Speak English ?」

 おじいさんは


「little」と答えた。しかし,こっちが言っている意味を理解してくれない・・・
「リギ!あー,リギはこっちだよ!」

ようやく意味がわかってくれたみたいでリギ行きの登山鉄道乗り場の方向を指差して教えてくれた。

「センキュー!」

僕はお礼を言って慌ててその方向へ走った。すでに時刻は7:58分がきている・・・・時間がない!
しかしまっすぐ走ってもそれらしき登山鉄道駅など見当たらない・・・・7:59分!あと1分しかない!人がいない!すると・・・あっ!一人の女性が歩いてきた!

「リギ!リギ!」

僕が叫んだらその女性が
「リギ?リギならここをまっすぐに行って上よ!」

僕は会釈だけして全力で彼女が指した方向へ走っていった。すると,{RIGI}と書かれた赤い看板が見えた。

(もしや・・・これか!)

その看板の横にある階段を全力で上がった。するとガイドブックに“アルト・ゴルダウ行きからは青い登山鉄道”と書いてあったまさにこの青い列車が今にも出発しようかという音を立てて目の前に現れた!


*リギ行きの青い登山列車。8:00発でもう8:00になるかというぎりぎりの時間にもかかわらず僕は1枚写真を撮った。(どこにそんな余裕があったのだろうか・・)とにかくこの旅で1番慌てたのがこの乗り換えだった。(心臓が止まりそうになるぐらいあせった・・・)何とか間に合い乗った瞬間に出発した・・・。

*登山列車からの景色
リギ山の登山鉄道はスイスパスを持っているがやはり有料で帰りはフィッツナウ経由で43SFかかった。
(やったー!リギ山に着たぞー!晴れてくれないかなあ・・・・・)
 
アルト・ゴルダウ 8:00発====登山鉄道====リギ・クルム8:45発

の予定である。途中で駅は何箇所があるが山頂のリギ・クルムまでは約45分。右側はよく景色が見えた。しかし,天気は悪くて上に上るにつれて雪も積もっていて全然ダメ・・・・前の車掌さんの横に座って横から写真を撮った。列車は1つめのRigi Klosterliに停まった。下りて写真を撮った。
 
*駅から降りて撮った写真。このようにかなり雪が残っていて霧がひどくて景色が見えない・・・

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*青の登山鉄道。間もなく発車!列車にはほとんど人が乗っておらず僕の後ろにウォークマンを聞いていたサングラスをかけた女の子はここで降りた・・・周りにはなにもないところなのに・・・地元の子なんだろうか・・・・・・
 
上に行くにつれて雪の量が多くなってきた。途中の駅。ここはもう1604mもあるみたいだ。


列車は雪道をまだまだ登っていく・・・・


列車はリギ・クルム山頂駅に到着した。標高1752mの駅だ,やったー・・・と言いたいところだがこのざまだ・・・辺りは真っ白の真っ白・・・・霧が凄すぎて景色どころか山頂の建物も見えない(厳密に言えば歩くのも危ないぐらいの凄い霧だ・・・)人が一人もいない・・・・車掌さんは僕にどうして一人でこんなところに来たのだろう・・・・というような不思議な目で見ながら列車で降りていった・・・・。

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*山頂のリギ・クルム駅
雪と霧がひどくて景色どころではなかったが僕はとりあえずリギ山の山頂に来たという形跡だけでも残したかったので僕は頂上を目指した。山頂行きの看板と階段があったのでそこから矢印方向へ向かっていく。

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*何か碑がある。山の歴史を書いたものか・・・・雪がひどくて足元がすべる・・・・凄く階段が危ない・・・・おお・・・山頂が見えてきた。この展望台から見たらすばらしい景色が見えるのだろう・・・・(見ての通り真っ白で意味がないが・・・)


リギ山の山頂展望台



何も見えない・・・・




リギ山山頂は1797.5m。一応頂上には来た・・・・・(苦笑)


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何にも見えない。しかも天気が悪くて雪も多くて寒くなってきた。さあ,下に下りてホテルへ行こう・・・と思ったら霧がひどくて周りが見えない(帰り道がわからない)僕は慌てて来たであろうという道をたどっていったら何とかホテルの近くまでたどり着いた(遭難しかかった)周りには人が誰もいないため危ないなあ・・。



*リギ・クルム駅は線路まで雪がつもっている。




僕は駅から数分登るところにあるリギ・クルム・ホテルへ入った。女の人が一人いただけで僕は売店を目指した。(ホテルも誰も人がいない・・・・)さみしいな・・・しかし中は暖かかった。売店に行って絵葉書を買いまくった。きれいなきれいなリギ山の景色の絵葉書を・・今日の霧と天気で見えなかったので代わりに・・。売店の人と話したら夏は多いらしいやはり・・・


今日は残念だったね・・・と言われた・・・





レストランも誰もいない・・・


ここも晴れていてシーズンは人多いはず・・上でいても仕方がないので次の列車でフィッツナウへ降りることにした。



次の列車の予定は以下である。

リギ・クルム10:10発====フィッツナウ10:50着/10:52発~~~~ルチェルン港11:44着

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僕はフィッツナウからルチェルンに向かう湖船を楽しみにしていた。リギが見えなかったのでこれが唯一の楽しみになった。ホテルを出たら今度はガイドブックに書いてあった通りフィッツナウ行きへは赤の登山列車が駅に到着した。僕は駅で待っている人に写真を撮ってもらった。

 
真っ赤な登山列車とリギ・クルム駅の看板を背景に写真を撮ってもらった。僕は絵葉書がまだほしかったので駅の車掌さんに「ポストカード,プリーズ」と尋ねたら「今日は駅の売店は休みだ。下のフィッツナウに降りれば絵葉書買えるよ!」と教えてくれた。車掌さんがチケットに穴をあけようとしてきたので穴をあけないようにお願いした。(記念に持っておきたかったので)間もなく列車が出発。
 

列車はあいかわらずほとんど人がいない・・・。寒い・・・凄く寒い・・・とてもいやな気分になってきた・・・前の車掌さんはチョコレートを食べながら口笛を吹いていた。電車は古くスピードもかなり遅い(時速20~30kmだろうこのスピードは)


天気は悪かったがこちらの降りていく景色はきれかった。



すごくスイスらしい景色が見えてきた・・・


おっ,牛がいる!これはうれしい!



あの降りた湖畔にある町がフィッツナウだ!



おお!本当にスイスらしい家だなあ・・・。

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10:50分に湖畔の町フィッツナウに到着した。この町を少し歩きたいと思うのだが船の時間が10:52分なので時間がない。船は目の前なので今度は迷うことはないが時間がないので船へ急いで乗り込んだ。


VITZNAU

 


港から取った景色は美しい。この船に乗るる。フィッツナウ10:52発~~~







そして…










ルチェルン港  11:44着










ELLEGARDEN Salamander

 http://www.youtube.com/watch?v=e_qHyj9-CWs&feature=player_embedded
 Ellegarden - Fire Cracker
 Ellegarden - Gunpowder Valentine
 Ellegarden - Space Sonic[PV]
 Ellegarden - Missing
Thema:海外旅行
Janre:旅行

第4章 グリンデルワルト~憧れのユングフラウ

第4章 ~グリンデルワルト~憧れのユングフラウへ

 
興奮して本当に寝むれなかった(2時間寝むれていたらいいほうかな・・・・)何回も目が覚めた・・・凄い汗をかいている・・・・朝4:30ぐらいにホテルを出て全力でチューリヒ駅へ走った。外は真っ暗だ。

駅員の人に再び天気を尋ねたら

「グリンデルワルト,テュデイ,スノー アンド レイン 3デイ」

3日間雨と雪になるみたいだ。最も3月といえばまだ寒い時期なので仕方がない・・・しかし僕はもう雨が降ろうが槍が降ろうが行くしかないのでもう気にしないようにしてとにかくユングフラウを目指した。ここで購入したスイスフレキシブルパスの出番だ。僕は駅員にパスを見せたら3 16 と利用日を記入された。フレキシブルは乗車前に使用日を記入しなければならない。


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真っ暗な中からスイスの列車が来た。いわゆるICと呼ばれる列車である(インターシティ特急)スイスはICが中心である。エアコンも完璧で旅行者が最も利用する国内特急列車である。IC以上は予約が必要である。

(準特急にはIR,急行はSchneiizug,快速はRX,普通列車はRegioと呼ばれて分類されている)ICの時刻は公式時刻表で発表されているが,まれに時間変更する場合があるので前もって駅なので再確認する必要がある。インフォーメーションは駅でもらえる。またSBBとはスイス国鉄のことである。

主要駅には小さな時刻表が置いてあるがそれはもらってよい(最も今回僕はスイス国内すべてを記載した時刻表を持ち歩いているので必要はないが)ICは座れないことが多いので食堂を使う手もある。こつは主要駅ではほとんど人が降りるのでその時に席をすばやく確保することなど。しかし僕が行く時間は始発で早朝の早朝なので心配はないと思っていた。

列車に乗った。ほとんど人が乗っていない。安心した。
 
ICの中。新聞をサービスで配ってくれた。この列車はベルンで一度乗り換えるのでベルンの乗り場を乗っている人に確認で聞いてみた。

今日のこれからの予定は
チューリヒ5:26発=====ベルン6:45着/6:54発(列車)
インターラーケン7:50着/8:35発===グリンデルワルト9:09着(列車)である。

列車ベルンではゲート7番で乗り換えると教えてくれた。お腹がすいてたまらなかったところで列車の中におじさんがいきなりパンやジュースを売りに回ってきたのでクロワッサンとカプチーノを買った。値段がわからないのでおじさんにとりあえず10SF渡したらおつりをくれないで向こうへ行ってしまった。

(2000年4月のデータだが1SF=66円。660円だったらそんなものかと思っていた)するとおじさんが帰ってきて5.30SFおつりを返してくれて4.70SFのおつりをくれた。300円ぐらいだった。

クロワッサンはおいしくカプチーノで目が覚めた。真っ暗だったが,6:20頃ようやく薄暗くなってきた。もうすぐ夜が明けるな・・・晴れてくれないかな・・・・霧が凄くて景色が見えない・・・やはり雨になるのか・・・・・
列車の中は人が3人しかいなくて相変わらずガラガラだ。ベルンへの道でスイスらしい木の家がいっぱい出てきたので思わずカメラ、しかし霧が凄い!またほとんど家がなくて景色は田んぼばかり。これがスイス・・・思っていた通りだ・・・これからどんな美しい景気が見えてくるのだろう・・・・。

 家を見ていると煙突がある家があり煙が出ている。絶対に煙突の家など日本にないから驚いた・・・本当におとぎ話やアニメに出てくるスイスだなあ・・・しかしあいかわらず霧が凄すぎて写真は撮れない・・・・。


 まもなくベルンへ到着する。

6:45にベルンへ到着。しかし7番わからなかった・・・すると後ろの車掌さん7番まで着いてきてくれた。猛ダッシュで走り,6:54分発のインターラーケン行きの列車に乗り換えた。

しかしこの列車は2階になっていたのでクラスがあっているのか心配になった。ファーストか?!列車に若いスイス人のカップルが座っていたのでセカンドクラスか確認したら合っていた。ベルンの写真を撮っていたら車掌さんが切符を拝見しに回ってきた。「カメラOK」と待ってくれた。



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*かなり天気がよいのでは?雨と聞いたのに。ベルンで乗り換えて列車はずいぶんと走った。

列車はTHUNという駅に7:16に着き,7:18に発車した。この次の停車はインターラーケンで列車はそれまで停まらない。ベルナー・オーバーラントに入っているのか・・あっ,これがアルプスの山ではないか?ふと白い山が見えてきた。列車が早くてまたこの美しい雪山は建物が入っては消えて入っては消えるのでなかなか写真に撮れない。駅に着く寸前でやっと1枚とれた・・・ん?なぜ駅に停まる?インターラーケンまで停まらないはずなのに・・・SPIEZという駅に停まった。真っ青になった(間違って違う列車に乗ったのか!)

 (この公式時刻表間違えているぞ!)隣の女の人にこの列車はインターラーケンに7:50に着くのかどうか聞いてみたらきちんと着くようだ。(時刻表に載っていない駅に途中で急に駅に停まったからびっくりした)
まあ,スイスではよくこういうのもあるのだろう。インターラーケンに着くなら別にどうってことはない。

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天気はめちゃめちゃ快晴になってきた!これならもうインターラーケンに近いので天気は大丈夫だ!綺麗!山が綺麗すぎる!列車が早くて撮りにくいが何とかスイスらしい綺麗な山の写真が撮れた。

“スイスアルプスのほぼ中央“ユングフラウ”などの名峰の存在するベルナーアルプスとこの周辺の一帯をベルナー・オーバーラントと呼ぶ。(ドイツ語でベルン高地の意味)氷河に削られた4000m級の山々と緑濃いアルプ(牧草地),谷に点在するシャレー(山小屋風の木造家屋)そしておもちゃのような登山列車。これらが織り成す景色はまさに絵のようだ。本当のスイスへようやくたどり着いた気がした。

この地方の主役は“アイガー”、“メンヒ”、“ユングフラウ”の秀峰3山から成るベルナー・オーバーラント三山である。世界でも屈指の景勝地なので,交通の便もとてもよく,ロープウェイや登山鉄道が氷河も断崖絶壁も飛び越えて,世界中の観光客を最高のパノロマヘと運んでくれる。このベルナー・オーバーラントの中心が次に到着するインターラーケンである。インターラーケンはチューリヒから訪れる場合,ベルン経由の特急が1時間ごとに走っていて,所要約2時間15分。一方,ルチェルン経由の路線は峠を越え,湖畔を走る美しいルートだが,チューリヒからは約3時間かかる。(それで今回僕はベルン経由の短いほうを選択した)ベルン方面からの列車はます,街の中心地であるインターラーケン・ウェスト(WEST*西)駅に停まってから一駅次のインターラーケン・オスト(OST*東)駅に停まる。グリンデルワルトへ行くにはOST駅から登山鉄道が出ている“

SPIEZ(シュピーツ)から走っていると左手にそれはそれは絵に描けるような美しい湖が見えてきた。あまりに綺麗なので席を離れて窓にしがみついて写真を撮った。湖がずっと眺められる。この湖はトゥーン湖と呼ばれる。この先にインターラーケン・ウェスト駅に列車は停まった。こちらが中心地ではあるが,今回の旅行はグリンデルワルドへ向かう登山列車に乗るためこちらのウェスト駅に用事はない。列車はしばらく停まってまた走り出した。そして終点である,インターラーケン・オスト駅は次の駅である。早朝のチューリヒを5:26分の列車に乗ってついにユングフラウのふもと駅まで残る一駅。憧れのアルプスはもう目の前だ。

 (5:26分がずいぶん昔に感じるなあ・・・・・)

これからの僕の訪れる場所はスイスのハイライトともいえるスイスで最も有名でそしてアルプスらしい景色が見えるベルナー・オーバーラントのルートである。ここまで見ていただいた皆様にもこの地のルートを少しご理解いただいたほうが先も読みやすいと思う。ここで著者はパソコン写真で見にくいかもかもしれないがわかりやすくするために少し地図でベルナー・オーバーラントをご案内する。

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*上はスイス公式時刻表から取り入れた列車図である。


インターラーケンの左下にWESTと書いているのがWEST駅。その左の10という数字の上がトゥーン湖だ。この湖がとにかくきれい。OSTからWILDERSWILを左下の312へ走りグリンデルワルトへ。グリンデルワルトの真下にKL.Scheideggという駅を右上に上るとユングフラウヨッホ駅である。
 
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右下がヴィルダースヴィルであり,この右下から列車はシーニゲブラッテを経由してグリンデルワルトへ行く。

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グリンデルワルトで乗り換えてクライネ・シャイデックへ。ここでも乗り換える。

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クライネ・シャイデックからはいよいよアイガー・メンヒ・ユングフラウの絶壁の登山鉄道へ向かう。“トップ・オブ・ヨーロッパ”は3454mのユングフラウヨッホ駅。ここより3名峰を展望したい。上記3部画像 《地球の歩き方 スイス2001年~2002年度版》より


2001年3月16日午前7:50分。ついにインターラーケン・オスト駅に到着した。しかし,駅の周りは何にもなかった。あまりに田舎というかさびれたところでここからはアルプスも何も見えない。まあ中心地はウェスト駅でここは登山鉄道の上り口駅だから無理もないが(それにしてもがっかりした場所だった)

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グリンデルワルト行きの登山列車は8:35分。45分もあるので少し散策しようと思ったが何もないし,あまり遠くに行って列車に乗り遅れてもいけない。とりあえず駅に行ってグリンデルワルトの行き方を聞いて絵葉書を買った。(21SF,1,200円分なので大量に買った。帰ってアルバムにしたかったから。僕が撮ってくる写真より絵葉書がずっと綺麗からね)駅の前に大きな建物があって開いていたので入った。スーパーだったので入った。中にはお菓子や日用品,野菜やパン,果物や飲み物が置いてあったがどれもこれもスイス製で日本ではみたことがないようなものが多かったので珍しく時間が過ぎるのが早かった。

写真を駅前で撮ってもらいたかったのでおばさんに言ったら断られた。自転車に乗っている帽子をかぶっているおじさんに頼んだら自転車から降りて写真を撮ってくれた。センキュー!あと山も背景に撮ってもらった。
 
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板と地図              

これがインターラーケン駅である。

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ここが時間を潰した駅の前の大きな建物。中は珍しい品物がたくさん!チョコレートやお菓子が充実していた。ポテトチップスとオレンジジュースを買った。写真から見て頂いたと思うがさびれているでしょ?本当何にもない(別に文句言っているわけではない。想像と違っただけである)

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いよいよグリンデルワルトへ向かう。“世界で最も美しい村”と言われているグリンデルワルトとユングフラウが今回1番の目的であるのでグリンデルワルトではたっぷり3時間,観光時間を取っている。インターラーケン・オスト駅に入ると,Aがラウターブルンネン,Bがグリンデルワルト行きになっていた。眼鏡を掛けているおじいさんがずっとつきっきりで教えてくれた。時刻はもうすぐ8:35分。
いよいよグリンデルワルトへ出発だ!

列車の中を1枚撮った。

グリンデルワルト方面は人が少なかった。しかし,ラウターブルンネン行きはスキーの人で人がいっぱいだった。空いているのでラッキーだと思わないと。登山鉄道で登りだす。ゴット,ゴット,ゴット,・・・・・
トンネルがとても多いので途中から電車に電気が着いた。だんだん冷えてきた。だんだん耳も痛くなってきた。(列車に乗っている人はおじいさんやおばあさん,高齢者の人が多かった)あっ綺麗な山が見えてきた・・・

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凄く大きな山を目の前にした・・・壮大だ!スケールに圧倒されるばかりだった。

真っ白な山が見えてきた。もうすぐ憧れのグリンデルワルトへ着くぞ!

2001年3月16日9:10分。ついに“世界一美しい村”グリンデルワルトへ着いた、やったー!

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山あいに上がる登山列車がもうすぐグリンデルワルトへ着こうかという頃,急に右手に巨人のごとき山塊がぬっと現れる。“アイガー”の登場だ!3,970mのアイガー(Eiger)が僕を出迎えてくれた。アルピニストの夢が詰まったこのグリンデルワルトはハイカー達の憧れの地。雨雲が切れたらゴンドラへ,山の斜面を埋め尽くす高山植物,グリンデルワルト拠点のハイキングコースは様々だ。眺めの良いレストランのテラスで快晴の下でアルプスを眺めながら食事をしたい。僕は到着後,チェックしていた日本語観光案内所へ走った。ここで観光資料と情報をもらった。僕はチェックしていた“First(フィルスト)2171m”のグリンデルワルトから最も近くて絵画的なパノロマとして人気の高い展望台へと向かうことにした。

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グリンデルワルトを背景にした写真。顔はかなり疲れている・・・

町並みは美しい。首都ベルンシンボルの熊の旗もあった。

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教会とヴェッターホルン。よく絵葉書に登場する風景だ。この教会でもバックで写真を撮ってもらった。このあたりがグリンデルワルトの中心地だ。30分もあれば1周できるほど小さな村である。

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グリンデルワルトの観光客は年間で100万人以上と言われている。レストランだけで50軒以上。古くから多くの日本人登山家に愛されてきた村で今でも日本人観光客が驚くほど多い。僕が目指すフィルスト行きのゴンドラリフト乗り場は駅から東へ徒歩10分。フィルストは往復2時間もあれば十分いける。
予定は以下である。

◎世界一美しい村グリンデルワルトを散策(3時間)*フィルスト展望台を往復してアルプス見ながら昼食。
グリンデルワルト12:05発===クライネ・シャイデック12:42着/13:02発
ユングフラウヨッホ駅13:53着(トップ・オブ・ザ・ヨーロッパ)
12:05分まで3時間切っているので急がないといけない。本当ばたばたして大変な旅だ・・・一人ぼっちで誰も助けてくれないから時間の遅れだけは許されない。頑張るんだ!


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乗り場に到着したが凄い人だ・・・さすがはお花畑に囲まれた人気のある展望台と言われるフィルストだ。


このゴンドラで乗っていく。チケットを買うのにはかなりの人と日本語が通じないということでチケットの購入に手こずった・・・とにかく時間があまりないので僕はもうこの旅行は到着してからばたばただ。フィルストはグリンデルワルトから行ける最も近い展望台である。本来はバッハアルプゼーという標高2,265mの山上湖まで到着したらハイキングに行きたい。すばらしい景色の有名な観光名所であるから・・・・。

ここでフィルストについて少し解説する。僕はグリンデルワルトの自由散策に3時間はここを観光することが1番の目的とした。フィルストは往復だけなら2時間でいけるアルプスが見渡せる高台である。グリンデルワルトという村はハイキングの拠点とする村で本来ならグリンデルワルトから半日ほどかけて,フィルスト→バッハアルプゼー→フィルストというハイキングコースが人気で行きたかったのだが今回の旅行ではとても時間的に厳しいため,僕はフィルストに行ってまたすぐに帰ってくることにしている。フィルストについて以下に解説する。

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上の本はグリンデルワルドを拠点とする周辺の山のハイキングコースを解説した本である。1,800円。
少し料金は高めだが写真が凄くきれいなのが特徴。オールカラーでプロのカメラマンが撮影している本であるから(山と渓社 著者 小川 清美 *写真家)。スイス旅行の前に購入したが今回の旅行には持って行ってない。(実際グリンデルワルトのハイキングは今回の旅行では不可能だったが,参考として買った。非常に綺麗な写真と詳しい解説が書かれている。グリンデルワルトにハイキングする方は必須の本だ)この本を中心にフィルストのハイキングコースを解説したい。


First(フィルスト)・・・・・・グリンデルワルトに滞在するなら真っ先に訪れたい場所。村の奥に注ぐミリバッハの沢に接する高台。標高が高いので6月半ばくらいまで雪は残るが7月にはいると牧草と一面に黄色いパウダーをまぶしたように花が咲く山上の別天地。ハイキングの起点・終点にも当たりメインストリートから直接リフトで行けるため魅力的。ゴンドラリフトは途中,ボルト1,570m、グリンデル1955mをえて,3区間になっているが終点まで行く場合は乗り換え不要(所要約20分)。登りだすと市街地からは見えない下氷河がアイガーとメッテンブルクの間に見えてきて登るにつれて上氷河の全容を現す。終点にはレストランがありヴェッターホルンからアイガーなどの眺めは午後がベストである。

 
《交通》・・・・・麓からのゴンドラリフトは8:30(スキーシーズンは8:00)始発で,フィルストからの最終は17:30(スキーシーズンは18:00)。晩秋と4,5月は運休あり。
(料金は私が買ったときは往復チケット《グリンデルワルド~フィルスト~グリンデルワルド》で35SFだった。日本円で約2,300円といったところか。後でチケットの写真を載せる)

フィルスト→バッハアルプゼー(歩行時間約2時間30分)
グリンデルワルド駅前――徒歩10分――フィルスト行きテレキャビン乗り場===リフト約30分=== 

フィルスト駅―――徒歩70分―――◎バッハアルプゼー(観賞)―――徒歩70分―――フィルスト駅=


==リフト約30分===―――徒歩10分―――グリンデルワルド駅前
以上のような時間である。(トータル約220分なのでグリンデルワルド駅往復では約4時間かかる。最初はここに行くことを予定していたが,チューリヒからの始発列車時間とユングフラウ観光時間を考えたら厳しかった。しかもハイキングの山コースを一人ガイドなしで歩くのはもし道に迷ったら,何かあったときの危険性を考えて断念した。*最後の最後まで行こうと計画はしていたが・・・今度ぜひ行きたい場所の一つである)

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*こちらはスイス観光局から取り寄せたパンフレットの写真

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*景色がすばらしい。しかし,標高が一気に高くなったから息苦しくなってきた・・苦しそうにしていると一緒に乗っていた赤い服を着ていたおばさんが「調子いける?」と優しく尋ねてくれて窓を開けてくれた。

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フィルスト頂上到着! あたり一面は白銀世界だ!最も3月だから当然だが・・・まばゆいぐらいきれい・・・快晴のため寒くはない。
 


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僕はチェックしていたフィルストの山々を展望できるテラスのあるレストランへ向かった。(レストランに行くとゴンドラに乗った人もいた。みんな目的は同じだな・・・笑)銀世界過ぎて目をまともに開けていたらまぶしすぎるぐらい。本当に天気が良くて暑いぐらいだ。これが標高2171mなのか・・・リフトの中のほうが寒かったかもしれない。もっとも1991年まではヨーロッパ最長のペアリフトとして知られていたぐらいなので当時はもっと寒かっただろうが・・・。


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レストランに着いた僕はメニューをもらった。当然全て英語だがこの旅行,食事を忘れるぐらいハードなので野菜を取ってなかったのでトマトジュースと野菜ハムチーズ頼んだ。するとパンも出てきた。チーズなどはおいしかったが,日本にないこのなにかわからない野菜の味は・・だった・・。パンは持って行くことにした。
 
レストランの正面から見た真っ白い山。名前はわからないが・・・・。

テラスはこのようになっている。まだ少し早いせいかテーブルには人は空いていた。

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このようなレストランである。3月で雪が多いので新緑の山を見ることはできなかったがそれでも山々の景色は美しかった。そして,僕はこのレストランの売店で帽子とサングラスを買った。せっかくスイスに来たのだからハイカーとしての記念として。(今はこのサングラスと帽子どこにいったかわかりません・・・しくしく・・・)本来であれば前述の通りこれよりバッハアルプゼーに行きたかったが,今回はここの展望台で食事ができただけで満足したのでこれでフィルストを降りることにした。次のグリンデルワルト発は12:05分。
 

下りは目的達成のため時間が落ち着いている感じ。


帰りのゴンドラは一人で乗っていたが,途中からスキーをしていた小学生中学年ぐらいの男の子1人と女の子4人が乗ってきた。すごいスキーの格好だった。何か話をみんなでしていたが何を喋っているのかわからない・・・恐らく英語でないことは確かだった・・・(ドイツ語かどこか別の国の言葉か。地元の子でない可能性もあるからねえ)。みんなはしゃいではしゃいでにこにこ笑顔で話をしていてかわいかった。一人の子が僕のサングラスをさわりたそうに,指差して来たので貸して上げたら,みんなで触って喜んでいた。無邪気だなあ・・・笑。
 
あっ・・・。パラグライダーだ!かっこいい!さすがグリンデルワルト!子供たちも真剣に見ている。


グリンデルワルトへ再び到着!(帰り一人の女の子が手袋をリフトに忘れていった。凄いスピードで走って行ったので慌てて走って持っていた。「サンキュー!」「グッバイ!」おや英語を使ったな・・・)
 
降りてきて,行きは慌てていたため,グリンデルワルトのスイスらしい風景を取り損なっていたのでここで一枚。どうですかこのすばらしい風景は。まさに羊や牛が出てきそうでしょう?

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☆あっ,牛が出てきた・・・やったー・・・と言いたいところだが一つ上の写真は右下に日付があるのにこの写真は日付がないことに気づいた?そう・・・これはおなじみの絵葉書写真。グリンデルワルトの売店で買った。このような牛がいることを望んでいたが冬なのでまだ牛はいないらしい・・・残念・・・もー。

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☆サービスでもう一枚お気に入りの絵葉書写真。天気もこの写真は快晴。旅の思い出の絵葉書はやはりプロが写しているので僕とは違うなあ・・・。


グリンデルワルトメインストリートの町並みに戻ってきた。もうすぐ12:00が来る。ユングフラウ行きの登山鉄道は12:05発のためもうあまり時間がない。登山鉄道を出る前にもう一度日本語観光案内所へ行った。広島旅行会社Hさんは帰りのスイス航空チケットのリコンファームはしなくていいと言っていたが,ずっと気になっていたので日本語の話せるここのスタッフに聞いてみた。すると,「リコンファームはした方がいい。」と言われたため,念には念を入れて電話することに。

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ここでテレホンカードを買った。ここで話を聞いていたら,驚くべき事実がわかった・・・
グリンデルワルドは昨日まで1週間以上雨と雪で全く山が見えなかったという・・・こんなに快晴になったのは本当に何日ぶりからしい・・・。僕は本当にラッキーだったと言われた・・・そっか・・そうなんだ!
やっぱり朝からこのように快晴で不思議に思っていたが,こんな快晴はそうそうあるものではないみたいだ。雨が降ってなくても雲がかかって山が見えないことも多いらしい。スタッフの女の人が「あなたは本当に運がいいわね」と言う・・・。このスイス旅行,1年以上も計画した僕のために晴れてくれたと思った。


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「ありがとうございます。」そしてユングフラウ行きの時刻表とヨッホのアドバイスをくれた。

スイスのテレホンカードは堅い厚紙になっている。日本みたいに薄くなく,また磁気カードではない。ただし左の写真を見てもらってわかるがICチップが付いている。買ったカードは10SF(約660円)だった。

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日本語観光案内所を後にして僕はグリンデルワルト駅へ向かった。もう登山鉄道を乗ればこの村に降りることはない。3時間の滞在だったが楽しかった。最後に振り返ってもう一度村の写真を撮った。
グリンデルワルト駅到着!さあ,いよいよこの旅で一番の目的としているユングフラウへもうすぐだ!

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上のユングフラウ行きの駅員と見られるおじいさんにチケットを求めた。すると「12:03は時間がないから急いで,チケットは中でも買えるよ,ユングフラウヨッホに行くならクライネ・シャイデックで乗り換えるんだよ!」と言ってくれた(こんな忙しい状況なのにこの人の写真を撮る余裕があったのか・・・・後で思ったらおかしいなあ・・大笑)

これからの予定は以下の通りである。


グリンデルワルド12:05発===クライネ・シャイデック12:42着/13:02発
ユングフラウヨッホ駅13:53着(トップ・オブ・ヨーロッパ)
◎世界自然遺産登録.アルプス3大名峰ユングフラウを観光~スフィンクス展望台~
ユングフラウヨッホ15:00発


今のところ,予定に狂いはなしで順調だ。何とかここまで一人で来れたんだ・・・


行くぞー!


僕は列車に乗り込んだ。乗り込んで車掌さんにチケットを求めたら,手書きでチケットを書いて売ってくれた。(グリンデルワルトまでは日本で購入したスイスパスでお金は全くかからなかった。しかし,グリンデルワルト~ユングフラウヨッホまでは独自の登山鉄道のため,スイスパスの無料乗り放題効果は使えない。しかしスイスパス購入者には割引がある。実際の購入価格はグリンデルワルト~ユングフラウヨッホでの往復料金が142SFする。日本円に直して約9,500円。けっして安くない価格だ。しかし僕はスイスパスを見せると35SFで購入できた。約4分の1の値段だ!スイスパスは登山鉄道割引と書いていたので割引になるとはわかっていたがこれまたラッキー!なにか得をした気分です,うきうき!)

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電車で購入したユングフラウヨッホ行きチケット。手書きで書いてくれた。35SFと右上に書かれている。
ユングフラウヨッホ(トップ・オブ・ヨーロッパ)

スイスの人々は本当に凄いことを考える。日本ではまだ汽車の時代,京都に始めて電気鉄道というものが登場した1895年(明治28年)に,この小さな国では,アルプスの岸壁に穴を空けてヨーロッパの屋根の上まで列車を走らせる工事が始まった。最大勾配25%のトンネルを掘り,線路の間に歯車を噛ませ,1912年に“世界最高地”の駅が開業した。16年の歳月をかけて夢は現実となった。全長7.1kmのトンネルを抜けて3454mの高みに立った人々が見たものは,乙女(jungfrau)の透き通る長い髪,ヨーロッパ最長の“アレッチ氷河”だ。2007年にユングフラウはアルプスで最初の世界自然遺産に登録された。


ユングフラウヨッホはまさにスイス観光でのハイライトである。スイス旅行で絶対に訪れるべき場所と言っても過言ではない。ベルナー・オーバーラントのアルプス山々の王者である“ユングフラウ”の真の姿はここでないと見ることはできない。そんな特別な登山鉄道なので運賃は決して安くはないが一生涯のうちに一度だけでも絶対に自分の目に焼き付けておきたい・・・今日,これより僕は16年もの歳月をかけて先人たちが築き上げた由緒あるこの登山鉄道の頂点を目指す。


ヨーロッパ最高地に位置する駅を中心として広がる「ユングフラウヨッホ―――トップ・オブ・ヨーロッパ」
そしてアレッチ氷河――そこは遥かなる白銀の世界。この大いなる自然が僕の心を揺るがすのだ・・・。


電車を出るとグリンデルワルトがどんどん小さくなっていく・・・これでもか,というぐらいに山は急斜な登り方をしてどんどん上へ上へと登っていく。次の駅はクライネ・シャイデックだ。12:03にグリンデルワルトを出発して12:42に到着する。グリンデルワルトからは約40分といったところだ。グリンデルワルト~クライネ・シャイデック~ラウターブルンネン間のユングフラウ鉄道(ヴェンゲンアルプ鉄道WABとも呼ばれる)は1893年に開業。それぞれ谷から上ってきた電車はクライネ・シャイデックが終点になる。すべての列車がもと来た方向へ戻っていく。最大勾配25%を上り下がりするため,上りは機関車が後ろから押し上げ,下がりは前で踏ん張らなければならないため,反対側の谷へ下ることができないのだ。

グリンデルワルド側はアイガー北壁,ラウターブルンネン側はユングフラウの氷河がすばらしい。行きと帰りのルートを変えれば両方の景色を楽しむことができるので今回僕は行きをグリンデルワルト側,帰りをラウターブルンネン側の鉄道を利用する予定である。
      
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クライネ・シャイデック
標高2061mのクライネ・シャイデックは西周りのラウターブルンネン,東回りのグリンデルワルト経由の場所である。クライネ・シャイデックとは“小さな峠”の意味。ユングフラウへの乗換駅として通過する人が多いがこの場所は実にもったいない場所なのである。ここは手に届きそうなほど間近に三山(アイガー,メンヒ,ユングフラウ)に迫り,山塊の大きさと岩肌の感触を確かめることができる,とびっきりの場所である。レストランなどの望遠鏡から覗いた線路を渡った丘の上には小説家*新田治郎の碑がある。


(*新田治郎・・・・・1912年長野県生まれ。気象庁に30年間勤める。山を愛した作家。1956年に直木賞を受賞。1961年から数回にわたってスイスに訪れ,『アルプスの谷 アルプスの村』,『アルプスの北壁』などを執筆。死後,婦人のよってほどよく愛したアイガーの見える場所に碑が設置された。)
またこの場所は三山を展望できるハイキングコースがそろっていている。

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クライネ・シャイデックへのこの登山鉄道の列車はさすがに人が多い。しかも国籍は様々だ。恐らくこのほとんどの人がユングフラウを見に行くのだろう・・・(前述で述べたようにクライネ・シャイデックで降りる人は少ないだろう)ああ,長いトンネルだ。そして,クライネ・シャイデックに到着した。12:42着。


駅を出るとスキーをしている人がたくさんいた。さすがは2061mの駅だ。最終のユウグフラウ行きの列車は13:02分。20分時間がある。駅は少し歩いた場所に乗り換えていくことになる。
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列車の通るレールにも雪が積もっている。

あっ,日本人だ!背の高い日本人の女の人がいたので写真を撮ってもらった。ヨッホ行きか尋ねたらその人も行くみたいだ。「すごくまぶしいですね」ああ,やっぱりふるさとの日本語が一番いいなあ・・・・・・・・
僕はアイガーを背景に写してもらった。


「列車に乗るときは進行方向に向かって右側がいいよ。あと電車は13:03出発よ。13:02発の時刻表は古いみたいよ。お気をつけて」

「わかりました。どうもありがとうございました。」


出発時間までもうあまりない。僕はアイガーを眺めながら,次に乗る列車の駅に向かった。(それにしても,ここはスキーの人がすごく多いなあ・・・・みんなこの辺りまですべりに来るのか・・・やはり西洋風の人が多かった,地元の人も多いのだろうな・・・)
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クライネ・シャイデックの乗換駅。この駅を出発するとユングフラウだ!


列車が到着!さあ,ユングフラウは目の前だ。僕はこのとき,スイス旅行で最も興奮した。早朝からチューリヒを5:25に出発して現在13:03分出発時間!“トップ・オブ・ヨーロッパ”に王手を掛けた・・・
ユングフラウヨッホ到着は13:54着予定。


いよいよ“トップ・オブ・ヨーロッパ”・・・・・・・・・・



ユングフラウ鉄道
19世紀末,鉄道ラッシュに沸くヨーロッパで,ユングフラウの山頂へ観光客を運び上げるルートを作ろうという計画が持ち上がった。各国の技術者が競って計画を発表。なかには麓から山頂まで一直線にトンネルを掘るプランや,ロープウェイを架けるプランもあった。しかし,最終的には山頂ではなく鞍部“JOCH”までシュラブ式ラックレール(単純な歯車式の登山鉄道)を通す案が議会を通過する。そしてついに,1895年に工事が始まった。


 1895年といえば,まだ鉄道が電化(1888年)されて間もない頃である。インターラーケン~グリンデルワルト間さえ,まだ蒸気機関車だった時代に,ユングフラウ鉄道の計画は当初から電力を利用するものだった。理由のひとつは,全長9.3kmのほとんどがトンネルという点にある。最大勾配25%というトンネル内で,煙を吹きながら客車を後ろから押し上げるのは無理があった。またラウターブルンネンの谷で水が容易に入手でき,水力発電を行うメドも立っていた。


 日本のトンネルは水との戦いと言われるが,こちらは硬い岩盤と永久凍土に悩まされた。着工から3年の経った1898年に部分開業したが,やがて予算も続かなくなり,難工事に遅れ,アイスメーア駅“Eismeer”から先の区間を建設するのに7年もかかっている。工事は真冬も休みなく進められた。冬は下界から隔離されてしまうので,氷に閉ざされる前に,約300人の労働者の食料を運び上げて氷河のクレバスに貯蔵し,春まで凌いだという・・・
 

こうして16年の歳月をかけて,1912年,ついにユングフラウ鉄道は開通した。アイガー北壁の初登より26年も前のことだ。


 現在,ユングフラウ鉄道は機関車5台,客車14台,ユングフラウヨッホで使う水を運び上げる水タンク車などを所有しており,年間50万人近い観光客を365日休みなく「トップ・オブ・ヨーロッパ」まで運んでいる。開通以来,100年近くも走り続けている。


こちらはユングフラウヨッホで買った絵葉書写真。


ユングフラウヨッホへの道のり


ユングフラウ鉄道は,その3/4がトンネルの中である。(まあ,このおかげでどんなに強い雨や雪が降っても365日運行できるのだが)


クライネ・シャイデックを出た列車は,右手にユングフラウの氷河や,遠くの崖の上に乗っかったミューレンの村,左にヴェッターホルンとグリンデルワルトの村を見下ろしながらアルプの中を行く。しかし,アイガーグレッチャー駅Eigergletscher(2310m)を出ると後はアイガー,メンヒの胎内をひたすら上がる。


途中,停車は2回ある(下り列車は通過)。まずはアイガーヴァント駅Eigerwand(2865m“アイガーの北壁”の意)。ここはまさにアイガー北壁のど真ん中である。映画「アイガー・サンクション」(1975年)のクライマックスで,北壁から墜落したクリント・イーストウッドがぶら下がっていた場所である。現在でも登山者の緊急避難場所であり,また救助隊の出発場所にもなっている。幾多のアルピニストの命を奪った絶壁が列車の窓から見える。遠くはグリンデルワルトの谷も眺められる。この駅の停車時間は5分だが心臓の弱い人は走ると危険。思いのほかの標高の高さである。


次の停車駅アイスメーアEismeer(3158m。“氷の海”の意)はちょうど山の向こう側。ここで初めてユングフラウはじめ三山の裏側を見ることになる。風景は一変して氷の世界へ・・・足元に見えるフィッシャー氷河は,アイガーとメンヒの間を流れていて,実はグリンデルワルトのグレッチャーシュルフトの源流でもある。正面左にはシュレックホルン(4078m)も姿を見せている。
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この写真はアイガー(クライネ・シャイデック出る最後に撮影した。真っ白の壮大な山アイガー。
頂上に向けて列車は動き始めている。


 クライネ・シャイデックを出た列車はどんどん急斜を登っていく・・・辺り一面はまさに白銀の世界。多国籍の人々が頂上の“ユングフラウ”に向かいこの列車に乗っている。前のおじさんは窓を開けて叫んでいる。


「ファンタスティック!(なんて幻想的なんだ!)」


列車は右に乗って本当に正解。右手にはユングフラウの氷河,そしてついさっきまでいた世界一美しい村であるグリンデルワルトがさらにどんどん小さくなっていく・・・途中,アイガーグレッチャー駅で停車。

その後,再び列車が登り始めて,心ときめかしている僕にさらなる感動が訪れた・・・・ユングフラウ鉄道のアナウンスはドイツ語,フランス語,英語,イタリア語,韓国語,その次に日本語が流れたのだ・・・ガイドブックで読んでいた通りだった。スイスに来て以来,列車案内で日本語案内はなかったのだがこのユングフラウ鉄道で初めて日本語のアナウンスが流れた。

時刻は13:25分。クライネ・シャイデックを出て約25分が来る頃だった。


 「次に停車します駅は世界的に有名な標高2865mの駅で“アイガーの壁”の名前を意味するアイガーヴァント駅です。この駅はアイガー北壁の真ん中に位置し,アイガーの絶壁を眺めることができます。この駅で列車は5分停車致します」


この日本語に何か懐かしさを感じて安心した・・・停車はわずか5分。僕は速攻で列車を降りて走っていった。周りは一面の銀世界・・・・・この3970mの世界的に有名な“アイガー”の向こう側はさらなる標高のある“メンヒ”4099m,そして“ユングフラウ”4158mが僕を待っている・・・・時間は5分しかない・・・僕は写真を即刻で写しに行く・・・・。

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駅の外は銀世界。

 
標高2865mではアルプスの山々が見渡せる 
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*アイガー北壁(アイガーの恐るべき絶壁の氷河である。この絶壁は幾多のアルピニストの命を奪った。)

*アイガー北壁(上記2枚は僕のお気に入りの写真です。自然ってすごいでしょう?)


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写真を撮り終えて列車に戻ってきた。列車は再び走り出す。すると,僕は一人の外国人に尋ねられた。



「Are You Chinese ?」

 中国人と思われていた・・・・(苦笑)この外国人はベルギーの人。ユングフラウを見るためにはるばるベルギーからやってきたのだ!(まあ僕のほうがもっと遠い日本からやってきたのだが,本当遠かったよ・・苦笑)よくいろいろな山を登っているみたいだ・・・そして昨日まで1週間以上天気が悪かったと言われた・・・話に弾んでいるうちに再び日本語のアナウンスが流れた。

「まもなく標高3158mのアイスメーアEismeer駅に到着します。氷河が崩れ落ちると言われるこの駅から見える,美しい氷河をどうぞご覧下さい。」


真っ暗な長いトンネルを抜けると次の停車駅であるアイスメーアEismeer(3158m。“氷の海”)。この駅はまさに氷の世界だ。この氷河をフレッシャー氷河と呼ぶらしい。この眩しすぎる美しい氷河を見た僕は自然の美しさ,素晴らしさ,そして恐ろしさに身を持って感じた。地球にこんな美しい場所があるんだ・・・・スイスのアルプスは大自然の緑色の山を想像していたがこの標高のレベルになると万年氷河である。


 僕は,この駅で写真を撮って帰ってきたら,前に座っていたベルギーのおっちゃんがユングフラウヨッホのパンフレットを取ってきてくれた。これはいい記念になるな・・・・

「センキュー!」

 

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*パンフレットは英語や韓国語,ドイツ語やフランス語,そして日本語が書かれている。良い記念になるよ。


列車に5分停車後,再び出発。もう駅はただ一つしかない。終点駅であるユングフラウヨッホ“トップ・オブ・ヨーロッパ”である。いよいよトップ・オブ・ヨーロッパ,ユングフラウヨッホだー!次の駅を見るために1年も計画した・・・この快晴に神様に感謝したい・・・頂上で僕は何を見るのだろう・・・何を思うのだろう・・・。











そして・・・












2001年3月16日13:54分














ついに“ユングフラウヨッホ”に列車が到着した・・・




























僕は“トップ・オブ・ヨーロッパ”へ来たんだ・・・






 http://www.youtube.com/watch?v=dX0luNR056w&feature=player_embedded
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第3章 旅立 スイスの玄関都市“チューリヒ”へ

第3章~旅立ち~スイスの玄関都市“チューリヒ”へ


今日,僕はスイスへ旅立つ。親父が広島に来てくれて先日の3月14日に広島の引越しも終わらせ,友人やお世話になった方々に最後の別れを告げ,広島を最後にした。親父が関西国際空港まで車で送ってくれた。

「気をつけて行って来いよ!パスポートは絶対になくすなよ!頑張れ!」

飛行機は13:25出発なので空港へは11:30頃に着いて搭乗券のチェックイン。親父は心配なのか最後までチケットを自分が手にとって確認する。57歳で亡くなった父がこのときは元気で見送りもしてくれた。頼んでもいないのに空港まで車で来てくれたのはありがたかった・・・

「ありがとう,それでは行ってきます!」

 出国ゲートへ僕は向かった。胸が高鳴る。念願のスイスのアルプスへ行く・・・出発ゲートでは興奮がやまなかった・・・・。13:25出発のため,まだ時間が十分あるため,持ってきたスイスのガイドブックを繰り返し読んだ。そして,飛行機のゲートを窓口で眺めながらタバコを1本吸った。


 「スイス空港をご利用のお客様へお知らせいたします。13:25発チューリヒ行きの搭乗が間もなく始まります。ご利用のお客様は搭乗口へお越し下さい」


ビールも買って飲んで僕は

「よっしゃー!行ってくるぜ!」

と一言叫び,搭乗口へ入る。席に着くととなりには僕よりは年上と思う西洋風の男性が横に座った。僕は窓側だった。



ブーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ 



飛行機が離陸する・・・・・・(一人だが無事に生きて帰って来られるよな・・・・)空を見ながら思った。



上空は3月でもあったせいか本当に寒そうで機内も寒かった。となりに男性はスペインに向かう28歳の男性だった。チューリヒへ向かい,乗り継いでスペインに行くらしい。彼は日本語をほとんど喋れないので片言の英語と筆談で話をした。僕らは二人とも一人ぼっちだったので会話がはずみ,楽しい飛行機旅となった。外を見れば日も暮れてきたがまだまだスイスは遠い。

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長い・・・・飛行機が長すぎる・・・・13時間は地獄だった・・・最初は興奮していたが次第に耐え切れなくなってきた。しかも機内は寒すぎるし・・・隣の男性も無理やり寝ているが寝むれそうにない・・僕も寝ないと時差ぼけでスイスに着いたら大変だから寝よう寝ようと思ったが余計に寝むれない・・・機内食は1回出た。

サーモンのマカロニとミロのチョコレートがうまかった。ひと時の楽しみもつかの間・・・機内は夜になり真っ暗になった。しかし寒くてそして椅子でなんか寝むれたものじゃない!目を瞑って時が過ぎるのを待った・・
 
どのくらいたったか,おにぎりをスチュワーデスさんが持ってきてくれたがそれで目が覚めてしまった。(余計なことを・・・)しかしお腹がすいていたので食べてまた寝た・・・・2回目の機内食が出た。体調は絶不調だがすべて食べた。画面で見るとスイスはだいぶん近くなっている・・・・もうすぐ着くぞ!


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*上空から見えてきたのがスイスだ。写真はスイス第一の都市であるチューリヒ。


ブーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ


飛行機は無事到着。本当に長かったが再び興奮が起きてきた・・・


スイスへついに来たぞ!)


空港は広い・・・どこが出口かもわからない。本を照らし合わせながら見ているが当時の僕はそんな見方もろくに研究してなかったので大いに迷った・・・係員に尋ねたが意味がさっぱり・・・










「WAIT,HERE!」


そういってどこかに行った係員が日本人を連れてきた。

「迷子ですか?」

と言われ出口まで連れて行ってくれた。(かなりあせっていたので入国審査とかの作業など覚えていない・・・)そしてEXCHANGE(両替所)へ行った。SF(スイスフラン)をー・・・・6万円ほど日本円でおこずかいとして持っていたので(緊急費用含む)少し日本円を全てSFに両替した(スイスのほうがレート良いと聞いたので日本でしなかった)緑の出口から出てパスポートは見せるだけ。そして列車乗り場まで行ったが乗り方がわからない・・・

現時時刻は19:10頃

時刻表にはZURICH FLUGHAFEN ⑤19:20(チューリヒ国際空港 5番駅 19:20発)となっている。目的地であるZURICH HB(チューリヒ中央駅)には19:33に着く。しかし,列車はどんどん走っているがゲートが広すぎてわからない。僕は駅でチューリッヒと空港の早見時刻表カードをもらって近くのスイス人?(周りに日本人全くいない・・・ものすごく不安だった・・・・)にカードを見せたら

「OK,3」と言って3番ゲートに○をかこんでくれた。

「サンキュー!」

時間が迫っているので急いで3番ゲートへ走った。
 
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列車に座ると座った前のおじいさん凄く優しく老眼鏡をかけながら時刻表を見てくれた。この列車でまちがいないと。19:33にチューリヒ駅へ到着した。しかしまたまた出口が広すぎて訳がわからない・・・ホテルへ行くのは裏出口だ。間違えて表に出たらサングラスをかけている美人な女の人が裏出口まで連れて行ってくれた。ホームの外に出たらもう真っ暗・・・・ホテルまでの道が全くわからず(見えず)おばさんに聞いたら無視された。次に若い男の人に聞くと地図を開いてちかくのおじいさんに聞いて,わかったみたいで二人一緒にホテルまで一緒に連れて行ってくれた,2人であれこれいいながらホテルを探してくれたのだ・・・なんと親切なのだろう・・・・。






無事にホテルモンタナ到着。20:00を過ぎていた。決して高級ではなくせまいホテルだがロビーがアットホームな感じで気に入った。フロントには金髪の若い女性スタッフがいてカードを書いてみたいなことを言っているが,よくわからなかった。結局,その人がパスポートを見ながら全部書いてくれた。

僕「ソーリー」
女性「ノープロブレム」

部屋番号は104だった。荷物整理して部屋に行った。シングルなのでとても狭い部屋だったが十分だ。
シャワー室には白い花の模様の絵が描かれていた。窓の壁は木でできており,ベッドの白い壁にはいかにもヨーロッパ的な木の絵が掛けられていた。夜も遅いが少し,外を見たかったので外に散歩に出かけた。
 
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スイスはチョコが名物。店は閉まっているがおいしそう。スイスのブランドの高そうな時計。いくらする?


チョコや時計の店をカメラにおさめ,湖をずっと下り教会を見に行った。(もちろんこんな夜は閉まっているが・・・・)橋の上で通りがかりの人に写真を撮ってもらった。そして再び駅まで行ってビールを買った。(一瞬道に迷かけた)明日は本当に忙しい1日で今回の旅行で最も重要な1日。「アルプス3大名峰ユングフラウ」を観光すること。何があってもこの目的だけは果たしたい・・・・列車を間違えて違うところへ行ったりしたら何のためにスイスへ来たのかわからない。駅員さんのところへ行って明日の乗り場を確認しに行った。

 明日の列車はIC704便のチューリヒ5:26発だ。絶対に乗り遅れないようにしよう・・・

駅員さんに聞いたら乗り場はここで間違いない。ついでに明日の天気も聞いた。ユングフラウは明日の天気は晴れなので大丈夫だと・・・しかし明後日のリギ山は少し雨が降るらしい・・・




くそーここまで来てなぜ晴れん!




後は神に祈るしかない・・・




駅を後にしてホテルへ帰った。明日から頑張るぞー!





タバコを吸ってビールを飲んで今日は横になって寝よう・・・・








しかし













横になったが興奮して全く寝付けない・・・












飛行機でも寝ていないのに。













mr.children  -名もなき詩-

 http://www.youtube.com/watch?v=1OMXSch8D5M&feature=player_embedded
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第2章 スイスに行こうと思った動機・出発準備

第2章 スイスに行こうと思ったきっかけ~出発までの準






「スイスのアルプスに行きたい・・・」





僕は漠然とそんな事を考えていた。当時21歳の大学三年生。

クソが付くクソ真面目な性格で留年になったらどうしようと,1年生の時からビクビクしながら,神経質になっていた僕は授業単位を3年生の前期までで全て取って終わらせ(必須科目や卒業論文を除く)後期から週に1,2回しか授業に行かなくてよくなった。それがいいのか悪いのかは別として,同じ学科の友人と会う機会も減り,一人の時間が極端に増えた。時間があるがお金がない学生は本当にすることがない。これからこの3年生の後期の半年もの間をどう過ごそうか・・・。


僕の大学のあった広島県呉市は由緒ある自衛隊海軍の基地がある。広島県では広島市,福山市に次ぐ広島県第三の都市だ。初めてこの街へやって来たとき思っていたより田舎だったので好きになれなかったが,4年間いて大学を卒業する頃にはいろいろな思い出もできたせいか本当に好きな街になっていた。

そんな僕は,呉市の中心街に住んでいたがそこに呉市中央図書館という割と大きな図書館があった。暇があればそこによく行っていた。ある日,スイスの山についての本を手にした。昔からよく両親に山に連れられてきた僕はそんなことからか山に関心があったのだと思う。

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 http://www.myswiss.jp/jp.cfm/home/page-Topic_Special-Topic-325991.html


「スイスのアルプスに行きたいな・・・こんな美しい山を目の前にしたらどんなに感動するのだろうか・・・もう再来年には就職して社会人になる,よし,大学生活最後の思い出としてスイスへ行こう!」

 そう決意した僕だがその時は漠然と考えただけだった。しかし,大学を卒業した4年生最後の春休み,2001年3月15日~19日に本当に行くことになった。そしてこの旅行は僕の人生を大きく変えたのである。




【旅立ちへ向かっての勉強】
スイスへ行こうと決意したものの何をどのように準備したらいいのか?僕はそれに悩んで考えた。まず考えないといけないのが,「スイスのどこに何を観光に行きたいのか?」これが1番重要なことだった。僕は漠然とスイスのアルプスに行きたい,昔テレビのアニメで見た「アルプスの少女ハイジ」みたいな山の草原に羊がたくさんいる,昔好きだったミルクの飴の表紙に(たぶんスイスと思われる山)山の草原には大きなラッパを吹く人がいる,とにかくアルプスは自然がのどかで小鳥も羊も牛もいて本当に美しいところだ,そんなイメージだけしかなかったのだが,実際に行くのならそんな場所はスイスのどこにあるかと考えた。

いろいろと考えたが,そんな漠然とした場所を探すのは大変,それでは「スイスで1番美しい山へ行こう」と考えた。

そんな中ある日,僕はいつものように通っていた呉の図書館である本を見て,「世界一美しい村はスイスにあるグリンデルワルトという村」という1文を目にした。あった!と思い,スイスの本をいろいろ調べた。




この時スイスについて勉強した基礎知識

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http://www.arukikata.co.jp/switzerland/sceanic0906_01/

①スイスは九州より少し大きいぐらいの面積である。

②アルプスには(特に)有名な山が3つある。以下のこの3つの山の総称を「アルプス3大名峰」という。

・《マッターホルン》・・・麓の村,ツェルマットより行く。スイスのシンボルでピラミッド型の山で先は非常にとがっている。アルプスの王者とも呼ばれ,ハイキングコースでは何ヶ所か湖があり,風がなければ湖面に見事な逆さのマッターホルンが映る写真は有名。標高は4478m。

・《モンブラン》・・・・・フランス領シャモニを拠点とする。シャモニはジュネーブより行く。モンブランは直訳すると白い山。万年雪で覆われる女性的な山頂を見せるこの山はヨーロッパ大陸で最も高い山で標高4,807mを誇る。ユギーユ・デュ・ミディへ行く空中ケーブルのスリルは必須体験。

・ 《ユウグフラウ》・・・・・・ベルナーオーバーランド高地に位置する「世界一美しい村」といわれる「グリンデルワルト」より登山鉄道で上る。終点駅であるヨーロッパで最も高い地点にある鉄道駅(ユングフラウヨッホ)は3,454mで駅に続く建物は「トップ・オブ・ヨーロッパ」と呼ばれる。スフィンクス展望台からは山頂,壮大なアルプスの眺望,グリンデルワルトの村々,そして眼下には南の斜面にヨーロッパ最長のアレッチ氷河が見られる。ドイツ語で乙女を意味するユングフラウは2007年にアルプス最初の世界遺産登録を受けた。

③スイスには東にチューリヒ空港と西にジュネーブ空港の2つの国際空港がある。

④スイスではドイツ語(国民の65%),フランス語(18%),イタリア語(10%),ロマンシュ語,(1%)が使用される.

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スイスは北東がドイツ,西全般がフランス,南全般がイタリアに囲まれているため,それぞれの国に近い場所にその国の言語を使用する人が多い。(ドイツに近い首都ベルンはドイツ語,フランスに近いジュネーブはフランス語など)しかし,鉄道員やホテルの従業員は英語を話せ,また一般の人でも英語を話せる人は多い(僕の経験ではたまたま話しかけた人がそうだったかもしれないがジュネーブの人はほとんど英語が通じなかった・・・あの発音はたぶんフランス語・・・)ので多少英語が話せれば滞在時に特に不便は感じないということ。


いろいろと調べてみたら以上のようなことがわかった。大学では特に一般教養科目(政治学・社会学・哲学・文学・心理学・英語・中国語など専門の工学とは全く関係のない科目)に力を注いでしまったため(おかげで専門の工学の知識は全くといっていいほど4年間で身についていない・・・余談だが工学基礎実験やプログラム,工業製図などは最強に苦手だった・・・工業製図などは毎週課題として工業製図を作成するのだが仲の良い友人(M氏)にお金を払ってやってもらったこともあった(最後の方は見るだけで目眩がするようなわけのわからない製図になってきたのでほぼ毎週)・・・今だから言える話だが・・笑)英語の授業はまあまあ真剣に聞いてがんばった?

2年生の夏に英検も取ったので(準2級なので自慢にならないが)まあ,何とかなるだろう,と特に準備勉強はしなかった。最も一人で行く予定なので添乗員付きのツアーで行こうと思っていたので英語なんかしゃべられなくても大丈夫と。やはり,「アルプス3大名峰」など山のことなどを図書館に行ってはいろいろな本を読んだ。いろいろな本を見るほどきれいな山々の写真を目にしてスイスへの気持ちが高ぶってくる毎日だった。1日中山の本を読んでいたこともあった。「アルプスに行きたい・・・早く春休みが来ないかなあ・・・・・」



【JTB呉支店でいよいよ旅行の申し込み~そして決意への揺らぎ~】
4年生の後期にもなったらこの時期は卒業論文も忙しくなるが僕は出来が悪かったため,自力で卒業論文を研究することは首になり(苦笑・・・)チーム3人の一人を手助けしてワードで論文を作ることになった。そのせいか,後期は正直あまり忙しくはなかったかな・・・最も発表一ヶ月くらい前はかなり忙しかったけど・・・
4年間入っていた体育会本部(もともと応援団で大学祭実行委員会みたいなところ,わかりやすくいえば生徒会)は大学祭が終わっても他大学の交流で合いの変わらず忙しさだったが,それでも大学祭終了後は大分自由な時間もできたため,ミスタードーナツで大学生活最後の約4ヶ月はアルバイトを始めた。出来が悪いながら幸いにも就職は奇跡的にも5人いたゼミ生の中で早くの5月に僕が1番に決まった。就職は僕が最後か,決まらないというみんなの予想を大いに裏切って一番に決まったので少し気持ちよかった。地元徳島県の食品関係の会社なのでまあこれでいいかというような程度の気持ちで(後に転職することにはなったが)アルバイトの理由はもちろんスイスの旅費を稼ぐため。アルプス3大名峰をすべて行くつもりでいたから(親からの仕送りも無駄遣いせずにためるようになった,スイスに行くと決めてから)

 いよいよ僕は正月も明けた1月に旅行会社に申し込みに行った。住んでいた所の1番近くにW社という小さい旅行会社があった。しかしここはスタッフも一人でお客さんが誰もいなかったので外から見てパンフレットをもらっただけだった。(このときこの小さな旅行会社のW社にいたこのHさんという男性との出会いは僕のこれからの人生を大きく変えることになった・・・・・・)

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 W社を出た僕はいつも呉駅から大学に通っていたが,駅のすぐ近くにJTBがあるのを知っていたのでそこに行った。このとき僕はJTBが旅行会社の最大手とは知らなかったが,たまたま近くで大きい旅行会社はそこしかなく,通学で毎日JTBの側を通っていたので何も考えずそこで申し込むことになった。店頭にあるスイスのパンフレットを見ていた8日間で「アルプス3大名峰」すべて行くツアーがあったのでその日に迷わず申し込んだ。一人なのでシングル追加代金がかかり約25万円ぐらいだった。この日は申込金の3万円だけ払って後日に全額払いに行った。店頭でいろいろとスイスの質問をしたら女性の人の対応が良く,また知識がものすごく,見ていてかっこよかった。地元ですでに就職が決まっていた僕だったが・・・

このとき,僕は初めて「旅行会社で働きたい・・・こんな仕事があったのか・・・旅先に夢を持っている人の手助けをする仕事はすごくやりがいがあるのでないのではないのか・・・僕はこのまま地元の何も考えずにただ就職が決まるためだけに入った会社でこれから一生働くのでいいのだろうか・・・」こんな疑問を持った。このときが本当に・・・本当に初めてだった。生まれて初めて自分の本当に興味を持てた仕事に出会えたこと。「旅行会社で働きたい」と思ったこと。


申し込んだコースの具体的な日程

1日目 3月16日 関空→チューリヒへ 泊

2日目 3月17日 ルチェルンへ

3日目 3月18日 インターラーケン・グリンデルワルト

4日目 3月19日 ジュネーブへ移動

5日目 3月20日 モンブラン(フランスシャモニ)

6日目 3月21日 移動 マッターホルン

7日目 3月22日 移動 チューリヒ→関空へ

8日目 3月23日 関空着

JTB呉支店 最終旅行代金

スイス旅行基本代金   198,000円

シングル追加       26,000円   

スイスエアー追加直行利用 10,000円
旅行保険          2,560円

海外空港税         1,150円

空港使用料         2,650円

総合計         240,360円




【夢にまだ見たスイス旅行の断念】

人生は本当に何が起きるかわからない。だからおもしろい!と言いたいところだが,この時は最悪の事態となった。僕がスイスに行くこの春休み3月の8日間になんと徳島で就職が決まっていた会社の「新入社員歓迎会~懇親会」の予定が入ってしまった・・・「新入社員の皆様へ」という手紙が呉市のマンションへ届いた。頭が真っ白になり,一緒に入社した同僚(たまたま昔からの友人が一緒の会社を受けて一緒に入社した)や,親父にも相談して「もう,欠席したらどうだ・・・せっかく1年以上もかけて計画したのに,それにまだ春休みだから会社も予定があることはわかってくれるのではないのか?・・・」

しかし,クソが付くクソ真面目で小心者の僕は「もし行かなかったら内定を取り消されたりするのではないか・・・」などとありえない想像をして,迷いに迷い,スイス旅行を断念することにした・・・すでに旅行出発日の1ヶ月をきったぐらいの日にちだった・・・・・・

JTBへキャンセルに行ったら,いろいろとお世話になった女性のスタッフに「あれだけ楽しみにされていたのに本当に残念ですね・・」と言われ,さらにキャンセル料も約3万円か4万円?取られた。悲しすぎた・・・1年以上もかけて,マッターホルン,モンブラン,ユングフラウの「アルプス3大名峰」を勉強して,そして待ちに待ち焦がれていたのに・・・

1日ほど頭がぼーっとしていたが,こんなことをしている暇はない!日を変えて,そして別のパンフレットで「アルプス3大名峰」のあるコースを見つけて絶対に行くぞー!しかし・・・勝利の女神はうつむいていた・・・

dgdggdssfdd.jpg 壱岐タケチトのブログ旅行恋愛記


JTBにある全ての旅行パンフレットは他に周辺の日で「アルプス3大名峰」の入っている出発決定のツアーはなかった。しかもこの「新入社員歓迎会~懇親会」は3月の下旬と末の中間ぐらいの日で8日間休むのは日程的に無理ということがわかってきた・・・記憶では「新入生歓迎会~懇親会」はたしか3月21日~23日ぐらいのいずれかであって4月1日が入社式だったため,3月29日ぐらいには家で安静にしておかないと考えていた。広島には引越しや友人との最後のお別れ会,アルバイト,広島県卒業論文発表会などもあり実際には3月の中句以降ぐらいまでは広島にいないといけなかったので,それまでは旅行は無理だ・・・全ての予定を調整して可能な日程が3月15日~19日だった。

この5日間しか自由にできる自分の時間がなかった・・・僕はこの5日間でスイスだったらどこでも行けたらいいと思い,もう一度JTBに行って,パンフレットをスタッフの人と一緒に虱潰しに探したが,スイスは最低7日以上でしかもこの期間該当するツアーは0だった。

 これで,完全に望みは消えた・・・悔しくてたまらなかったが・・・

「せっかく5日でも時間がある・・・この5日間を大事にして・・・どこかに別の海外へ行こう!」
海外に一人で旅行に行くのは初めてになるが,僕を海外旅行に一人でも行きたいと思うようにさせたきっかけはこれまでの大学生活で行って来た2回の旅行だろうと思う・・・・




大学生活での海外旅行(2回)

・ 《中国》2年生の冬。12月下旬から大晦日までの期間の10日ぐらい。ずいぶん長い期間の旅行だった。僕は中国語のY先生と仲良くなっていた。すると,「冬休みに中国に旅行にいかないか?僕が広島県で中国語を教えている他の学校の生徒も行くから」というのがきっかけ。なぜか大学で僕だけを誘ってくれた。しかし一人では心細かったので当時の大学寮に一緒に住んでいた友人も誘い,男子4人と女子10人,(大学は5大学ぐらい)中国人の中国語の先生と中国へ。人生初の海外旅行はグアム・サイパンだったが,小学校5年生の時に少年少女の船というので行った。記憶はあいまいだ(苦笑)・・・しかも小学5年生だったからなあ・・・

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 だからこの中国の旅行は飛行機で行ったのでまさに何もかも初めてということと,人数が多かったということで,物凄く感動と思い出に残る旅だった。北京観光,万里の長城へ登り,そして承徳には汽車で中国のすばらしい山景色を見ながらわいわい皆で騒ぎながら乗ったのは本当にいい思い出だ・・中国は本当に広かった・・

・ 《アメリカ・ロサンゼルスの旅》4年生の夏休み。10日ぐらい地元の徳島の友人Iからの突然の誘い。彼も大学生で大阪の大学に在中していた。アメリカンロックが好きだったIは「ロスで実際のアメリカ生活を見たい,そしてアメリカのレコードをいっぱい買ってきたい」とういう目的だったが一人では心細かったみたいなので僕を誘い,僕もアメリカは行ってみたかったので一緒に行くことになった。

 しかしアメリカは遠くて飛行機で12時間,約半日かかった。しかし着いたら感動だらけ,まずはビバリーヒルズの高級街,世界のハリウッドでロケ地なども観光,アリゾナ州のグランド・キャニオンには小型ヘリコプターで日帰り,サンディエゴの水族館とメキシコの町へ,ロサンゼルス本場のUSJ,カニのロブスターのディナー,そしてレコード店巡りなど・・・・Iとは旅行中,行き先について,その他,どうでもいいことでケンカしたりしたが,Iが誘ってくれたおかげでアメリカを知ることができた。アメリカンな旅だった・・


この2回の海外旅行が僕に自信をつけてくれたのだろう・・・1回目の中国は団体で,2回目のアメリカは友人と二人で,そして3回目に行こうとするのは一人で。やはり,本当に自分がどうしても行きたい所はゆっくり気が済むまで観光したいので一人が一番落ち着くのだな


・・・絶対に5日間でどこかに行くぞ!




【代替旅行はパリ?ローマ?】

3月15日まで一ヶ月もない中,JTBで5日間の日数で行ける旅行を見つけた。しかし添乗員はついていないフリーパッケージツアーだった。まあ現地でオプション旅行がありそれにはガイドはいるが・・・やはりヨーロッパ大陸にいかないと気がすまなかった僕はパリとローマを選択して必死で勉強した。しかしいくら本を見ても興味が持てなかった。しかも一ヶ月もない日数でどこが有名な観光場所かをまた最初から調べて,また言葉も勉強して準備する気がしない・・・そして,スイスのアルプスが忘れられない・・・本命に好きだった人をあきらめてどうとも思っていない人と交際するような気分だった。大学生活最後をスイスに注いだのでスイスに強い想いもできて余計にあきらめなくなる・・・「やっぱり僕の行き先はスイスしかない!」

そう思ってJTBを出た僕は「そうだ・・・ダメもとで家の近くにある小さな旅行会社W社へ行ってみよう・・・あそこにもしかしたら5日間でスイスに行けるツアーが残っているかもしれない・・・・」全力で走った。



【Hさんとの出会い】

「いらっしゃいませ!」W社に行くと30歳前後の優しそうな男性の店員が一人でいた。

「あのう,3月15日から5日間で行って帰って来ることができるスイス旅行のツアーはありませんか?スイスに行けたらどこでもいいのですが・・・」

「わかりました、すぐにお調べさせていただきます。」


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丁寧に,そして親切に対応してくれた。これが「僕とHさんの出会い」だった。Hさんはいろいろと店にあるパンフレットを全て一人で調べてくれたが(もっとも一人しかいなかったから・・・苦笑)なさそうだ・・・

「すみません,今お調べさせていただきましたが,見当たりません・・明日までお時間を頂いてよろしいでしょうか?パンフレットもう一度調べて,必ずスイスに行けるように頑張ってみますので!」

 凄く熱心さが伝わってくるのを感じた。この人なら本当にスイスのツアーを見つけてくれるかもしれないと思い,1日待ってみた。僕はもうこの時,頼れるものは何でも頼りたいという気持ちだった・・・

 【え? それって完全に一人じゃん!!!】

次の日,Hさんからこの期間のスイスツアーは全くないと連絡があった。僕は凄くショックを受けたが,家も近いので愚痴を聞いてもらいにW社に行った。Hさんは僕を待っていたみたいで次のような提案を頂いた。

 「一つだけ方法があります。それはツアーではなく,スイスの飛行機の往復航空券とスイスのホテルを単独で手配してスイスに行く方法です。」予期せぬ提案だった・・・

 「え? それって飛行機に乗ってスイスに着いたら空港に誰か着てくれるのですか?着いたらホテルまでどうやって移動して,どうやって観光に行くのですか?」

 「この場合は単独で券を取るだけなのでもちろんガイドなどは誰もいません。空港に着いた時点より全て何もかもご自身で行って頂きます。」

 (それって完全に一人じゃん・・・無理だよそんなこと・・・苦涙・・・)


そう心で思ったが,Hさんは

「飛行機もホテルも全てこちらで手配できます。移動の列車も手配できます。ご心配だと思いますがそんなに難しいことではないと思います。スイスにどうしても行きたいのですね?行かれるのなら精一杯お手伝いさせて頂きます。」

 と言われ,何かの糸が切れた気がした・・・(1年以上も計画してきたスイスをここであきらめたら就職したら休みがなかなか取れないのに一生行けないかもしれない・・・ここは行くしかない!男だろ!)

 「わかりました!出発まで一ヶ月ありません!まずは何を質問していいか,必死で勉強してくるので5日間ならどのようなルートになるか調べておいて下さい!」
 




【あきらめきれない夢に向けての人間のエネルギーってものすごい・・・・・】

僕は1日中朝から夜中過ぎまで(日によっては徹夜で)個人旅行でのスイス旅行について勉強した。一人でどうやって行くのか・・・まずは図書館,そしてベースにした教科書である,「地球の歩き方 スイス」,「ワールドガイド スイス」この2冊が特にスイス旅行のバイブルであった。両者とも,かなり詳しく,ルート,料金,所要時間など詳細が書かれているためスイス旅行には必須の本だった。

   

《地球の歩き方 スイス2001年~2002年度版》 《ワールドガイド スイス 00~01版》

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さらにスイス政府観光局では詳しい資料を郵送してくれるというのも見て,資料を取り寄せた。(取り寄せ料で1,000円かかった。)以下のパンフレットで上からスイス全体の概要,スイス横断鉄道,グリンデルワルドのパンフレットだ。3冊ともかなり役立った。そして右写真のスイス個人旅行ガイド。これはかなり個人で行くのには詳しく書かれていた。航空券,ホテルの取り方,一人で行く観光地にはどのように行くか,鉄道のチケットなどの取り方も詳しく書いている。
  
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 そんな中,僕は必死でこの資料を勉強していくうちに,以下のことがわかった。この時に勉強したスイス旅行の行き先の決め手となった事項

グリンデルワルトとは・・・・・・・
①世界が最も美しいところ。
②ベルナー・オーバーラントでインターラーケンがスイスを代表するアルペンリゾート。その中で最も名高く旅行者に人気が高いのがグリンデルワルトである。
③通称「トップ・オブ・ヨーロッパ」と呼ばれるユングフラウヨッホ,ユングフラウはここより行く。
 

僕は世界一美しい村ということで「グリンデルワルトには絶対に行きたい!ここに行けばのどかなスイスの風景が見える!」と思った。5日間の旅行でグリンデルワルト,そして3大名峰の一つのユウグフラウへ行こうと決意した・・・いろいろ調べたが5日間で「アルプス3大名峰」へ行くのは不可能ということがわかった。

グリンデルワルトを入れて,ユングフラウを見れば,モンブランか,マッターホルンのどちらかはコースに入れないことはなかった。しかし,調べてみたら,3月15日と3月19日に利用予定のスイスエアーの直行便は(余談だが現在日本からスイスへの直行便はない。2年前に破綻。


オランダのアムステルダムなどで乗り換えるのが一般的である)行きが関西国際空港→チューリヒで,帰りもチューリヒ→関西国際空港だった。前述で述べたとおり,チューリヒはスイスで最も北東,そしてグリンデルワルトはほぼ中央(少し南西),モンブランは最も南西のまだ西のフランス,マッターホルンは最も南,グリンデルワルト(ユングフラウ)は確実に可能としても,モンブランやマッターホルンを見て(帰りの飛行機が南西の都市のジュネーブからの出発であれば別だが)

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また最も北東のチューリヒに帰らないといけないというのは不安がある。アルプスの山は2つ行こうと考えて考えて悩んだが,やはり,余裕を持った旅がいい,自分たった一人なのでグリンデルワルトに行ってユングフラウだけ見れば十分だと思い,マッターホルンとモンブランは諦めた。(死ぬまでに必ずリベンジするつもり!)そこでせっかくスイスに行くのだから,あまりにも世界に名のある町,「ジュネーブ」を観光しようと思った。


 ジュネーブ・・・・フランス語圏の中心ですぐとなりはフランス。スイスの最南西地方。この都市には国際赤十字本部,国連ヨーロッパ本部がある。また街のシンボルには花時計,大きな噴水がある。「ジュネーブはスイスではない」と極言されるほどのコスモポリタン都市に僕は昔から大変興味を持っていた。スイスの中でも大都市にあたるフランス文化の影響を強く受けたこの都市は旅行者にも大変人気のある都市である。(僕はここがスイスの首都と思っていた・・・しかしスイスの首都はベルンという町だった・・・)



 とりあえず,5日間の目的で,グリンデルワルトとユングフラウ,ジュネーブ観光と決めた。現在考えている日程は下記の通りである。
 


考えたコースの具体的な日程 ①

1日目 3月15日 関空→チューリヒへ チューリヒ泊

2日目 3月16日 チューリヒ→グリンデルワルト~ユングフラウ観光~ ジュネーブ近く?(泊)

3日目 3月18日     ???ジュネーブ観光???       

4日目 3月19日  ??? 午後 チューリヒ→(機内泊)

5日目 3月20日 →関空へ(午後着)


 以上のように考えた。おおまかな骨組みができたので後はスイス国内の移動をどうすればよいか考えた。日本みたいな新幹線はないのか・・・乗り方は難しくないのか・・・そこでスイス政府観光局から送ってもらった資料を見たら以下のようなことが書かれてあった。


スイス国内を移動するための便利なチケット

・《スイスパス》・・・・・期間内であればスイス国内の主な列車,湖船,ポストバスなどを何回でも利用できる定期券のようなパス。チケットを毎回購入する手間が省けて乗れば乗るほど特になり,利便性が非常に良い。特に一人旅ではチケットの買い方もわからず,料金もいくらいるかは詳しくは現地でないとわからないので非常に役立つ。スイス国鉄はもちろん,「氷河特急」(予約料金別)などの人気私鉄列車も含め,ほとんどの列車に乗ることができる。さらに,主要36都市の市電や市内バスも乗り放題。また,有効範囲外の登山鉄道やケーブルカーも割引になるなど様々な特典がついている。

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有効期間と料金は以下である。
4日間160.―
8日間220.―
15日間265.―
15日間265.―
21日間305.―
一ヶ月345.―

である。*注意)これは2000年4月1日の料金です。かなり古いデータになりますので詳細は現在のものを各自で必ずご確認して下さい。

・ 《スイスフレキシーパス》・・・・・スイスパスと同じだが自分の選んだ日を選んで使える。有効期限は一ヶ月内で次の日数を指定して選ぶことができる。有効期間と料金は以下である。

3日間156.―
4日間184.―
5日間212.―
6日間240.―
7日間261.―
8日間282.―
9日間303.―

である。*注意)これは2000年4月1日の料金です。かなり古いデータになりますので詳細は現在のものを各自で必ずご確認して下さい。



これだ!僕はこの便利なパスの中で迷わずスイスパスの購入を決めた。日数的に5日間の旅行で賞味に使うのは5日間だったが,いつ電車が必要かわからなかったので,まあ5日間使うこともないと思い,値段もそこまで変わらないので《スイスフレキシーパス》4日間184.―の購入に決めた。一ヶ月以内で指定した4日間を乗れるからだ。スイスパスの4日間とどちらがいいか悩んだが完全指定日のためあえてこちらにした。

こっちは到着してから決められるから。
これで電車は乗り放題!チケットも現地で買わなくていい・・・あと必要なものは・・・時刻表だ!これがなければ全く時間の計画が立てられない!いろいろ調べたら,東京にあるスイス専門店サイクルツアースイスセンターでスイス公式時刻表が購入できると書いてあったので迷わず購入した。インターネットでも電話でも可能。電話は03-5560-1500(今は番号が変わってるかもしれませんが)下の写真が時刻表である。

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【スイス国鉄の公式時刻表】
一人旅必須でこれ1冊あればスイス国内どこでも行ける。この時刻表に本当に助けられた。中身は全て英語だが読めないことはない。辞書は必須。わからない語句もあるため。

この上の青(国鉄)と黄色(バス)の時刻表がセットになって2,500円だった。(しかし実際は郵送料が700円,振り込み料420円かかったので3,620円かかった)まあ安いか高いかはいろいろ捕らえ方はあるが前述でも述べたとおり,この【青色のスイス国鉄の公式時刻表】は本当に役立った。国鉄時刻表ということでスイス国内全ての電車,駅,時刻が記載してある。またスイスは九州より少し大きいぐらいと比較的,駅の距離間も長く,日本ほど(山が多いせいか)駅の数も多くない。

時刻表を見て思ったのは

「あっ,駅が英語で書かれているだけで見方は日本と同じで日本みたいに電車や新幹線の数が多くないのでわかりやすいな」

と思った。ジュネーブに11:42着なら《Geneve 11:42》と書いているだけのでそのままだ。ただし,乗換えや運航日の注意,その他電車のサービス(例えばレストランがある電車,ビュッフェがある電車など)などは英語で細かく書かれている。中にはその列車を乗るにあたり意味がわからなければ大変困るような記述もあるので英語の辞書で意味を良く調べた。(そしてどうしても理解できない意味は購入したサイクルツアーに電話して自分が行くコースの時刻,列車の意味は確実に理解していくようにしていった。

また辞書はスイス旅行の会話はもちろん,時刻表の意味を再確認するために旅行中も重宝した)この時刻表はページの区切りがなく,どこも同じようなページと色ばかりなので,大変時間がかかり,手間であったが,このページの左上の写真にあるように,行き先ごとに見開きのシールを貼っていった。何度も後述してしまうが「一人旅(個人旅行)でスイスに行くには絶対にこの時刻表を買ってからスイスに行ってください。これ1冊でもスイスのどこにでもいける計画が立てられますので」

 最終日程表の仕上げはルチェルン観光と「山の女王」リギ山で決定。首都のベルンも小時間下車観光
上記のようなコースで決めて,1日目は夜になるのでチューリヒ泊と考えていた。今回のメイン観光であるグリンデルワルトはチューリヒから約3時間半かかる。グリンデルワルトを3時間ほど散策観光して,グリンデルワルトからはユウグフラウの頂上までは約1時間50分ほど。

上で1時間いても計算では夕方前にはグリンデルワルトを出られるので1日でユングフラウは見える。次の日はジュネーブを観光するためにインターラーケン(グリンデルワルトの地域)まできたらかなり近いので(インターラーケンはスイスの中央よりやや南西,ジュネーブは最南西のため)このあたりで泊まろうとしたが,僕は前述で述べた《ワールドガイド スイス》の本の中で,それはそれは目に焼きつくほど美しい山の写真を見つけた。

 「山の女王」リギ山である。なぜかこの写真が,凄く目に焼きついて,感動がとまらなかった。
(人によればただの山の写真だが景色が凄く壮大できれい!またこの写真は展望台から山を見渡しているため特に綺麗に感じた)

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*レストランテラスからの絶景
上記1部画像《ワールドガイド スイス 00~01》より
【山の女王リギ山】この写真を気に入ってスイスの最後の空いた時間の日程をこのリギ山に決めた。
少しこの画像は拡大しているので写りが悪くなっているが本で見たら綺麗ですよ☆


リギ山・・・・・ルチェルン東にあり高さは1797.5mで山の女王と呼ばれる。古くからアルプスのご来光を仰ぐ展望台として人気があり,かつては徒歩やロバで山頂を目指していたという。1871年には湖畔の町フィッツナウからヨーロッパ初の歯車式登山鉄道が設けられた。時間が合えば夏期間だけだがジョイ危機感者にも乗れる。山全体を木々や草花がおおい,車窓からは牛や草を食む,スイスらしいのどかな景色が見える。山頂駅から数分登るとリギ・クルム・ホテルが見え,このテラスからの眺めはすばらしい。カフェや本格的なレストラン,売店,郵便局まである。頂上へは山頂駅から右手に約15分だが,まさに360度の眺望が開けている。

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この写真は,リギ山頂上で買った絵葉書を写真で撮った画像。この写真から見てもわかるようにリギ山は本当に美しいでしょ?(後に述べますが実はリギ山に行ったとき雨で全く景色が見られなかったのです・・・・涙)
ルチェルン・・・・・チューリヒから南へ(グリンデルワルト方面へ)列車で約1時間の中世の面影を残す静かな美しい街。1332年にはスイスで四番目の州となる。19世紀後半には大作曲家のワーグナーが滞在し円熟期を送ったことから音楽の都としても発展する。1911年に始まった小さな音楽会をきっかけに現在は世界有数のオーケストラが揃う国際音楽祭が毎年8月中句~9月中句に開催されている。街のシンボルは美しい屋根付き橋のカペル橋。またライオン記念碑も有名。そしてルチェルンは「山の女王リギ山」や「魔の山ピラトゥス」(標高2132m。今回の旅行では行っていない)の山の観光の拠点となる街である。
 
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*上の写真も絵葉書をデジカメで写した画像です、綺麗なはずでしょ!(ルチェルンの駅で買いました)

以上がルチェルンとリギ山の紹介です。どうですか?この絵葉書,写真を見ただけで行きたくなるような山,町だと思いませんか?そこで僕は日程を決定した。ユウグフラウ観光の後の3日目メインはリギ山,そして,ルチェルン,ジュネーブという方向で。そして下記のような日程になった。

考えたコースの具体的な日程 ②
1日目 3月15日 関空→チューリヒへ チューリヒ(泊)

2日目 3月16日 チューリヒ→グリンデルワルト~ユングフラウ観光~?①~チューリヒ
チューリヒ(泊)

3日目 3月18日 チューリヒ~ルチェルン~リギ山観光~ルチェルン観光~ジュネーブ~
~ジュネーブ観光~チューリヒ  チューリヒ(泊)

4日目 3月19日  ?② 午後 チューリヒ→(機内泊)

5日目 3月20日 →関空へ(午後着)


以上である。本来はユングフラウまで行くとジュネーブが近いので2日目はジュネーブまで行って泊まって(または近郊で泊まって)3日目に1日ジュネーブを観光しようと思っていたが,リギ山とルチェルンを観光するために,またチューリッヒへ戻ることにした(ルチェルンで泊まってもよかったが列車1時間しか走らないので同じホテルのほうが慣れるし場所も探さなくて良いので2日目もチューリヒの同じホテルと考えた)


 そして,3日目の宿泊先だが4日目の午後には日本へ帰るため小心者の僕は「もしチューリヒ以外の離れている都市に泊まって4日目にチューリヒ空港へ向かうときに列車が事故をしたり,何らかの理由で止まってしまったらしたらどうしよう・・・4日目は空港の近くのチューリヒで泊まらないと最悪の場合日本に帰れなくなるのではないか・・・・」


 と,またなかなかありえない想像をして,3日目もチューリヒで泊まろうと,よって,チューリヒの同じホテルで初日から終日まで3連泊と考えた。料金もそのほうが安くなるしね。

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 さて,最後の問題は上記日程表の?①と?②をどう埋めるか?いろいろ探したが?②の場合は飛行機の時間は14:00頃のため空港に12:00頃には着かないといけないため,あまり列車で他の場所へ移動する時間もないため,チューリッヒを観光することにした(よく考えたら空港,宿泊拠点場所チューリヒ観光を忘れていたから)?①だが夕方にはチューリヒへ帰れるのだが,せっかくスイスに行くのだからホテルに早く帰ってくつろごうという考えは全くなかったのでユングフラウの観光のあとはたとえチューリヒへ着くのが夜中になってでも途中どこかを観光して帰りたいと考えていた。すると・・・・ちょうど列車で帰り際に「ベルン」という街(駅)があった。ここに帰りによろうと決めた。実はこの街はスイスの首都であるからだ。

ベルン・・・・・スイスの首都ベルンはベルン州の州都でもあり,スイスの政治・経済の中心地。中世の町並みが残り町並みが「世界遺産」にも指定されている。市街の3分の1が森林などの緑におおい,「ヨーロッパ一美しい緑と花の都」と呼ばれている。街の名の由来は熊(BAIR)である。1191年にこの街を創立したベルヒトルト5世が狩の最初の獲物の名を町名にすると決め,それが熊だったという。町中にはとにかく熊があふれている。もう一つのこの街の特徴は約6kmものラウベン(LAUBEN)と呼ばれるアーケード。
かつては普通の通りだったが職人たちが通りの隅で商売を始めたのをきっかけに彼らのために屋根の設立が設けられたと言われている。チューリヒから列車で1:10分,ジュネーブへは約2時間である。
  
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チューリヒ・・・・・スイス北部にあるチューリヒはチューリヒ州の州都でありスイス第一の都市。ジュネーブとともにスイスの玄関口である。スイスに訪れる人は最初にこの町に足を踏み入れることになる。銀行や証券会社の集まる国際金融都市として世界的にも重要な役割を担い,商業や文化の中心地である。国内で最も大きい都市であることから「スイスの実質的な首都」だともいわれる。南にはチューリヒ湖が控え,数々の歴史ある建物も残り,ビジネス街としてだけではなく,観光の街としても名高く上げられる。チューリヒ中央駅(ZURICH HB)までは列車で所要時間約10分。空港から中央駅までは1時間に6本ぐらいの割合で出ている。ヨーロッパ最大の時計がある聖ペーター教会は街のシンボル的存在である。
   
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考えたコースの具体的な日程 ③(決定分)
1日目 3月15日 関空→チューリヒへ チューリヒ(泊)

2日目 3月16日 チューリヒ~インターラーケン~グリンデルワルト(散策)~ユングフラウ観光~
~ベルン~ベルン市内観光~~チューリヒ チューリヒ(泊)

3日目 3月18日 チューリヒ~ルチェルン~リギ山観光~ルチェルン観光~ジュネーブ~
~ジュネーブ市内観光~チューリヒ  チューリヒ(泊)

4日目 3月19日  チューリヒ市内観光 午後 チューリヒ→(機内泊)

5日目 3月20日 →関空へ(午後着)



以上のように決定した。

あとはW社のHさんに気になる質問の答えを聞くこととチケットの予約手配を残すだけとなった。
気になる質問(当時行く前に疑問に思っていたこと)



① ホテルは何時までに着かないといけないか?
② 空港税,使用料は?
③ リコンファームは必要か?必要な場合,ホテルでできるか?いつぐらいまでにしないといけないか?
④ エコノミークラスの幅とその意味は?
⑤ 両替はホテルでできるか?
⑥ チューリヒで予約してくれるホテルの朝食は何時から何時までできるか?(持ち帰りはできるか?)
⑦ 英語のみで会話は大丈夫か?
⑧ 個人旅行で初めてスイスにしかも一人だけで行くにあたって治安や安全は大丈夫か?
⑨ スイスパスのみで他のチケットは現地で買わなくてよいか?(リギ山は船も乗り登山鉄道もあるから)


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などの疑問点を持った。
すべて解消されないと不安でスイスに行けない・・・・・特に③ ⑦ ⑧などは凄く気になっていた・・・



【W社のHさんは本当に一生懸命助けてくれた】

僕は日程等の準備が整った。そしてHさんの携帯番号を聞いていたのでHさんに電話して前述に述べた質問をすべてお話した。

「もしもし,・・・スイスに件で,やっぱり行こうと思うのですが少し疑問点や質問がありましてそれが解消されないと一人なので最後の一歩が踏み切れません・・・教えていただけませんか?」

とHさんに①~⑨のすべての質問を告げた。Hさんは

「わかりました。今日,私は仕事休みですが広島に行こうと思っています。広島に今回の取引会社がありますのでそこに寄ってきて詳しくスイスのことについて聞いてきます。出発までもう時間があまりないので今日にでもすぐにお調べさせて頂きます」

 と,休みの日にあるにもかかわらず,自分のために一生懸命調べてくれるという雰囲気が凄く伝わった。
僕は今日電話したことは申し訳ないと思ったが,Hさんへの質問も気になって仕方なかったので待ってみることにした。それから2,3日後,Hさんから電話がかかってきた。

「遅くなってすみません,ご質問についてお調べしましのでご案内させていただきます」


①ホテルは何時までに着かないといけないか?
何時でもよいが10:00ぐらいまでが望ましい。

②空港税,使用料は?
必要なし。航空券に切り込まれているので現地で払うことはない。
③リコンファームは必要か?必要な場合,ホテルでできるか?いつぐらいまでにしないといけないか?
今回はリコンファームしなくてもよい。心配で英語も不安なら現地から日本のスイスエアーにかければよい。00(国際)-81(日本)-3357-080-35・・・・・スイスエアーに繋がる

④エコノミークラスの幅とその意味は?
一番安いクラスで席は最も多い。

⑤両替はホテルでできるか?
ホテルもできるが少し高いので空港がまだ良い。日本でして行くのが便利。

⑥チューリヒで予約してくれるホテル朝食は何時から何時までできるか?(持ち帰りはできるか?)
中央駅に近い安いホテルを見つけている。朝7:00~持ち帰りは無理。

⑦英語のみで会話は大丈夫か?
片言の英語が喋れば旅行だけなら問題ない。ジェスチャーや英語辞書,地図があればまず大丈夫。

⑧個人旅行で初めてスイスにしかも一人だけで行くにあたって治安や安全は大丈夫か?
スイスの治安は比較的良い。盗難に気をつけパスポートや航空券の紛失さえ気をつければ大丈夫。

⑨スイスパスのみで他のチケットは現地で買わなくてよいか?(リギ山は船も乗り登山鉄道もあるから)
湖船もスイスパスに含まれ移動はすべてスイスパスでOK。ユングフラウなど1部の登山鉄道は料金が必要だがスイスパスを見せれば割引がある。
 
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 以上のように心配していた疑問点にすべて答えてくれた。質問をして答えてくれるのは営業マンにとっては当然のことかもしれないが,Hさんはスイスには行ったことがないので調べるのも大変だっただろう,(他にもかなり質問をしたが全部覚えていないのでここではスイス旅行記ノートに残っている質問だけ書くことにする)今思えば迷惑かけただろうな,と思っている。お客さんというものは質問をした時に疑問点を解決してくれるというのは本当にうれしいことで信頼にも繋がる。「うちでわかりません,それはこちらでは取り扱いがありません,インターネットにのっています」などの「聞いている質問に対して逃げる返答」は信頼を失いかねない。そしてその人にはお願いしなくなる。Hさんはどんな質問にも時間をかけて一生懸命調べてくれた。



【男の決意】
舞台はすべて整った・・・日本語も通じないたった一人の個人旅行ということで,不安は計り知れなかったがついに決意をかためHさんに予約をお願いした。キャンセル料金もかかるといわれたがお願いした。もう僕に迷いはなかった・・・チケットは到着まで少し日数がかかると言われたので後日,Hさんから連絡があり,W社へ取りに行った。以下が予約手配してもらったチケットである。

最終旅行代金
スイスエアー   日本→チューリヒ 週3回 月・木・土
         チューリヒ→日本 週3回 水・金・日   
2001年
3月15日  大阪13:35発→チューリヒへ(所要約13時間)
3月18日  チューリヒ14:20発→大阪へ(所要約12時間)3月19日朝9:50着

*スイスエアー スイス往復航空券 11万円 
*空港税 1,090円
*ホテル (チューリヒ中央駅の裏側)ホテルモンタナ31,500円(3泊3朝食付き)
*スイスフレキシブルパス 22,300円
*旅行保険(1番安い分)4,410円

合計169,300円(*他に時刻表,ガイドブック,辞書,資料取り寄せなど約1万円かかっている)

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*購入したスイスの航空券。往復券は使用して最後のページになるが以前はこのようなチケットであった。
(現在はEチケットのため紙1枚である)これは記念として大事に保管している。
*スイスフレキシブルパス4日間。ずいぶん前の説明で述べたが1ヶ月のうち4日間スイスの列車が乗り放題。

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*このように最初に使用する日を 16 03 01(2001年3月16日)と駅員さんに見せると書いてくれる。そして15 04 01(2001年4月15日)まで有効でそのうちの4日間を指定して乗る日にちごとに駅員さんが日付を書いてくれる(なぜか16日と18日しか書いていない,17日も乗ったのに??)

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*ホテルモンタナの名刺。これは現地のホテルでもらったもの。

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*ホテルモンタナの宿泊券。1枚目はたしか現地に渡した。この控えらしきものも記念に
保管している。

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*ホテルモンタナの地図である。かなりわかりにくいので購入したガイドブックの地図で場所を確かめた。

「スイスの治安は大丈夫です,また大学時代最後の旅行,気をつけて楽しんで来てください」
「Hさんのおかげでスイスに行くことができました。いろいろと本当にお世話になりました。」


Hさん,今思ってみれば仕事として当然のことを全うしたどこにでもいる営業マンだったのかもしれないが当時学生であった僕の眼差しで見たHさんは本当に親切で紳士的な人だった・・・人間的にも尊敬できる人だった。「Hさんみたいな旅行に行く人をお世話する仕事に本当に就きたい・・人生やりなおしできないだろうか・・」と思っていた。新たなる人生の歯車はこのときから回り始めていた

(後に僕は本当に人生をやり直すことになる。当初に計画していたスイス旅行を断念してまで新入社員親睦会に参加した会社を辞めて・・・このときのスイス旅行とHさんとの出会いが一つのきっかけだった・・・)

いろいろとHさんとは個人的な話などもしたがついにチケットの手配も終えて最後になった。Hさんは広島県の人なので間もまく僕は卒業して徳島県に帰る。もう会うことはないだろうなと思った。広島県を僕は本当に愛した。18歳から22歳までの4年間,初めて徳島を出て,生活をしたところだ。何もかも初めての体験を得て,そしてたくさんの人々と出会い,青春時代を過ごした広島県呉市。かつて原子力爆弾の落ちた被爆地と言われていた広島県は当時の面影はどこへ行ったのかというぐらい繁栄した街になった。

しかし人々の気持ちから「あのときの悲惨さ」は消えていない・・・

広島の方々と話していたら伝わってくる。Hさんと出会ってなかったらたぶんスイスには行かずに別の国へ行っていただろう・・・それはそれで良かったかも知れない,今とは違う何かを得たかもしれない・・・

しかし結果論だがスイスを選択して本当に良かったと思っている。あの美しい山々はとても言葉だけでは言い表すことができない。

これからは僕が身を持って体験してきたスイス旅紀行を述べる。前


置きが長くなりすぎたがどうか最後まで見ていただきたい。







まもなく僕は卒業します・・・・・

























まもなく僕は社会人になります・・・・・
























まもなく僕は広島を去ります・・・・・


























まもなく僕はスイスへ旅立ちます・・・・・



Street Fighter II Ryu All Perfect

 http://www.youtube.com/watch?v=jVR2jp97Br8&feature=player_embedded


Thema:海外旅行記
Janre:旅行

第1章 はじめに~皆さんは旅行が好きですか?

第1章 はじめに~皆さんは旅行が好きですか?






皆さんこんにちは。僕は壱岐タケチトと申します。


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突然ですが皆さんは旅行が好きですか?

国内旅行,海外旅行で今,行ってみたいと思う場所がありますか?

死ぬまでに絶対に行っておきたいと思う場所はありますか?


僕には,死ぬまでに絶対に行きたいという場所がある(あった)。


下記の5つだ。

① スイスのアルプス
② 世界の摩天楼「ニューヨーク」
③ 世界一高い山「エベレスト」
④ 南国の楽園タヒチ「ボラボラ島」
⑤ 地球最果ての地,南米パタゴニアの氷河「ロス・グラシアレス」

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これらの他にも世界で二番目に高い山「K2」,ナスカの空中都市「マチュピチュ」,チベットの都市「ラサ」,
東洋の神秘「アンコール遺跡」,北欧,カナダの「オーロラ鑑賞」,ブラジルの「アマゾン川」,「南極大陸」,国内では「石垣島」,「佐渡島」,「利尻・礼文」,「屋久島」など,他にもまだまだ行きたい所は様々にあるが,一生のうちにこれら全部,行くことは恐らく不可能だろう。 

それでは,どうしても行きたい場所を「5箇所」だけに絞るなら,僕が生きている間に行けるのではないかと考えた。それが上の「5箇所」である。そして,上の「5箇所」のうち,①~④は行って来た。(上記で僕は,あったと過去形に書いているのはこのため)①~④とも,想像していた通りで本当に良い場所であった。とても,満足して良き思い出となっている。
「生きていて良かったと・・・・・・」


【夢の実現とは長期的に考えるもの】

“夢の実現”というものはどんなものでも“長期実現”になるものが多いと僕は考えている。例えば,有名なピアニストであるショパンのボロネーズ第五番「英雄」という曲がある。ショパンは時のフランス皇帝ナポレオン,彼に捧げるために作曲した曲が「英雄」である。僕はこの曲を始めて聞いたときに本当に体に電気が走ったような感銘を受けた。アインシュタインの言葉に「死ぬということはモーツァルトが聞けなくなることである」というまでのものもあるが,これに近いものを感じた。

「死ぬまでにこの曲はマスターしたい,このすばらしき曲を自分の手で演奏してみたい・・・」と,常日頃から思うが,あまりにも楽譜が難しすぎて(譜面が読めてメロディーは理解できてもリズムが理解できない)

練習にならない。“ピアノ演奏は曲を練習してテクニック(演奏・技術)で覚えるのではなく耳で覚える(メロディーを脳に暗記させる)ものである”というのが,天才音楽家“モーツアルト”の技法であった。神の子“神童”と呼ばれた彼は,一度聴いた曲は脳にインプットさせ,インプットした曲を自らが楽譜に書いていたと言われている。

(つまり彼は一度聞いた曲“メロディー”は一度聴いただけで覚えてしまうのだった)この技法で僕は英雄を何回も何回も聞いて脳にメロディーの流れをすべてインプットさせた。

「英雄」ような曲のレベルになれば演奏するためには,①メロディーを脳に暗記させる→②譜面のメロディーを読めるようにする→③譜面のリズムをつかめるようにする→④右手をマスターさせる→⑤左手をマスターさせる→⑥両手でマスターする,というようなステップになり,小学校3年生から中学校3年生までくらいの経歴では「英雄」という曲をマスターするのには毎日毎日何時間も練習しても,何年かかるかわからない・・・


毎日必ず何時間練習したとしても完全に両手で弾けるようになるには何年もかかるだろう・・・・・・・


ただ,確実に言えることは「毎日,必ず練習すること」でこの夢は確実に叶うということである。




“この英雄というメロディーを演奏したいという夢があるなら絶対に諦めないこと”
  諦めれば,死ぬまでに演奏できる確率は0%である。
 “この場所へ旅行に行きたいと思う夢があったら絶対にあきらめないこと”





【夢の実現させるには早いほうがいい】


“この場所へ旅行に行きたいと思う夢があったら絶対にあきらめないこと”

僕は前述した① スイスのアルプス 旅行から経験した僕の哲学である。人間の死亡率は100%である。致死率はどんな有名なミュージシャン,スポーツ選手,綺麗な女優,政治家,医者であっても100%という数字になる。結局人間の死というものは“遅いか早いか”ということだけになる・・・・と,いうことはもし,“自分が早いほうのタイプ”と仮定した場合,世界の各地へ行くのはお金と時間面で,現役会社員である僕はむずかしい,それなら何も迷わずに“絶対に行きたい場所を5箇所”列挙して自分の人生目的一つと決めてしまう(30歳までに結婚する,子供は2人作るなどという人生目的と同じように)そして,生きている若いうちにこの“5箇所に行くこと”を実現させるように。


beach00.jpg 壱岐タケチトのブログ旅行恋愛記



 そのように考えたのは僕が旅行会社に入社してからだった。当時の学生時代にスイス旅行へ行ったときにはこういう考えは生まれなかった。この“5箇所”の1つ目である①の最初であるスイスのアルプスはとにかくこの時,スイスにどうしても行きたかったということ。他の②~⑤はスイスに行って,この旅行がきっかけで旅行会社に入社し,様々な国へ死ぬまでに行ってみたいというように思ってから決めた国である。

①~④にいく夢は2010年現在,叶っている。(①だけは学生時代実現。この本はこの①ことを書く)



① スイスのアルプス・・・・・・・・・・・・・・2001年3月実現
② 世界の摩天楼「ニューヨーク」・・・・・・・・2005年12月実現
③ 世界一高い山「エベレスト」・・・・・・・・・2006年12月実現
④ 南国の楽園タヒチ「ボラボラ島」・・・・・・・2007年6~7月実現
⑤ 地球最果ての地,南米パタゴニアの氷河「ロス・グラシアレス」・・・・2010年現在実現していない。



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人生の設定目的を果たすのは早いほうがいいと僕は考えている。それは,いつ,人間は「死」が訪れるかわからないからだ。“一寸先は闇”ということわざの通り,20~30代の若さでも不治の病になって「死」を迎える可能性が0%ではないということ。こう考えれば,人生,やり残しがないように次々に何でも願望していることはさっさと果たすほうが賢明だろうと思う。死ぬまでに松阪牛を食べてみたい,死ぬまでにイチローを生で見てみたい,死ぬまでに四国八十八ヶ所を回りたい,という夢があれば,早く実現させること!

(もっとも,高校野球で甲子園に行きたい,総理大臣になりたい,など夢を持ち続けることと努力だけでは不可能なものもあるが,それはもしダメな場合仕方がないと考えてほしい・・・)
 
 しかし,ここで大切なものは“優先順位を設定すること”であると思う。僕の旅行の場合は上記①~⑤のこれら他にも世界で二番目に高い山「K2」,ナスカの空中都市「マチュピチュ」,チベットの都市「ラサ」,東洋の神秘「アンコール遺跡」,北欧,カナダの「オーロラ鑑賞」,ブラジルの「アマゾン川」,「南極大陸」など,他にもまだまだ行きたい所は様々にあると,前述した。しかし,すべて実現させようと思えば,多大な時間と費用を浪費することになる。若いうちに,生きているうちにと考えればとても難しい・・・そこで優先順位で①~⑤に絞るということ。①~⑤さえ,行くことができれば,もう良いではないか!と考えた。


【2人の南米パタゴニア旅行への約束】
僕は,⑤ 地球最果ての地,南米パタゴニアの氷河「ロス・グラシアレス」は人生の集大成の旅行と考えている。南米という場所は日本から,地球の中心に長い棒を真上から差し込んだとしたら,その棒が出口に突き出す場所である。つまり,日本との対角線にある場所(日本から最も遠い場所)である。南米パタゴニアには飛行機移動だけで丸二日以上かかる。ということは行って,空港の外に出ずに,何にも観光しないで帰るだけで4日以上かかるということ。ということは,観光もいれれば最低8日以上(8~10日が望ましい)かかる。


 僕は妻に言っている。

「南米パタゴニアへの旅は時間的,金銭的に考えても現役時代(会社員であるうち)に行くのは困難だろう・・・
退職は恐らく早くても65歳になるだろう・・・もし,僕が退職まで生きていたとすれば,一緒に南米パタゴニアへ旅行しよう。旅行会社で働いていた僕にとってパタゴニアへの旅は僕の集大成だ・・・しかし僕の親父は57歳で亡くなっている。もし,退職までに僕が不治の病にかかり,余命を告げられたなら,(僕が)元気なうちに(体が動く間に)一緒にパタゴニアに旅してほしい。僕はもうあと,南米パタゴニアに行って“ロス・グラシアレス”の蒼い氷河さえ,この目で見ることができれば,もう人生に悔いはない・・・」
 
 妻は言った。
「わかった。絶対に連れて行ってあげるわ。ただし,その時はお医者さんも絶対一緒に連れて行くからね。」


【このような旅行記を書こうと思ったきっかけ】
 僕は,現役旅行会社で働いている。仕事柄,様々な旅行のパンフレットを毎日,目にすることができるので,間があれば,仕事以外の手配でも旅行のパンフレットを眺めている。そんな中,特に海外パンフレットは見るのがとても楽しい。旅行の仕事に就いた理由はまずは“旅が好き”であること。そして僕はこう考えている。



「自分は旅が好きである。それではこの旅の良さを人々に伝えたい」



営業はおせっかいにも,お客様に旅行の面白さ,素晴らしさを伝えることだと思う。このためには“旅が好き”ということは大切なことである。この“自分が好きな旅を人に伝えたい”と思ったことが一つの理由。


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 もう一つの理由は,“自分の生きた形跡を家族,子供,友人など自分と関わりを持った周りの人たちへ残したい”と思ったからである。文章を書くことによって自分という人間の軌跡を残すことができる。もし,その人が亡くなった場合,肉体は滅びてしまい,その人に関して残るものは写真だけになる。写真は映像と回想がすべてであり,そこからその人がどんな人物であったかということはわからない。(僕は親父の父である祖父は見たことがない。親父が高校の卒業式の朝に亡くなったそうだ。どんな人であったかは昔から興味があった)

僕には今,一人息子がいる。もし,自分が若くして(息子が大人としての物心をつく前に)この世を去った場合,息子にこの旅行記を読んでもらいたい・・・男という生き物は父親の本当の人物像を知りたく思うものである。(ます,自分が若くして去ることはないと思うが)


自分の軌跡を残すのは“人の使命”だと思った。



【夢にまで見たスイス・アルプス旅行の実現】
 本当に,スイスへは行けないと思った。そのとき僕はそう考えていた。しかし,最後まで諦めなかった。諦めなかったことで僕のスイス旅行の夢は実現した。(この経緯は本文で詳しく述べている)このことは本当に僕にとって自分の肥しとなっている。一人で,ガイドも添乗員もなしの旅行に行くとは思っても見なかった。


しかし,思った。


“案外,一人でも行けるものだと言うことを“


 このスイス旅行記は僕が大学を卒業しての学生時代最後の春休み,2001年3月15日~19日の5日間に行った記録である。文章は本当に長く,一冊の本というような仕上がりである。長くて,そして旅に興味のない人にとっては苦痛かもしれないが,少しでも興味がある方なら,どうか最後まで読んでいただきたい。何しろこの1ページを書くのだけで1時間から2時間かかるのだから。僕はこのスイス旅紀行ではスイスの基礎的な知識も自分なりに調べたことを述べている。(多少違っていることは資料も古いものがあるためご了承いただきたい)


スイス・・・永世中立国と言われているこの国はまさに“自然”の一言で表現できる。


僕はあの時,夢のひと時を過ごした・・・








あれから約10年。








ヨーロッパのこの美しいアルプス山脈は今も自然に満ち溢れているのだろう・・・









これから始まる物語は僕のスイスへの想いを述べた“軌跡”の旅行記である。







Mr.Children 終わりなき旅
 
 http://www.youtube.com/watch?v=g3tzb6TnYP4&feature=player_embedded
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Thema:海外旅行記
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