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壱岐タケチトのブログ旅行恋愛記

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性別:男 血液型:O型 星座:いて座  出身:徳島県  趣味:旅行、ピアノ、恋愛小説、ブログを書くこと

壱岐タケチト

Author:壱岐タケチト
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2011.2.26 滋賀県~近江牛と竜王アウトレット

2011.2.26 滋賀県~近江牛と竜王アウトレット
oumi_menu_1_4b[1]
*石焼の近江牛
毛利志満 レストラン - 近江牛の老舗





皆さんこんにちは!


2月25日があおいの誕生日だったので、先日の26日に近江牛と竜王アウトレットのツアーに行ってきました。


でもこのツアーなんと・・・・
















自社ツアーです!(笑)















そう・・・僕とあおいは自社ツアーにお客さんとして参加しました。
(きちんと旅行代金も払いました(^^ゞ)


あおいの誕生日にはいつも食事を誕生日プレゼントにしていましたが・・・


今回は自社ツアーの近江牛の食事をあおいにプレゼントしました。


(あと、竜王のアウトレットで化粧品を買ってプレゼントしました。僕は服や靴などをプレゼント候補にしていたのですがどうしてもあおいが化粧品がほしかったみたいで化粧品にしました)



今回のコースは以下のようになります。



徳島====◎近江牛老舗店(昼食)====滋賀竜王アウトレット====徳島



食事をして帰るだけのコースですが食事は約90分コース、アウトレットはたっぷり3時間滞在していましたので
出発は朝7:00、帰りは20:00頃になっていました。


滋賀県の竜王は片道で余裕を見て約4時間はかかりますからね・・・



そして今回のメインである近江牛は、毛利志満(もりしま)という老舗店です。


正直、肉は約10,000円のコースになります・・・(+o+)


生まれて初めての近江牛は何ともおいしい肉でした。


とにかく柔らかくて・・・油が凄く多かったです☆



以下に毛利志満のHP先を載せておりますのでご興味がある方はご覧ください。




毛利志満 【近江牛の老舗】

こちらは会社全体的な解説があります。




毛利志満 レストラン - 近江牛の老舗

こちらは今回訪れた毛利志満のレストランのHPです。





あと、今回のツアーには親戚の方や近所の人、知人の方もたくさんご参加頂きました。


お忙しい中にご参加本当にありがとうございました!


僕はあおい、坊主と他に、おば(私の母の妹)のまるこ(仮名)、いとこ(まるこの娘)のゆこ(仮名)と一緒に、5名グループという形でこのツアーに参加したのでした。


*母はこの日から東京マラソンに参加して徳島にしばらくおりませんので(笑)








IMG_0002_convert_20110227001131.jpg
滋賀県の竜王、毛利志満へ到着!
少し、京都で渋滞がありましたが11:20頃には到着しました。



まるこ
「タケチト、今日はお客さんだから気楽でいいだろう?」



壱岐
「まあな・・・こんなに正シートでゆったりと座って眠るのはそうそうないから、よかったよ(^^)」



あおい
「さあ、肉を食べるぞー!\(^o^)/」



ゆこ
「あたし、昨日楽しみすぎて、夜、眠れなかったわ(-。-)y-゜゜゜」



ははは・・・


女性陣はみんな凄く近江牛を楽しみにしているようだが僕は昨日、パスタを食べすぎてお腹が今も膨れていて・・・朝から何も食べなかったので少しはお腹が空いてきたんだけど・・・それでも近江牛を食べに行くってわかっていたのだから、昨日は無理にいっぱい食べることはなかったなあ(苦笑)・・・


でも・・・


到着したら食欲がみなぎってきた!


食べてやるぞ!






IMG_0004_convert_20110227001153.jpg
こちらは毛利志満の店内。
下には近江牛がたくさん売っている。
なんと、100グラム6,000円するお肉がありました!
お土産は他にも近江牛の肉を入れたカレーやその他、日持ちするお肉などたくさんありますよ。






IMG_0005_convert_20110227001209.jpg
それではお食事場所に、皆さん勢ぞろいで・・・
添乗員(先輩*ジャックです笑)が、皆さんに説明と出発時間のご案内などを・・・
あー、僕もいつもこんな風に案内をしているのに、今日は贅沢に座って、お肉を食べれるなんて・・・
なんて幸せなんだ\(^o^)/









IMG_0006_convert_20110227001226.jpg
今回は石焼きコース。

メニューは、

前菜・霜ふり牛肉刺身・石焼・牛トロにぎり・御飯・デザート です。

写真は、前菜・霜ふり牛肉刺身です。

座ったら最初に置いて頂いていました。




IMG_0007_convert_20110227001242.jpg
こちらが牛刺身のアップ写真!
牛刺身なんて初めて!
でも、臭みもなく、柔らかくて凄くあっさりして食べやすかったです!








IMG_0008_convert_20110227001256.jpg
こちらは前菜のアップ写真。
左の肉はたれみたいなもので熟して煮込んでいるもので甘くて香ばしかったです。
真ん中の豆腐は凄く油が効いてやわらかかった!
一番右の卵は甘くて食べたことがないような味でおいしかったです!





壱岐
「まるこ、ゆこ、せっかくなので二人で写真を撮ってあげるわ!」



まるこ
「本当やな・・・次、いつ来れるかわからないからね!バッチリうちのお嬢と写しておいて!」



壱岐
「了解!はいチーズ!」






IMG_0009_convert_20110227001315.jpg
まることゆこ。
二人ともそれはそれは今日のツアーを楽しみにしていたのでニコニコ☆




ゆこ
「タケくんとあおいちゃんも撮ったげるわ。」



壱岐
「ありがとう、じゃあお願い!あおい、食べてばかりでないで写真写すよ!(笑)」


あおい
「はーい(^○^)」






IMG_0010_convert_20110227001332.jpg
ピース!
家族3人です(坊主、あおい、壱岐)


まるこ
「タケチトビール飲むだろ?」



壱岐
「当然よ・・・お客で来ているのに飲まないわけにいかない・・・」


まるこ
「ゆこは?」


ゆこ
「あたしも少し飲むわ」


まるこ
「あおいちゃんは飲めなかったけ?」


壱岐
「あ、あおいは全くだめだからいいよ」


まるこ
「じゃあ、とりあえずビール3本とウーロン茶2本頼もうか。」


そして飲み物が届いて僕たちは乾杯した!















近江牛に乾杯!
a0027_001432_m.jpg














IMG_0048_convert_20110227001351.jpg
来ました!
近江牛の石焼きです!
こちらは一人前です。少なそうに見えますがとんでもない・・・
一人にしたらけっこうな量です。
油が多くやわらかいので凄くお腹がいっぱいになるのですよ!








IMG_0050_convert_20110227001408.jpg
全体的に写してみました。








IMG_0051_convert_20110227001427.jpg
さあ、こちらの4人用の鉄板で焼くぞ!






IMG_0053_convert_20110227001444.jpg
さっそく野菜とお肉を!
凄く油が飛び散り、ジューシー感が漂ってきました!
おいしそう!






IMG_0054_convert_20110227001501.jpg
この近江牛のおいしそうなこと!

お味の方は・・・

肉が柔らかくて、甘い・・・油身が多いが、くせがなく美食でした!








IMG_0055_convert_20110227001519.jpg
続いて牛トロにぎりの登場!
牛のトロの最高級部分をにぎっています!
でも、もうこれが出たころにはお腹がいっぱい・・・






IMG_0056_convert_20110227001536.jpg
ビール飲みも順調に進んでいます(^^ゞ



お客さん
「これ、食べらないからどうぞ!みんな若そうだから」

石焼の肉を約半人前


またまた別のお客様
「これ、子供さんにあげてね」

石焼の肉を約半人前


少しご年配のお客様は量が多かったみたいで(僕でもけっこう多く感じたので←ビールの飲みすぎ)お肉を僕たちの席に持ってきてくれる・・・
坊主が目立ったのもあるし、けっこう参加者の中では若い方だったので・・・



壱岐
「あ、いや、いいですよ、そんなに頂けません・・・・」



お客様方々
「いや、もう食べられないだけだから。残すともったいないから食べてほしいんです」



壱岐
「・・・わかりました・・・・ありがたく頂きます<(_ _)>」



お客様から頂くなんて・・・逆なんですけど・・(苦笑)


でも・・・せっかくなので頂くことに・・・


おかげで僕たち4人は(坊主入れて5人)は一人2人前ほどの肉を頂きました<(_ _)>
(でもかなりみんなお腹いっぱいでほら・・・僕以外の大人はみんな女性なのでに、タケチト君食べ食べと勧められて、僕がターゲットに!・・・もうお肉がみたくないくらい・・・さすがに最後は気持ち悪かったです・・・もう当分は肉はいいです
(笑)・・・)







IMG_0057_convert_20110227001552.jpg
まるこ
「いつもは残さないんだけどさすがにこの量は・・・笑・・・もう、まるちゃんもお腹がいっぱい・・・」


壱岐
「まるちゃん食べときって!また今度いつ食べられるかわからないよ!そうだ、食べてるところを記念に写真を撮ってあげるから←”うまいこと勧めて食べさせて肉を少しでも減らさせようと考えている壱岐”」



まるこ
「そういえば、食べてるところはなかったね!よし、食べてやるから写真お願いね!」



しめしめ(笑)





IMG_0062_convert_20110227001609.jpg
まるこ
「あーん」


ビールもたくさん飲んでとても幸せそうにお肉を食べるまるこでした☆








IMG_0064_convert_20110227001625.jpg
もう一度、家族で記念写真!
あおいも満足そうに肉を食べて・・・

あおい
「もうこれ以上は無理・・・・」







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散らばるお肉と野菜・・・

ゆこ
「タケくん、最後は男なんで食べてよ!」


まるこ
「タケチトどんどん食べないとあかんよ!」



壱岐
「はいはい、食べますよ!」



もうお腹が破裂しそう・・・



ビール一番たくさん飲んでるからね!僕は(笑)






IMG_0068_convert_20110227001659.jpg
ゆこ
「あっ・・・デザートが来た!これは別腹だから大丈夫!」


全く女性陣は・・・







IMG_0069_convert_20110227001717.jpg
最後の近江牛です!


壱岐
「みんな最後だけど食べたら?もう2度と食べられないよ!」



まるこ・ゆこ
「もう本当にいらない・・・」



あおい
「あっ・・・あたしやっぱりもらう!今度本当にいつ食べられるかわからないから!」



壱岐
「よっしゃ!あおい、全部いけ!」



でも結局、最後は夫婦二人で半分して・・・まるこにも一切れ食べてもらって、近江牛は全部食べた僕たちでした。






IMG_0071_convert_20110227001733.jpg
坊主
「僕も近江牛食べれてよかったよ!、凄くおいしかったよー!」
















近江牛を食べた後は僕たちはアウトレットへ・・・


こちらのアウトレットは西日本一の大きさだそうです。



三井アウトレットパーク滋賀竜王のHPはこちらです。



IMG_0077_convert_20110227001751.jpg
僕はブランド類に興味がないので、ここの3時間は苦痛でした・・・


今日のツアーは僕の中では近江牛で終わっています(笑)


あおいは自分の誕生日プレゼントを選ぶから、一人で買物へ。


まることゆこも、それぞれ、単独で店をまわることに。


僕は坊主を連れて公園で遊んでいました・・・















果てしなく長かった3時間でした(+o+)















だいたい、お店をまわっていたら男の人が、子供を抱いて後ろから凄く嫌そうな顔で着いてきている光景がよく見られました(笑)


僕は、店を周ること自体が苦痛だったので、公園に逃げたのでした(^^ゞ


あおいはランコムとか言う化粧品が欲しかったそうなのでこれを誕生日プレゼントにしました。


僕は服とかをあげたかったんですけどね・・・


でも本人がほしいものが一番いいでしょう☆



壱岐
「そのランコムとかいう化粧品って有名なの?」


あおい
「女の人でランコムを知らない人はいないよ」


化粧品LANCOMのHPはこちらです。



あと、最後に・・・


いつも僕の誕生日にプレゼントを送ってくれる姉が3月に誕生日なので・・・


コーチのカバンを買いました!
(さすがにコーチは僕も有名なのは知ってますよ。あと、グッチとかシャネル、エルメスとか良く聞きますね)



実はこのカバン・・・定価は58,000円でしたが・・・


キャンペーンで安くなっていたので本当に安く買えました・・・


でも・・・ここではその料金は、秘密にしておきますからね(笑)

















久しぶりに楽しい家族旅行ができました。


次はベトナムの続き(もしかしたらピアノ日記)を書きます!


いよいよ明日で2月も終わりですね!


もうすぐ春が来ます。


皆様、お体には十分お気をつけ下さい!


これからもブログをどうぞよろしくお願い致します!





追伸

3月3~5日 沖縄本島 添乗


3月7~8日 夕日ヶ浦温泉(かにツアー) 添乗


近くでは以上の添乗を予定しております!


この間は更新できませんので申し訳ございません<(_ _)>

第7章 わくわくトラベル社員の見せどころだ!~のび太の意地~

第7章 わくわくトラベル社員の見せどころだ!
     ~のび太の意地~

CIMG0177_convert_20110205110517.jpg






あー、馬はよかった・・・


仕事を忘れて平日にのどかに馬に乗るなんてぜいたくだなあ・・・


そんな思いの壱岐。


くつろいでいるのも、つかの間で、馬を降りた僕たちは再び、ジャングルの奥地へと入って行く。


まあ、ジャングルと言っても露店などが並んでおりそんなに、町からかけ離れたところではないが・・・


しばらく歩くと、服をいっぱい売っている露店がたくさんあったので見て見ることに!



店員さん
「お兄さん、見るだけタダ!着るだけタダ!」


店員さんの熱意に負けてとりあえずベトナム服を着てみることに!




CIMG0171_convert_20110205110359.jpg
ベトナム服を着てみました!
どうでしょうか?
似合いますかね?(笑)

でも・・・ちょっと一般的には着れなさそうだったので・・・代わりにTシャツを3つほどお土産に買った。
あおい、母、姉へ(1つ300円~500円で買えました(笑))







CIMG0174_convert_20110205110438.jpg
それでは昼ごはん・・・ではなくて朝のおやつです!

まだ、11時もきていないので・・・

露店の少し歩いたところにお土産屋さんと休憩所が一緒になったお店があったのでそこで休憩。


おいしそうな果物だ!







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こちらははちみつと酸っぱい果物がミックスした紅茶みたいなもの。

おいしかったですよ!






CIMG0177_convert_20110205110517.jpg
わくわくトラベル社員の集合です!
(でも、このボスのおもしろい写真といったら(壱岐の左)・・・・クックックッ・・・笑いがとまりません笑)


少し、果物をつまんだ僕たちのあとにナミさん・・・



ナミさん
「みなさん、おもしろいものを見せてあげましょう!」


何やら不気味な笑みを浮かべるナミさん・・・


いったい何を見せてくれるのか・・


















あっ!



















CIMG0178_convert_20110205110535.jpg
ハチだ!

しかも凄い量・・・








CIMG0179_convert_20110205110558.jpg
うわああ・・・

みっしりとつまっている・・・

気持ち悪い・・・


ナミさん
「へんな行動をとると刺されますから気をつけてくださいね!」


えっ・・・(@_@;)


へんな行動ってどんな行動なの??!!



マイケル
「壱岐さん、普通にしていたらこんなの楽勝っすよ!」



マイケルはそう言いながら、なんと・・・









CIMG0180_convert_20110205110618.jpg
ハチを持ちあげて自分の顔面に近づけている!\(◎o◎)/

なんという強者だ・・・

さすがにアメリカ帰りの男は違う・・・

(おもしろがって写真を撮るパタコは結局触らない*僕もだけど笑)




ナミさん
「さあ、こちらへ・・・次はこれです!」




うわっ・・・これは苦手な人は本当に苦手と思う・・・








CIMG0173_convert_20110205110419.jpg
今度はヘビ!

なんという生々しい・・・

噛まれたら一瞬であの世に送られそうだね・・・

















え・・・何してんの・・・・













CIMG0181_convert_20110205110637.jpg
なんと・・・ナミさんがヘビを掴んでいる・・・

マジで・・・

そんなにして持って大丈夫なの??


ナミさん
「大丈夫です!このヘビちゃんは絶対に噛みませんから!」


パタコ
「でも、毒はあるでしょう?」



ナミさん
「いや、大丈夫大丈夫!」



おいおい・・・パタコの質問は毒があるかどうか聞いていたのに・・・何がどう大丈夫なのだろうか(苦笑)


僕はあまりにも気持ちが悪かったので(ヘビはあまり好きではないので)よそに行ってお土産を見ていた。


しばらく見ていると急にメンバーの声が大きくなって騒いでいたのでみんなの所に帰ってみると・・・






















ジャック
「ほら、壱岐!お前もやれ!(`´)」



















ちょ・・・




















待てよ(笑)



















CIMG0182_convert_20110205110655.jpg
ギャクだろう!その行為は!(笑)\(゜ロ\)(/ロ゜)/

帰ってみると・・・ジャックがヘビを首に巻いている・・・

ナミさん、僕たちになんてことを教えてくれるの(笑)・・・

こっちでは何でもないことかもしれないけど僕たちには全く免疫がない・・・


ボス
「壱岐、次はお前もいけ!絶対、後でいい記念写真になるぞ!ブログに載せるんだろう!」



いやいや・・・普通に載せたくないし(笑)・・・というより巻きませんからボス!



壱岐
「そんなに勧めるんだったら次はボスがどうですか?」



ボス
「いや・・・わしはジンマシンができるかもしれんからな・・・体のことを思って・・・」



またまたうそを言って!


ボスもヘビが苦手なくせに・・・正直に言わないんだから・・・(笑)










CIMG0183_convert_20110205110715.jpg

ジャック
「ヒエー!」


なんだかんだいってジャックも最後は逃げるようにヘビを振るいきる・・・


さて・・・次の挑戦者は・・・



のび太
「どうしようかなあ・・・やってみようかなあ・・・・」



ジャック
「いける!何ともなかったぞ!」



パタコ
「のび太さん、いい記念になりますから!」



壱岐
「そうそう!こんなチャンスめったにないぜ!」←自分しないのに適当に勧めてる(笑)


のび太
「・・・・よし・・・・こい!」


のび太は覚悟を決めたのだった・・・


そして・・・
























CIMG0186_convert_20110205110733.jpg
のび太
「うわあ・・・なんか生暖かい・・・・こいつぬるぬるして動くよ・・・」


写真タイトル「のび太の意地」
*今回のベトナム旅行の写真でのMVPです!
 



のび太
「壱岐、早く写真撮ってくれ!(+o+)」



壱岐
「りょ、了解!任せて!」(くっくっくっ・・・おもしろすぎる<`ヘ´>)








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慣れてきたのび太は普通の笑みに・・

せっかくさっきのひきつった顔がおもしろかったのに(笑)



マイケル
「じゃあ、次は俺が行くッすよ!」


進んで希望したマイケル。


ハチも自ら顔をつけるし、ヘビも自分からするとは・・・


根性あるなあ、マイケルは・・・感心感心!









CIMG0188_convert_20110205110818.jpg
マイケル
「別に普通ッすよ。大したことないですよ!」


ボス
「マイケル、お前はここで生きていけそうだな!しばらく残るか!?」


マイケル
「いや・・・それだけは遠慮しておきます(苦笑)」


僕は次にさせられそうな雰囲気になって来たので・・・すかさずとんずら!
(別の店に行ってお土産ものを見に行く)


だって、もし噛まれたりしたら(噛まないとはいうけれど)


どうみたって周りに病院や血清注射などありそうな感じしないしね(苦笑)


その場にいなかったが、この後はパタコもしたらしい・・・


結局、僕とボス、久保田さんだけはヘビ巻きはしなかったのだった・・・・


でも後で僕はパタコに言う。


壱岐
「あーあ・・・でも、やっぱりあんな経験絶対にできないと思うから無理してでもやってたらよかったかなあ・・・苦笑」


パタコ
「だから壱岐さん、やっておいた方がいいって言ったじゃないですか!笑」









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食事やヘビ巻きが終わって落ち着いたころに地元の人たちが伝統の音楽を歌うために来てくれた。






CIMG0190_convert_20110205110906.jpg
お母さんがノリノリで歌う!

何を言っているのかわからないが(笑)







CIMG0193_convert_20110205110932.jpg
続いてきれいな女性が登場・・・

お酒を飲みながら真昼間からベトナムの奥地で唄を聞くとは本当に贅沢だなあ・・・





ナミさん
「それではそろそろ出発します!帰りは途中まで手こき船で移動してから、行きに乗った船場まで行きますね!」












CIMG0194_convert_20110205110958.jpg
手こき船乗り場は歩いてそんなに遠くはなかった。

この船に乗るのかあ・・・

本当に今日の旅は楽しいなあ・・・・







CIMG0196_convert_20110205111020.jpg
今度は、1班にボス、のび太、パタコ、マイケルが乗船!
おっ・・・いいポーズですねえ(^。^)y









CIMG0199_convert_20110205111042.jpg
ジャックに久保田さん、僕、ナミさんを撮ってもらった。







CIMG0201_convert_20110205111103.jpg
ホント、アマゾンの奥地みたい・・・









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ナミさんと壱岐の数少ないベトナム紀行の想い出のツーショットです!




ナミさん
「壱岐さん、船に戻ると皆さんにいいものをプレゼントしますよ!」


何?!


もう、はちやヘビはいらないよ(笑)








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これです!
ココナッツジュース!
かなり大きくて重くて堅い・・・量も多いし!









CIMG0209_convert_20110205111253.jpg
ナミさん
「みなさん、ココナッツジュースを飲んでいるところを写しますよ!」


ピース!


うん!良い一枚ですね!

みんなけっこう歩いたから疲れているなあ・・・・(^。^)



ナミさん
「壱岐さん、このココナッツ手で割れますか?」


壱岐
「え?穴が空いてるのですぐ割れそうだけど・・・割って見せますよ!」





CIMG0210_convert_20110205111312.jpg
どうあがいても割れませんでした!
石みたいに堅かったですね!


結局、割れなかった壱岐でした(誰も割れませんでした・・・笑)



















少し劇的な写真もお見せしましたがいかがだったでしょうか?


僕にとっては、このベトナム・カンボジア旅行ではこの日の半日観光が最もよかったです。


何かアジアらしい風景というか・・・


船に乗って、飴の作るところを見学、馬に乗って、ジャングルの露店で休憩、はちにヘビ、唄の観賞、ボートにココナッツジュース・・・自然あふれるコースでホーチミンでも本当のベトナムを見れたような気がします。


やっぱり旅は大きな町もいいけれどこのような自然ののどかな所は本当に心がなごみます!


さて物語は、第8章へと続きます!


この日の午後からは飛行機でカンボジアへ向かいます!


どうぞ次回もご覧ください!


2011年2月24日
壱岐タケチト



追伸

HPをリニューアルしましたが、記事が見にくくなったのでまた今のハイジに戻しています。
(厳密に言えば、変えたとブログの師匠である財前君に連絡したら、「大切な中枢部分はいじると元に戻らないのもあるからお前ではいじるなと言っただろう!(苦笑)また見ておくからとりあえず今のは見にくいから元に戻しておけよ!」と少しお叱りを頂きました(笑))

どうやら記事を見やすくしたり細かく変更するのはHTML言語を変えないといけないと財前君から連絡がありました。


財前君が、近いうちにHPのHTML言語をいじって変更してくれます。


財前、忙しいのにありがとう!<(`^´)>


第6章 馬に揺られてゆーらゆら・・・

第6章 馬に揺られてゆーらゆら・・・
CIMG0165_convert_20110205110311.jpg
*ベトナムの馬に揺られながらピース!




橋を渡ってジャングルの奥地を歩いていた僕たちは出口らしきところへ出てきた。


少し村になってきたので・・・ここは一つの集落なのだろう。



ナミさん
「みなさんはこれからある動物に乗ります」


その動物とは・・・


















CIMG0151_convert_20110201011257.jpg
こちらです!(ふつうに馬です!)

















ナミさん
「この馬はだいたい4人乗りの馬車なので、ここは二手に別れて乗るようにしますね!」




みんな
「はーい!」


僕たちはランダムにいた順番で



1班 ボス、のび太、壱岐、マイケル・・・


2班 ジャック、パタコ、久保田さん、ナミさん



という班に別れたのだった。




あっ・・・馬の横に犬がいる!




CIMG0153_convert_20110201011315_20110222123918.jpg
ナミさん
「ベトナムでは犬も食べるんですよ。」

全員
「えー(@_@;)・・・・」



少し驚いた僕たちでした(笑)






CIMG0155_convert_20110201011331.jpg
どうやらこの女性が僕たちを引っ張って行ってくれるみたいだ・・・
よろしくお願いします!



僕たちが全員乗った後、馬車は走り出す!




さあ、レッツゴ―!




CIMG0157_convert_20110201011352.jpg

風が気持ちいいなあ・・・


気持ちのいい風が僕たちを吹きつける・・・


馬車はけっこう、スピードも出ていた。


僕たちの後ろからは2班の馬車がしっかりと着いてくる。



ジャック
「壱岐、いい角度でうつしてくれよ!」



壱岐
「了解<(`^´)>!」



ボス
「2班はベストショットやな!この角度は」


のび太
「そういえば僕たち1班は前がいないから写真が2班みたいにベストショット撮れないなあ・・・(苦笑)」



そうだ!<(`^´)>


考えてみたら、先に行ったら写真を撮ってもらえられない・・・


くそ・・・ブログに乗せるのに・・・・ミスしたな・・・・(-。-)



壱岐
「あっ・・・でもボス、のび太と一緒に僕がきれいに写しますよ!」



ボス
「お、気が効くなあ、壱岐は。よし、のび太と一緒に写してくれ!」



”ちょっと・・・アップ写真になったな・・・まあモザイクをかけるからいいか←適当(笑)!!





CIMG0161_convert_20110201011449.jpg
ボスとのび太のツーショット!(ギリモザですかね?!)




以前、経理室にてベトナム5章を見たとき・・


のび太
「壱岐!これ、ボス、顔わかることない?!(大笑)」


壱岐
「え・・・・たしかに(大笑)まあ、大丈夫と思うよ!僕たちは目を隠しているし←(自分たちだけOK笑)」



・・・・僕たち(のび太含む)、ボスにばれたら怒られるかな(笑)








CIMG0158_convert_20110201011412.jpg
でも・・・何か凄くこののんびりした景色いいな・・・

僕はこのような情所あふれる風景が好きだ。

個人的だが、東京などの都会観光よりも、温泉地や島などの自然の田舎の観光地が好きなのである。
(あおいは全く逆なのだが・・・)



この旅紀行の次に書く予定だが、この風景はネパールへ行った時の*ポカラを思い出すなあ・・・





ポカラ(ネパール語पोखरा、英語Pokhara)は、ネパール・ガンダキ県およびカスキ郡の首都。カトマンズから西に約200kmの位置にある。
人口は約19万人(2005年現在)で、ネパール第2の都市である。
日本の信州的な町で、ヒマラヤの絶景を望むことができる。
古くからヨーロッパの人々が保養地として訪れていたが、白いヒマラヤが間近に見られる、いまやネパールを代表する景勝地の一つである。
ポカラ盆地からはポカラのシンボルともいえるマチャプチャレ(6993m)をはじめとして、アンナプルナ南峰(7219m)、ダウラギリ(8167m)などが美しいペワ湖に影を落とし、この街は周辺にトレッキング・メッカを控えてトレッキング会社も多数あり登山基地でもある。


*詳しくはネパール旅紀行で述べます。









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お、だんだんと道が道路になって来たぞ・・・・










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道には自転車やバイクに乗った多くの人たちも現れてきましたね。
そろそろ終点かな??


パッカ、パッカ、パッカ・・・


2班もぴったりとついてきている・・・



壱岐
「みなさん、もう一枚いきますよ!ピース!」














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いい感じ!ベストポーズですね!


ボス
「壱岐、前の人にパって、撮ってもらったらどうな?」


壱岐
「あ、そうしたら頼んでみますよ」


僕は、馬の運転手さんに頼んだ。



運転手さん
「OK!」



カシャッ




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*ベトナムの馬に揺られながらピース!
 上が切れてるのは馬の運転中だったので仕方ないですね(^^ゞ






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最後に馬のお姉さんと記念写真を撮った壱岐たちでした!













ベトナム紀行の更新、遅くなってしまって申し訳ございません。


ピアノや他の記事などを書いているせいもありますが最近、HPのシステム部分(記事や画像以外のHPの環境設定やシステムの中枢的部分)を勉強しています。


財前君が日本を発つのももう少し・・・


最後に彼にいろいろと聞きたいことがあるのですがそれまでに、少しでも知識をつけていこうと思って勉強しています。


FC2ブログですが、本当に極めようとしたら、けっこう難しいですね!


いかに財前君がHPを勉強していたかが見にしみてわかりました(@_@;)
(先日はシステムを詳しく勉強していく中でこの壱岐タケチト旅行恋愛記のHPのシステムから作り上げてくれた財前君は、なんとHTML言語もいじっているのがわかりました。僕のHPで絶対にHTML言語をいじらないとできない部分などを見つけましたので)



そういうわけで、現在、アルプスのハイジの表紙になっていますが、いいのがあって、自分で設定を変更できたら変えようと思います(だいたいわかりましたので・・・ただし変更は一時的かもしれませんが)



そんな、壱岐タケチト旅行恋愛記ですがもし、HPが変わっても、これからも皆様方の温かいご愛読をどうぞよろしくお願い致します!



次回は、恐らく今回の旅行で一番面白く、凄い記事になると思います!



なにせ、ここはベトナムの奥地の村ですからね!



のび太!ついに、出番が来たぞ!<(`^´)>



2011年2月23日
壱岐タケチト

2011年2.19~2.20三朝温泉

2011年2.19~2.20三朝温泉

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三朝温泉




皆様こんにちは!


今回は三朝温泉に行ってきました!


鳥取県では皆生温泉がよく聞くかと思いますが負けないぐらい三朝温泉も有名です。


三朝温泉と書いて(みささおんせん)


”みささ”とはなかなか読めないものですね・・・


実は三朝温泉は何が有名かと申しますと・・・















ラジウム(放射線*厳密にはラドン)を多く含んだ温泉なのです!














えっ!(@_@;)と思われる方もいらっしゃると思いますが・・・


実はこの辺りは火成岩が多くあり、地にはラジウムが多く含まれていました。


しかし、このラジウムが気化してラドンと成分に変わります。


ラドンは、ラジウムが分解されて生じる弱い放射線で、身体に浴びると新陳代謝が活発になり、免疫力や自然治癒力が高まる効果があります。


このラドンを多く含んだ三朝温泉は世界でも有数の珍しい放射線温泉なのです。






三朝温泉の効能 三朝温泉の効能の高さは全国でも有名で、そのため日本全国から治療と保養をする人が多く訪れます。
高いホルミシス効果のおかげで、観光のお客様だけでなく療養目的で来られる湯治のお客様など、あらゆる方々に愛されています。
古くは野口雨情、志賀直哉、与謝野鉄幹・晶子、斎藤茂吉、島崎藤村などの豪華な顔ぶれの文士たちも三朝温泉を訪ね、療養に訪れていました。.泉質 含放射能 / ナトリウム・塩化物泉
含放射能 / ナトリウム・炭酸水素塩泉
含放射能 / 単純泉
効能 リウマチ性疾患、痛風、高血圧症、動脈硬化症、糖尿病、消化器系疾患、胆肝道疾患、喘息など


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浸かってよし、吸ってよし、飲んでよし。三朝温泉のホルミシス効果
三朝のお湯は、高濃度のラドン含有量を誇る世界屈指の放射能泉です。
ラドンとは、ラジウムが分解されて生じる弱い放射線で、身体に浴びると新陳代謝が活発になり、免疫力や自然治癒力が高まる効果があります。
この効果をホルミシス効果といい、癒しの温泉と呼ばれる由来です。
三朝温泉の一部の温泉では源泉中のラドン含有量が683.3マッヘの記録も残っており、非常に高いホルミシス効果が認められています。

さらにラジウムが気化し、発生するラドンガス(湯気)吸うことで抗酸化機能が高まり、老化や生活習慣病の予防に役立ちます。
また、無色透明の三朝温泉の温泉はミネラルを豊富に含んでいるので、飲泉にもおすすめです。胃液膜の血液量が増加し、慢性消化器疾患・慢性気管支炎・胃腸病などに効果があります。



上記は三朝温泉観光協会のHPのものです。こちらです。








今回僕たちの宿泊したホテルは”岩崎”というホテルです。

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*左の湯の露天風呂
三朝温泉 ホテル 依山桜(いざんろう)岩崎HPはこちらです。



本当に良いお湯でした!


実は初めてだったので・・・うれしかったです!(*^_^*)


昔からこの放射線の三朝温泉に一度行ってみたかったので・・・・


徳島からは比較的近いので、近い所ほどなかなか旅行が後回しになるものです(笑)


お湯は透明ですが温度が熱く、体の芯まで温まります!


本当に微量の放射線のラドンが体にしみついていくような感じがしました!




今回の旅行は上司の凄く大事な添乗でした。


行く前は凄く緊張していましたが・・・何とか無事に終わりました・・・


特に大きな問題はなかったとは思ってるので・・・後はクレームがないことを祈っています(苦笑)



そんな三朝温泉ですが行程は以下となります。



2月19日(1日目)

徳島===由志園(昼食と見学)===水木しげるロード===三朝温泉



2月20日(2日目)
燕趙園===浦富海岸遊覧船===鳥取砂丘(昼食と散策)===海産物店===洲本(夕食)===徳島



それでは本編に入りたいと思います!



やっぱり三朝温泉はよかったですのでまた行きたいですね!











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朝に大山(だいせん)PAより大山を撮影!
こんな晴れて撮れるのは3週間ぶりだそうですよ!
ラッキーだったですね☆





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由志園の昼食。ここは本当に食事がおいしい!







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この時期にしか見れないので今日の見所です!





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美しいボタン。この紅色がなんともいえませんね!
リン!と咲く冬の代表的な力強いお花です!





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見渡す庭園はいつきても美しい・・・
この風景には心を打たれます☆






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由志園のスーパー名物”高麗人参液”
万病に効いて免疫力も上がるという。
左から、5,250円(55g)10,500円(130g)21,000円(270g)
なかなか手は出にくいお値段ですが、5,250円で2ヶ月持つそうです。


詳しくはこちらの大根島”由志園”公式HPをご覧ください。








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水木しげるロード到着。
今や境港の顔である。
もともと普通の商店街だったがみんなで、しよう!ということで妖怪石像などを作った。
米子空港も米子鬼太郎空港になっていますので(笑)
(ちなみにお隣の出雲空港は*縁結び空港*になりました。徳島空港も阿波踊り空港になったのは皆様ご存知でしょうか???)

境港のHPでの水木しげるロードの紹介はこちらです。




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出た!ねずみ男!(自分だけ助かろうとする、ずるがしこいなどあまりいいイメージがないが愛されるキャラですよね笑)





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鬼太郎くんです!
昔、よくテレビで見たのが懐かしいなあ・・・
おもしろかった・・・・






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こちらは隠岐の島に行く船です!
フェリー乗り場は凄くロードから近い!(歩いて5分ほど)
今年の夏には隠岐の島に家族旅行に行く予定を立ててますから(とにかく島が大好きです☆)乗り場を下見に行きました!







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ロードを出発して三朝へ向かう途中に見つけた、倒れている木。
今年は鳥取県は雪の大変な被害で木もこのように倒れている(まだまだ凄かったですよ!)
漁師の人も魚はいるのだが、雪で漁が控えられて魚介類の値段も今年は少し高いそうです・・・
皆様、鳥取県の観光をどうぞよろしくお願い致します!<(_ _)>
(*このコースはお勧めですよ!)






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前方に見えるのはそびえ立つ大山。
土曜日の今日はたくさんのスキー客がこの上でにぎわっていると思ったら急に大山にスキーに行きたくなりました。(人生初のスキーが大山でした。大学の時に親父たちとすべりました)

1999年1月  家族,父の会社関係家族と大山スキー行く(人生初スキー1.7~9)

本ブログ私の人生の旅行史です。~2007年までより抜粋です。こちらより行けます!







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三朝温泉到着しました!
この川には露天風呂があります!






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僕のお部屋です。






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さあ、宴会前に力を貯えないと<(`^´)>






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宴会席はイステーブルでした!







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やった―!
今年初の松葉ガニだ!

今回は添乗員は宴会場同席のため同じ料理です☆(宴会同席はもちろん、お仕事ですよ!お飲み物のお渡しやお酒つぎ、カラオケの曲番入れ、お疲れさまでしたのご挨拶回りは全員に行くのが当たり前・・・いくらでもお仕事はあります。泊りの添乗で一番の大仕事なのです!)次の仕事があるかどうかは宴会場での添乗員の応対にかかると言ってもおかしくもないのですからね<(`^´)>*これだけは何回来ても慣れません苦笑)


何とか宴会も無事に終わりました・・・・(^。^)y-.。o○あー、緊張した・・・














2月20日(2日目)




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三朝温泉の朝景色。また来るからね!







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燕趙園(えんちょうえん)の庭園に着きました。
さすがに見事な庭園造りですね!



燕趙園公式HPはこちらです。






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珍しい橋がある。







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9:30よりスタートする雑技がここでの今日の目玉。
さあ、ダイナミックな音楽と共に登場だ!





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すばらしく体がやわらかい!
相当な訓練だけではなく生まれつきのセンスもいると思う・・・






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今回は中国のウイグル民族の出身の子たちである。
ウイグル民族は目が大きくて鼻が高く、世界でも一番美人が多いと聞いたこともある。
(ここでの説明でもそう言われてました)





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最後にウイグル民族ショーを披露。
花瓶を口で持ち上げてそれを水平に保っているのだ・・・
ありえませんね(@_@;)







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続いて浦富海岸の遊覧船へ到着・・・













浦富海岸(うらどめかいがん)
自然が彫刻した岩と白砂青松の海岸は、文豪の島崎藤村も絶賛した景勝地として知られています。

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鳥取県観光情報HPより

「山陰の松島」と呼ばれる景勝地浦富海岸は「日本の渚百選」「平成にっぽん観光地百選」にも選ばれている名所。

その景観が似ていることから「山陰の松島」と呼ばれることもあります。約15kmにわたって続くリアス式海岸は変化に富み、西部には海食や風食によってできた奇岩、洞門、断崖絶壁が点在しています。


浦富海岸 島巡り 遊覧船 HPはこちらです。








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あっ!ウミネコだ!






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かわいらしいなあ・・・(笑)
ぷくっとしているところがいい。






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遊覧船が出発するとウミネコが必死で着いてくる。
この遊覧船からはえさやりができるのです(中にウミネコ用かっぱえびせん50円で売っている)
ウミネコたちは船からえさをくれるのを覚えているんでしょうね。





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えさをあげるお客さん。
しかし、船はけえっこう早いのでせっかく海にまいてもえさに気がつかずにそのまま飛ぶ鳥も多かった。
気づかれないえさは絶対に食べられることがないまま海に沈んでいくでしょうね・・・





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ここは見所だそうです。






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でもこの自然によってこのように大きく岩が繰りぬけられるのは凄いですねえ・・・







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続いて、鳥取砂丘の食事処へ・・・
こちらは昼食です。おいしそう!






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来ました、鳥取砂丘!
大学時代に両親と初めて来たのは夜に到着して見れなかった。
2回目にチャレンジした時に初めて見れました。






1998年11月 両親と鳥取旅行。初の鳥取県。大山の紅葉見る(11.21~22)
     11.21 夜に鳥取砂丘(初)行く鳥取で泊まる
     11.22 大山を観光~大山寺~紅葉鑑賞(雪も降っていた)


1999年5月  ゴールデンウイークに両親来て松江,出雲旅行と大山登山,岡山旅行。(5.2~4)
     5.1   両親呉に来る。
     5.2   島根県へ。出雲大社(初)~日御碕~松江城 (松江泊)
     5.3   鳥取県へ。大山登山(大山初登頂,1729m)夜は麓で泊まる。
     5.4   岡山県へ。倉敷美観地区~大原美術館~夜,呉へ帰り次の日両親は徳島へ帰る。


2004年2月  阪急ツアー参加 山陽味めぐり(両親と3人で参加 2.7)
         鳥取砂丘で食事(砂丘は大雪で何も見えない)お土産屋寄る
         (手術後の親父との人生で最後から2番目の旅行です。)


2007年3月   婚前旅行(妻が鳥取砂丘と出雲大社に行きたかったので鳥取・島根旅行)
     3.17 徳島~鳥取砂丘(食事、一緒にラクダに乗る)~玉造温泉 長生閣(泊)
     3.18 松江フォーゲルパーク、出雲大社(食事、参拝)、出雲そば食べて徳島へ



*以上、まだ仕事(添乗)で何回か来てるのですが、特に想い出に残っているのを壱岐タケチト旅行史より抜粋しました。


本ブログ、壱岐タケチト旅行史、私の人生の旅行史です。~2007年まではこちらです。



鳥取砂丘
日本海に面した東西16km、南北2kmに横たわる海岸砂丘。起伏量は47mにおよび日本最大。
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鳥取砂丘王国HPはこちらです。

東西16km、南北2kmの大きさを誇る鳥取砂丘。白兎海岸と併せて「日本の渚百選」に選ばれています。

日本海の季節風で、その表情も刻一刻と変化。大きさは歩いて実感するのが一番。起伏量日本一(47m)の砂丘の最高峰「馬の背」まで登れば、雄大な砂丘と日本海、美しく湾曲する海岸線が一望できる360度の大パノラマ。












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壱岐にとったらいろいろな想い出がある鳥取砂丘です。
何度来てもいいですね!
(両親と初めて来たときの感動、婚前旅行であおいとらくだに乗ったのがいい想い出になっています・・・)







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いるいる・・・
たくさんの人が見学しているなあ・・・





この後、海産物店に行って山陰を後にしたのでした・・・

山陰は昔から
「弁当は忘れても傘はわすれるな」
と言われるほど、天気が変わりやすく雨や雪が多いのですが今回は本当に2日間快晴でしたよ!






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最後に淡路島の洲本で夕食。
何とか無事に旅行は終わりました。
特に大きな問題もなく、お客様も喜ばれていましたのでので本当に嬉しく思います!
出発前に緊張のあまりお腹を壊していましたが何とか任務完了できました\(^o^)/



最後に・・・

何のデータ知りませんが徳島県の人達は

全国アンケートで、「県外の旅行でのお土産買い物の量、BEST 1」

に選ばれたそうです・・・・

私も添乗で”皆さんよく買うなあ・・・”と思ったりしていましたがまさか全国NO1だったとは・・・

県外のお土産屋さんからも何回も別の場所場所から
「徳島の方はよく買われるんですよ」
と言われてましたがあまり気にしてなかったのですが・・・


正直驚きです!

それだけ旅行に行く人が多いのかもしれませんね・・・



でもこのデータは喜ばしいことなのでしょうか?

それとも喜べないことなのでしょうか(苦笑)?


徳島県は他にも”糖尿病患者さんの率が全国NO1”という記録も持っています。


まさか・・・・


関係ありませんよね・・・


お土産のお饅頭の買いすぎで糖尿病が多くなったなんて(笑)



というわけで、今回の旅行も皆様たくさんのお土産を買って頂いていました☆













次回は本当にベトナムの続きを書きます!
(ベトナム書く書くと前回より書いてたのですみません<(_ _)>
2回目なのであまり信用できませんよね(苦笑))


今日は休みなので早起きしてブログ書いて今、アップしました!

今日は久しぶりの平日休みなのであおいとランチに行ってきます!



2011年2月22日
壱岐タケチト

ベートベン作曲「エリーゼのために」のピアノ動画を初公開しました。

ベートーベン作曲~「エリーゼのために」~4107090862[1]
http://www.shop.kotenha.com/ec-classic/pc/features/featuresResult.php?feature_id=213&pageNo=10&all_check=on&PHPSESSID=46f707c70580516539546fec1e68b18c&PHPSESSID=46f707c70580516539546fec1e68b18c









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ベートーベン作曲「エリーゼのために」のピアノ演奏です。

上記クリックで動画が流れます。



4月24日の発表会で演奏する3曲の最後の1曲です。



『エリーゼのために』は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの作曲した、よく知られたピアノ曲です。1810年作曲、イ短調、ロンド形式、WoO59の番号がつけられています。

曲のタイトルにある「エリーゼ」は、お金持ち(貴族)の娘であるところで、ベートーベンと知り合い、お互い恋に落ちました。しかし、ベートーベンは 貴族ではないため、もちろん、結婚する事、恋愛関係になる事は許されなかったのです。
「エリーゼのために」の明るく愛らしいところは共に楽しい時間を過ごしている様子、激しいところは辛さ、悲しさを表しています。









ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

Ludwig van Beethoven

499px-Beethoven[1]


ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven、ドイツ語ではルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェンに近い[1] 発音例、1770年12月16日ごろ[2] - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家。クラシック音楽史上極めて偉大な作曲家の一人とされる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされている。



生涯 [編集]
1770年12月16日、神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現ドイツ領)のボンで父ヨハン、母マリア・マグダレーナの長男として生まれる。ベートーヴェン一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であり、幼少のベートーヴェンも慕っていた祖父ルートヴィヒの支援により生計を立てていた。ベートーヴェンの父も宮廷歌手であったが無類の酒好きであったため収入は少なく、1773年に祖父が亡くなると生活は困窮した。1774年頃よりベートーヴェンは父からその才能を当てにされ、苛烈を極める音楽の教育を受けることとなり、1778年にはケルンでの演奏会に出演し、1782年よりクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事した。

1787年、16歳のベートーヴェンはウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルトに弟子入りを申し入れ、モーツァルトにその才能を認められ弟子入りを許されたが、最愛の母マリアの病状悪化の報を受けボンに戻った。母はまもなく死亡し、母の死後は、アルコール依存症となり失職した父に代わり仕事を掛け持ちして家計を支え、父や幼い兄弟たちの世話に追われる苦悩の日々を過ごした。

1792年7月、ロンドンからウィーンに戻る途中ボンに立ち寄ったハイドンに才能を認められ弟子入りを許可され、11月にはウィーンに移住し(12月に父死去)、まもなく、ピアノの即興演奏の名手(ヴィルトゥオーゾ)として名声を博した。

20歳代後半ごろより持病の難聴(原因については諸説あり)が徐々に悪化、26歳の頃には中途失聴者となる。音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から、1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』を記し自殺も考えたが、強靭な精神力をもってこの苦悩を乗り越え、再び生きる意思を得て新しい芸術の道へと進んでいくことになる。

1804年に交響曲第3番を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれ、ベートーヴェンにとっての傑作の森(ロマン・ロランによる表現)と呼ばれる時期となる。

40代に入ると、難聴が次第に悪化し、晩年の約10年はほぼ聞こえない状態にまで陥った。また神経性とされる持病の腹痛や下痢にも苦しめられた。加えて、非行に走ったり自殺未遂を起こすなどした甥カールの後見人として苦悩するなどして一時作曲が停滞したが、そうした苦悩の中で作られた交響曲第9番や『ミサ・ソレムニス』といった大作、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲等の作品群は彼の未曾有の境地の高さを示すものであった。

1826年12月に肺炎を患ったことに加え、黄疸も発症するなど病状が急激に悪化、病床に臥す。10番目の交響曲に着手するも未完成のまま翌1827年3月26日、肝硬変により56年の生涯を終えた。その葬儀には2万人もの人々が駆けつけるという異例のものとなった。





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ベートーヴェンの修行時代一覧 (セイヤー『ベートヴェンの生涯』より。)

(ボン時代)侯付き老オルガン奏者ヴァン・エーデン 諸記録は現存せず。シュロッサーの証言による。ベートーヴェン8歳、時にエーデン70歳。 ピアノフォルテを教授したとされる。 後任のネーフェが1781年にオルガニストとして着任、その翌年の1782年6月にエーデンは他界している。ベートーヴェンの祖父の仕事仲間であった古参のオルガニストであった。

(ボン時代)侯付きフランツ・ゲオルグ・ロヴァンテーニ 教師としては尊敬を集め、教えを請う者も少なくなかった。 ベートーヴェンはヴァイオリンとビオラを教授されたとする。 しかし、1781年9月9日に僅か24歳で死去。教授期間も不明である。 ベートーヴェンへのロヴァンテーニ教授期間も短期間であったらしい。

(ボン時代)ヴィリバルト・コッホ 修道士。オルガンの演奏技術、機械構造の専門的知識により敬意を寄せられていた。 若いベートーヴェンがコッホを訪ね求めて教えを乞うた結果、ヴィリバルト修道士が 後にベートーヴェンを助手や代理に使うほどの進歩を見せたことは、ベートーヴェンがオルガンの 演奏技術を身につけたのは、この修道士による教授の功績と考えてよい。 この頃のベートーヴェンがオルガンに興味を示したのは、仕事の範囲を増やす目的であったらしい。

(ボン時代)クリスティアン・ゴットロープ・ネーフェ。 ベートーヴェンの師匠としては、どの伝記作家も取り上げるネーフェ。 先に上述の候付き老オルガン奏者ヴァン・エーデンの後任として1781年に就任。 ベートーヴェンに何を教授したか、その期間も定かではないが、ネーフェ自身、一貫して系統立てて作曲の理論を学んでいたわけではないから、断片的にネーフェが知りうる程度の教授であったろうことは想像に難しくはない。

しかし、このクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェは、最初にベートーヴェンの才能を認めたヴァルトシュタイン伯爵とともに、ベートーヴェンの音楽的才能を最初に評価した人である光栄に浴する権利は十分にある。ベートーヴェンの「ウィーン行き」(ハイドンの元へベートーヴェンを弟子入りさせる計画)は、ネーフェとヴァルトシュタイン伯爵が実現させた立役者である。

ベートーヴェンもネーフェの好意に感謝をして「私の天与の芸術が向上するにつき、先生が再三ならず与えられた助言に感謝をしております」というベートーヴェンらしい強気な自信と感謝の念を残している。

(ウィーン時代)モーツァルト。この話は有名であるが、1回だけの訪問であったのか、ある程度複数回指導を受けたのかは全く記録が残されていない。またベートーヴェン自身も多くをこの問題では語っておらず、モーツァルト、またはその友人関係者の証言も後年になっても残されておらず、実情は一回だけの訪問で、短時間かつ冷淡であったと伝えられる。弟子には取られなかったのが、この後のベートーヴェンの行動から読み取れる。モーツァルトの弟子は、フランツ・クサバー・ジュスマイヤーで、モーツァルトが「天才」を評価して採用したが、結局は現在では数曲を残して世の中に埋もれてしまった。ベートーヴェン弟子入りは後にも先にもこの話だけであるので、弟子入りを認められた可能性は非常に少ない。ベートーヴェンがウィーンに出てきた目的は、ボン選帝侯からのハイドンの弟子になる目的で拘束されており、表敬訪問であったと考えるのが妥当である。また、よく語られるこの時のエピソードもモーツァルト研究者オットー・ヤーンから出てきた話である。 実際にはモーツァルトの父親が重病の知らせを受けていた時期でもあり、冷淡な反応しか得られなかった可能性が高い。


(ウィーン時代)フランツ・ヨーゼフ・ハイドン。正確な記録が残されておらず、ベートーヴェンがハイドンからどれだけの期間学んだのか、大雑把なことしか判明しない。ベートーヴェンがウィーンに出てきた1792年7月からハイドン自身が第2回目の渡英をするまでの1794年1月29日までが、最長での教授を受けられる期間である。目的は厳格な対位法を学習するためである。

ただ、授業内容は大いにベートーヴェンを失望させ「自分が期待しても良いと思っていた優秀さにはお目にかからなかった」と明言している。また、ベートーヴェンの友人の記憶では、ベートーヴェンは「何らかの指導を受けたが何一つ学んだわけではない」と明言している。

ハイドン側にも第2回目の渡英で用意する作品の準備などで多忙であったこと、また現在残るハイドンとベートーヴェンの練習帳は、必ずしもベートーヴェンが間違えた箇所全てにハイドンの添削があるわけではなく、ハイドンの側にも多忙な一時期とは言え、親身な指導をしていないことも、ベートーヴェンを失望させる原因の一つと考えられる。

また、ベートーヴェンの雇用者(ボン選帝侯)に作曲の進捗具合を報告する際に、ハイドン自身とベートーヴェンとの間に意思疎通がなかったためか、旧作を間違えて送ってしまったり、ボン時代にすでに知られていた作品の改作などを送ってしまったため、ボン選帝侯よりの返書がハイドンの指導に疑念を遠まわしに投げかける内容になってしまったため、ベートーヴェンとハイドンの間に気まずい雰囲気を醸し出したことも影響して、ハイドンが弟子であるベートーヴェンと渡英しなかった理由とされている。(この弟子入りは当然有償で行われた。)

ハイドンが渡英した時点で、すでにベートーヴェンは、アルブレヒツベルガーの弟子に入門していた。 また、ハイドンの指導の結実として、モーツァルト同様にベートーヴェンも「弦楽四重奏曲6曲」をハイドンに献呈したが、ハイドンはこの「弦楽四重奏曲集」には全く理解を示さず、弟子たちには「私ならもっと別な作曲の仕方がある」と不満を口にしていた。

全ての教授してくれる人たちへのベートーヴェンの顕著な傾向として、指導を受けている最中は、その師匠の指示や方針に誠意を持って忠実に従うが、いざ、自分の作品となると、自分らしさを全面に押し出し、その師匠から学んだ成果を織り込んだりすることはなかったようである。 しかし、お互いに喧嘩したりと離反することは一度もなかった。それは、ハイドンへの弟子入りはボンの選帝侯の意思によっており、自分自身の意向で物事を決められる立場ではなかったこと、ベートーヴェンにとってもハイドンの影響力は絶大なものがあったからである。


(ウィーン時代)ヨハン・シェンク。資料に乏しく、資料として残るのはシェンク自身、ベートーヴェンへ教授して以降、相当の時間を置いて証言しており、どの程度の信用性があるか疑問が大きい。セイヤー説では1793年8月から1794年5月説を主張しているが、現在では、シェンクの教授を受け始めた時期としては、ハイドンの教授が始まって「年単位」ではなく「週単位」の時間差であろうとする見方が主流である。(ハイドンの教授に不満を覚えたベートーヴェンが、ハイドンには内緒で他の音楽家へ教授を受けたということである。それも、ハイドンの教授が始まってから数週間程度の時間差しかないことを主張している。)

シェンクがベートーヴェンに言及しているのは、前述の通り相当の歳月が経過した後で、記憶の錯綜もある可能性がある。だが、ベートーヴェンを教授して最初に感じた印象は、「厳格対位法」の初歩的な理論がベートーヴェンに正しく理解されていなかったと証言している。ハイドンでの「厳格対位法」の教授から僅かの時間差を経てシェンクに学び始めたということもあるだろうが、ハイドンも真剣に教授しようとするには余りにも時期的に多忙すぎる不運な時期であったかもしれない。

(ウィーン時代)ヨハン・アルブレヒツベルガー。アルブレヒツベルガー自身、多作な作曲家であり、ベートーヴェンには「厳格対位法」の基礎を教えなおした。対位法のうち、フーガ形式のものはアルブレヒツベルガーのもとでは学ぶことが出来なかったが、それでもその形式の構成要素や、その適用の仕方は学ぶことが出来た。 このアルブレヒツベルガーの元でのベートーヴェンの学習は、毎週3回、アルブレヒツベルガーが、教授が終了するまで160頁を残していることから、ノッテボームの研究により、約15箇月と推定された。このアルブレヒツベルガーからは「対位法」のうち、「フーガ」は学べなかったが、本格的な「厳格対位法」について学べた機会は、アルブレヒツベルガーの元で得た知識が元になっている。

(ウィーン時代)アントニオ・サリエリ。資力にとぼしい作曲家を無料で教授するという条件で、ベートーヴェンはイタリア語歌曲の作曲法について学び、教授が1802年で終了した後も、イタリア語歌曲を作曲する場合は、必ず助言を求めていたほどの親密さがあった。どの教授も、ハイドン以外の人たちとは教授が終わると、程度の差こそあれ、疎遠になってしまうが、サリエリの場合だけは例外である。 その後、晩年にいたり、サリエリに関するスキャンダラスな噂(モーツァルト毒殺説)が流され、ベートーヴェンの耳にも情報が入り、「筆談帳」で、この話題を憂えている。

まとめ:1809年にハイドンも逝去し、モーツァルトに至っては1791年に逝去しており、ベートーヴェンは、この巨匠たちのたゆまぬ作品に対する努力の成果を全て知ることが出来た。また、貪欲に「純粋対位法」という難問を求めたことは、作曲の場において、各声部に独立した役割を与えるためであった。また対旋律の構築など、音楽の各声部を立体的に構築することにあった。

作風 [編集]
初期 [編集]作曲家としてデビューしたての頃は耳疾に悩まされることもなく、古典派様式に忠実な明るく活気に満ちた作品を書いていた。この作風は、ハイドン、モーツァルトの強い影響下にあるためとの指摘もある[3]。


中期 [編集]
1802年の一度目の危機とは、遺書を書いた精神的な危機である。ベートーヴェンはこの危機を、ウィーン古典派の形式を再発見する事により脱出した。つまりウィーン古典派の2人の先達よりも、徹底して形式的・法則的なものを追求した。この後は中期と呼ばれ、コーダの拡張など古典派形式の拡大に成功した。

中期の交響曲はスケルツォの導入(第2番以降)、従来のソナタ形式を飛躍的に拡大(第3番)、旋律のもととなる動機やリズムの徹底操作(第5、7番)、標題的要素(第6番)、楽章の連結(第5、6番)、5楽章形式(6番)など、革新的な技法を編み出している。その作品は、古典派の様式美とロマン主義とをきわめて高い次元で両立させており、音楽の理想的存在として、以後の作曲家に影響を与えた。第5交響曲に典型的に示されている「暗→明」、「苦悩を突き抜け歓喜へ至る」という図式は劇性構成の規範となり、後のロマン派の多くの作品がこれに追随した。


後期 [編集]
1818年の二度目の危機の時にはスランプに陥っていたが、ホモフォニー全盛であった当時においてバッハの遺産、対位法つまりポリフォニーを研究した。対位法は中期においても部分的には用いられたが、大々的に取り入れる事に成功し危機を乗り越えた。変奏曲やフーガはここに究められた。これにより晩年の弦楽四重奏曲、ピアノソナタ、交響曲第9番、『荘厳ミサ曲』、『ディアベリ変奏曲』などの後期の代表作が作られた。

後世の音楽家への影響と評価 [編集]ベートーヴェンの音楽界への寄与は甚だ大きく、彼以降の音楽家は大なり小なり彼の影響を受けている。

ベートーヴェン以前の音楽家は、宮廷や有力貴族に仕え、作品は公式・私的行事における機会音楽として作曲されたものがほとんどであった。ベートーヴェンはそうしたパトロンとの主従関係(および、そのための音楽)を拒否し、大衆に向けた作品を発表する音楽家の嚆矢となった。音楽家=芸術家であると公言した彼の態度表明、また一作一作が芸術作品として意味を持つ創作であったことは、音楽の歴史において重要な分岐点であり革命的とも言える出来事であった。

中でもワーグナーは、ベートーヴェンの交響曲第9番における「詩と音楽の融合」という理念に触発され、ロマン派音楽の急先鋒として、その理念をより押し進め、楽劇を生み出した。また、その表現のため、豊かな管弦楽法により音響効果を増大させ、ベートーヴェンの用いた古典的な和声法を解体し、トリスタン和音に代表される革新的和声で調性を拡大した。

一方のブラームスは、ロマン派の時代に生きながらもワーグナー派とは一線を画し、あくまでもベートーヴェンの堅固な構成と劇的な展開による古典的音楽形式の構築という面を受け継ぎ、ロマン派の時代の中で音楽形式的には古典派的な作風を保った。しかし、旋律や和声などの音楽自体に溢れる叙情性はロマン派以外の何者でもなかった。また、この古典的形式における劇的な展開と構成という側面はブラームスのみならず、ドヴォルザークやチャイコフスキー、20世紀においてはシェーンベルク、バルトーク、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、ラッヘンマンにまで影響を与えている。


思想 [編集]
ベートーヴェンはカトリックであったが敬虔なキリスト教徒とはいえなかった。『ミサ・ソレムニス』の作曲においてさえも「キリストなどただの磔(はりつけ)にされたユダヤ人に過ぎない」と発言した。ホメロスやプラトンなどの古代ギリシア思想に共感し、バガヴァッド・ギーターを読み込むなどしてインド哲学に近づき、ゲーテやシラーなどの教養人にも見られる異端とされる汎神論的な考えを持つに至った。彼の未完に終わった交響曲第10番においては、キリスト教世界と、ギリシア的世界との融合を目標にしていたとされる。これはゲーテが『ファウスト』第2部で試みたことであったが、ベートーヴェンの生存中は第1部のみが発表され、第2部はベートーヴェンの死後に発表された。権威にとらわれない宗教観が、『ミサ・ソレムニス』や交響曲第9番につながった。
また、同時代のロマン派を代表する芸術家E.T.A.ホフマンは、ベートーヴェンの芸術を褒め称え、自分たちロマン派の陣営に引き入れようとしたが、ベートーヴェンは当時のロマン派の、形式的な統一感を無視した、感傷性と感情表現に代表される美学からは距離を置いた。ベートーヴェンが注目したものは、同時代の文学ではゲーテやシラー、また古くはウィリアム・シェイクスピアらのものであり、本業の音楽ではバッハ、ヘンデルやモーツァルトなどから影響を受けた。また哲学者カントの思想に接近し、カントの講義に出席する事も企画していたといわれ、カントの美学をベートーヴェンは体現したともいわれる[4]。
政治思想的には自由主義者であり、リベラルで進歩的な政治思想を持っていた。このことを隠さなかったためメッテルニヒのウィーン体制では反体制分子と見られた。
その他にも、天文学についての書物を深く読み込んでおり、彼はボン大学での聴講生としての受講やヴェーゲナー家での教育を受けた以外正規な教育は受けていないにも関わらず、当時においてかなりの教養人であった。
人物 [編集]身長は167cm前後と当時の西洋人としては中背ながら、筋肉質のがっしりとした体格をしていた。肌は浅黒く、天然痘の痕でひどく荒れており、決してハンサムとはいえなかったが、表情豊かで生き生きした眼差しが人々に強い印象を与えた。
基本的に服装に無頓着であり、若い頃の服装はエレガントであったが、歳を取ってからは一向に構わなくなった。弟子のチェルニーは初めてベートーヴェンに会った時、「ロビンソン・クルーソーのよう」、「黒い髪の毛は頭の周りでもじゃもじゃと逆立っている」という感想を抱いたし、作曲に夢中になって無帽で歩いていたため浮浪者と誤認逮捕され、ウィーン市長が謝罪する、という珍事が起こったこともある。部屋の中は乱雑さを極めていたが、風呂と洗濯は好み、また生涯で少なくとも70回以上引越しを繰り返したことでも知られている。当時のウィーンでは、ベートーヴェンが変わり者であることを知らない者はいなかったが、にもかかわらず、どの作曲家よりも尊敬されていたという。
性格は矛盾に満ちていて、ことのほか親切で無邪気かと思えば、厳しく冷酷になるなど気分の揺れが激しかった。生来の情愛の深さも、無遠慮さのため傲慢で野蛮で非社交的という評判であった。
師ハイドンに、楽譜に「ハイドンの教え子」と書くよう命じられた時は、「私は確かにあなたの生徒だったが、教えられたことは何もない」と突っぱねた。
パトロンのリヒノフスキー侯爵には、「侯爵よ、あなたが今あるのはたまたま生まれがそうだったからに過ぎない。私が今あるのは私自身の努力によってである。これまで侯爵は数限りなくいたし、これからももっと数多く生まれるだろうが、ベートーヴェンは私一人だけだ!」と書き送っている。1812年
テプリツェでゲーテと共に散歩をしていて、オーストリア皇后・大公の一行と遭遇した際も、ゲーテが脱帽・最敬礼をもって一行を見送ったのに対し、ベートーヴェンは昂然(こうぜん)として頭を上げ行列を横切り、大公らの挨拶を受けたという。後にゲーテは「その才能には驚くほかないが、残念なことに不羈(ふき)奔放な人柄だ」とベートーヴェンを評している。
交響曲第5番の冒頭について「運命はこのように戸を叩く」と語ったことや、ピアノソナタ第17番が“テンペスト”と呼ばれるようになったいきさつなど、伝記で語られるベートーヴェンの逸話は、自称「ベートーヴェンの無給の秘書」のアントン・シンドラーの著作によるものが多い。しかし、この人物は嘘が多く、ベートーヴェンの死後、自分の立場が有利になるよう資料を破棄したり改竄(かいざん)を加えたりしており、それらの逸話にはほとんど信憑性が認められてない。
聴覚を喪失しながらも音楽家として最高の成果をあげたことから、ロマン・ロランをはじめ、彼を英雄視・神格化する人々が多く生まれた。
死後、「不滅の恋人」宛に書かれた1812年の手紙が3通発見されており、この「不滅の恋人」が誰であるかについては諸説ある。テレーゼ・フォン・ブルンスウィックやその妹ヨゼフィーネ等とする説があったが、現在ではメイナード・ソロモンらが提唱するアントニア・ブレンターノ(クレメンス・ブレンターノらの義姉、当時すでに結婚し4児の母であった)説が最も有力である。
メトロノームを初めて利用した音楽家だといわれている。
パンを入れて煮込んだスープ、魚料理、茹でたてのマカロニにチーズを和えたものが大好物であった。
コーヒーは必ず自ら豆を60粒数えて入れたという。
名前 [編集]原語であるドイツ語ではルートゥヴィヒ・ファン・ベートホーフェン[ˈluːtvɪç fan ˈbeːthoːfən]、英語ではルードゥウィグ・ヴェン・ベイト(ホ)ウヴァン[luːdwɪg væn beit(h)ouvən]といった発音をされる。中国では外来語のvをfまたはwの異音と見なすので、「貝多芬(Beiduofen)」となる。

日本でも明治時代の書物の中には「ベートーフェン」と記したものが若干あったが、ほどなく「ベートーヴェン」という記述が浸透していき、リヒャルト・ワーグナーのように複数の表記が残る(ワーグナー、ヴァーグナー、ワグネル)こともなかった。唯一の例外は、NHKおよび教科書における表記の「ベートーベン」である。

姓に“van”がついているのは、ベートーヴェン家がネーデルラント(フランドル)にルーツがあるためである(祖父の代にボンに移住)。vanがつく著名人といえば、画家のヴァン・ダイク(van Dyck)、ファン・エイク(van Eyck)、ファン・ゴッホ(van Gogh)などがいる。

vanはドイツ語、オランダ語では「ファン」と発音されるが、貴族を表す「von(フォン)」と間違われることが多い。「van」は単に出自を表し、庶民の姓にも使われ、「van Beethoven」という姓は「ビート(Beet)農場(Hoven)主の」という意味に過ぎない。しかしながら、当時のウィーンではベートーヴェンが貴族であると勘違いする者も多かった。

偉大な音楽家を意味する「楽聖」という呼称は古くから存在するが、近代以降はベートーヴェンをもって代表させることが多い。例えば3月26日の楽聖忌とはベートーヴェンの命日のことである。

死因また健康について [編集]慢性的な腹痛や下痢は終生悩みの種であった。死後に行われた解剖では肝臓、腎臓、脾臓、他、多くの内臓に損傷が見られた。これらの病の原因については諸説あり、定説はない。近年、ベートーヴェンの毛髪から通常の100倍近い鉛が検出されて注目を集めた。鉛は聴覚や精神状態に悪影響を与える重金属であるが、ベートーヴェンがどのような経緯で鉛に被曝したかについても諸説あり、以下のごとくである。

ワインの甘味料として用いられた酢酸鉛とする説。
1826年の1月から肝障害による腹水の治療を行ったAndreas Wawruch医師が腹部に針で穴を開けて腹水を排水した時、腹部に穴を開けるたびに髪の毛の解析では鉛濃度が高くなっていることから、傷の消毒のために使用された鉛ではないかとする説。
難聴について [編集]難聴の原因については諸説[5]ある。

耳硬化症説
…伝音性の難聴であり、中耳の耳小骨の「つち・きぬた・あぶみ」の内のあぶみ骨が固まってしまい、振動を伝えなくなってしまった為に、音が聞こえなくなってしまう難病。ベートーベンの難聴が耳硬化症である論拠として、ベートーベンが人の声は全く聞こえてなかったにも関わらず、後ろでピアノを弾いている弟子に、「そこはおかしい!」と注意したエピソードが挙げられる。これは耳硬化症に特有の、人の声は全く聞こえなくなるが、ピアノの高音部は振動を僅かに感じることが出来る性質にあると考えられる。
又、ベートーベンは歯とピアノの鍵盤をスティックで繋ぐことで、ピアノの音を聞いていたという逸話もこの説を裏付ける論拠として挙げられる。

先天性梅毒説
…「蒸発性の軟膏を体に塗り込んだ(水銀の可能性。当時梅毒の治療法の一つ)」という記述がある為に、論拠とされている。しかし、後にベートーベンの毛髪を分析してみた結果、水銀は検出されず、又、梅毒は眩暈(めまい)の症状を併発するにも関わらず、そういった話が無い為に、先天性梅毒説は説得力の乏しいものとなっている。

鉛中毒説
…上記に記載した通り。

親族 [編集]
祖父:ルートヴィヒ(同姓同名)
フランドル地方・メヘレン出身。ケルン大司教(選帝侯)クレメンス・アウグストに見出され、21歳でボンの宮廷バス歌手、後に宮廷楽長となった。
祖母:マリア・ヨゼファ
父:ヨハン
母:マリア・マグダレーナ  ヨハンとは再婚(初婚は死別)。肺結核により死去。
弟:カスパール・アントン・カール
甥:カール  カスパールの息子。1826年にピストル自殺未遂事件を起こす。
弟:ニコラウス・ヨーハン

弟子 [編集]
カール・ツェルニー - クラヴィア奏者・作曲家。
フェルディナント・リース - クラヴィア奏者・作曲家。
ルドルフ大公 - ベートーヴェンの最大のパトロン。のちにオロモウツ大司教。弟子としては唯一、ベートーヴェンが彼のために曲を書いている。
ドロテア・エルトマン男爵夫人 - メンデルスゾーンと交流。
代表作 [編集]詳細は「ベートーヴェンの楽曲一覧」を参照


交響曲(全9曲) [編集]
第1番 ハ長調 op.21
第2番 ニ長調 op.36
第3番 変ホ長調 『エロイカ(英雄)』 op.55
第4番 変ロ長調 op.60
第5番 ハ短調 (運命) op.67
第6番 ヘ長調 『田園』 op.68
第7番 イ長調 op.92
第8番 ヘ長調 op.93
第9番 ニ短調 (合唱付き) op.125
管弦楽曲 [編集]『レオノーレ』序曲第1番 Op.138
『レオノーレ』序曲第3番 Op.72b
序曲『コリオラン』ハ短調 Op.62
交響曲『ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い』 Op.91
『命名祝日』序曲 Op.115
『アテネの廃墟』序曲 ハ長調Op.117
『献堂式』序曲 ハ長調Op.124
協奏曲、協奏的作品 [編集]ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 『皇帝』 Op.73
ヴァイオリン協奏曲ニ長調 Op.61
ロマンス第1番 ト長調 Op.40
ロマンス第2番 ヘ長調 Op.50
三重協奏曲(ピアノ・ヴァイオリン・チェロのための)ハ長調 Op.56
合唱幻想曲 ハ短調 Op.80
室内楽曲 [編集]弦楽四重奏曲(全16曲)
第7番 ヘ長調(ラズモフスキー1) Op.59-1
第8番 ホ短調(ラズモフスキー2) Op.59-2
第9番 ハ長調(ラズモフスキー3) Op.59-3
第10番 変ホ長調(ハープ) Op.74
第11番 ヘ短調『セリオーソ』 Op.95
第12番 変ホ長調Op.127
大フーガ 変ロ長調 Op.133
弦楽五重奏曲 (全3曲)
ヴァイオリンソナタ(全10曲)
第5番 ヘ長調 『春』 Op.24
第9番 イ長調 『クロイツェル』 Op.47
チェロソナタ(全5曲)
ピアノ三重奏曲(全7曲)
第5番 ニ長調『幽霊』 Op.70-1
第7番 変ロ長調『大公』 Op.97
その他の室内楽曲
ホルン・ソナタ ヘ長調 Op.17
六重奏曲 Op.81b
七重奏曲 変ホ長調 Op.20
管楽八重奏曲 Op.103


ピアノ曲 [編集]ピアノソナタ(全32曲)  

第8番 ハ短調『悲愴』 Op.13
第14番 嬰ハ短調 『月光』 Op.27-2
第15番 ニ長調 『田園』
第17番 ニ短調『テンペスト』 Op.31-2
第21番 ハ長調 『ヴァルトシュタイン』Op.53
第23番 ヘ短調 『熱情』 Op.57
第26番 変ホ長調『告別』 Op.81a
第29番 変ロ長調『ハンマークラヴィーア』 Op.106
第30番 ホ長調 Op.109
第31番 変イ長調 Op.110
第32番 ハ短調 Op.111
その他のピアノ曲(変奏曲、バガテル等)

創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 Op.34
創作主題による15の変奏曲とフーガ(エロイカ変奏曲)変ホ長調 Op.35
『ゴッド・セイヴ・ザ・キング』の主題による7つの変奏曲 ハ長調 WoO.78
『ルール・ブリタニア』の主題による5つの変奏曲 ニ長調 WoO.79
創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO.80
創作主題による6つの変奏曲 ニ長調 Op.76
ディアベリのワルツによる33の変容(ディアベリ変奏曲) ハ長調 Op.120
アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO.57
幻想曲 Op.77
ポロネーズ ハ長調 Op.89
7つのバガテル Op.33
11の新しいバガテル Op.119
6つのバガテル Op.126
バガテル『エリーゼのために』 WoO.59
オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品 [編集]歌劇『フィデリオ』 Op.72c
劇付随音楽『エグモント』Op.84
劇付随音楽『アテネの廃墟』 Op.113
バレエ音楽『プロメテウスの創造物』 Op.43
オラトリオ『オリーヴ山上のキリスト』 Op.85
カンタータ『静かな海と楽しい航海』 Op.112
別れの歌
宗教曲 [編集]ミサ曲 ハ長調 Op.86
ミサ・ソレムニス ニ長調 
修道僧の歌
皇帝ヨーゼフ2世の為の葬送カンタータ WoO.87
歌曲 [編集]アデライーデ Op.46
汝を愛す
鶉の鳴き声
新しい愛、新しい生
口づけ
追憶
懺悔の歌
モルモット(旅芸人)
連作歌曲集『遥かなる恋人に寄す』 Op.98
曇りのち、快晴








この曲は私がピアノを習っていた時にたまこ先生から唯一、自分のレベルの教本を飛び越して習った曲で、何回も何回も練習していたため、当時から20年近くたった今でも楽譜を見ないでも弾けることができました。

しかし、演奏レベルはかなり低いものと思います・・・譜面だけが読めるということでこの曲を演奏することにしました。

他の2曲が完成していないためのこの曲はほとんど弾いていませんが、発表会までにはもっと練習して上手くなるように頑張りたいと思っています。
















2月19~20日(土) 三朝温泉(鳥取県) 添乗


2月26日 休み  自社ツアーにあおいと参加(近江牛と竜王アウトレット)*お客で行きます


2月27日(日) 浜坂のかにツアーはなくなり、休みになりました。


3月3~5日  沖縄本島周遊  添乗(今年、2回目早くも通算、3回目になりました!!(^^)!)


3月7~8日  夕日ヶ温泉のかに会席(北京都*日本海) 添乗


3月の上句は添乗がぎっしり詰まってきましたので
少し忙しくなってきました!



先日は仕事で飲み会があったのですが、飲み過ぎたせいか、今日、凄くお腹が調子悪いです・・・(+o+)


夕方は、吐き気もして、明日から添乗のにどうしよう(>_<)と心配していましたが何とかおさまってきました。


明日から三朝温泉の添乗ですが、一般団体御一行様で、上司のもの凄く大事なお客様です・・・


絶対にミスをしないように強く言われましたので、その関係でも緊張のせいかお腹が調子悪いですが・・・大事なお仕事なので、頑張って添乗に行ってきます!


3日ほど更新できないと思いますが、次回は本当にベトナム紀行の続きを書こうと思っております。


どうぞまたお越しください!

2011年2月18日
壱岐タケチト

2011年2.11~2.12金太郎温泉と富山観光 2日目~ルイレールとますずし~

2011年2.11~2.12金太郎温泉と富山観光 2日目
~ライトレールとますずし~

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富山代表名物、ますのすし






富山紀行の最終章になります。



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僕たちは富山ライトレールに乗った。

いたって普通の電車ではあるが”富山ライトレール”に乗ったというのが僕たちの中での大きな喜びだった。


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富山ライトレール~富山港線







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富山ライトレールは、富山市内で富山駅北駅と岩瀬浜駅を結ぶ約7.6キロの路面電車だ。
JR西日本が運行していた富山港線を富山市が引き受け、路線の一部を路面電車化し、2006年4月に開業した。
車両の愛称は「ポートラム」。
全車両に低床車両を導入した次世代型路面電車、いわゆるLRT(Light Rail Transit)の、日本で初めての本格的な運行である。

 富山港線から富山ライトレールに生まれ変わったことで、利用者数は大幅に増加した。
2006年10月に国土交通省と富山市が実施した調査では、富山ライトレールの利用者数は平日で約5000人、休日は約5600人だった。
富山ライトレールに切り替わる前のJR時代は、平日で約2300人、休日で約1000人だった。
利用者数は平日で2倍以上、休日で5倍以上に膨れ上がったことになる。
2006年11月9日には、開業以来の乗客数が100万人を突破した。会社の予想よりも3カ月早い達成だった。

 利用者の中で特に大きく増えたのが、60代以上の高齢者である。平日でJR時代の3倍以上、休日では7倍以上の高齢者が利用するようになった。
「買い物や通院に利用するだけでなく、単にポートラムに乗りたいという人もいる。
閉じこもりがちな高齢者に外出機会を与えるという大きな効果を上げている」
(森雅志・富山市長、富山ライトレール社長)。



富山ライトレール公式HPはこちらです。








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凄くのんびりした鉄道の旅だった。

もうすぐ富山駅に到着!







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もう一度撮影!

これが今回僕たちの乗った電車である。

お元気でね!







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回送してきた僕たちの観光バス。
ドライバーの戸多(とた)さんとガイドさんが道の確認の打ち合わせ。







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続いて立ち寄りか所の池田屋という薬屋に行く。

実は富山県は薬が有名なのである。

その中でも最も有名なのが越中反魂丹(えっちゅうはんごんたん)である。


池田屋公式HPです。









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富山のくすりの原点、越中反魂丹。

「体に魂を呼び戻す妙薬」というのが『反魂丹』の名前の由来です。

〔効能・効果〕    
胃もたれ、食べ過ぎ、飲み過ぎ、消化不良、胸やけ、消化促進、胃部や腹部の膨満感、はきけ(むかつき、胃のむかつき、二日酔い、悪酔いのむかつき、悪心)、胸つかえ、嘔吐、食欲不振(食欲減退)、胃弱

〔成分・分量〕(1日量30粒中)
オウレン末 50mg
センブリ末 50mg
ショウキョウ末 30mg
牛胆末 160mg
ウルソデオキシコール酸 15mg
添加物としてデヒドロ酢酸ナトリウム、d-ボルネオール、米粉、沈降炭酸カルシウム、精製セラック、ヒドロキシプロピルセルロース、薬用炭を含有する。









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お酒の飲み過ぎに良いなら僕も飲もうかな・・・







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こちらが薬。
黒い小さな小粒になっている。






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池田屋では薬作りの体験もさせてくれる。
薬事法で禁止されているため、本物ではないが体験のための丸めて作る作業ができる。







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こちらは昔の薬の絵柄。
このおじさんなんか凄く面白い絵柄だ(なんかわざとらしい笑)






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あ、懐かしい!だるまの風薬だ!
これはよく効いたんだよなあ・・・










池田屋を出た僕たちは続いて海鮮市場へ行く。




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こちらは有名な氷見(ひみ)うどん。
食べたことはないのだが麺が凄く細いそうだがこしは強いらしい。
四国のさぬきうどんは比較的太いが細いのは珍しいな。






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つるっとしたらおいしそう!

次に富山に来たら食べたいものです!






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こちらは富山の銘菓”月路のしらべ”







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物凄くでっかいぶりだが、食べ頃で腹が本当においしいそうです!











続いてますのすしへ・・・

ますのすしは僕の富山旅行の最も楽しみにしていたものでした・・・




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ますのすし源(みなもと)へ到着。

こちらで昼食をとるのだが、このミュージアムと工場見学もセットでついているのだ。

源はミュージアム見学や工場見学、昼食、売店と観光にはぜひ、入れたいところだと思った。


ますのすし本店源の公式HPはこちらです。






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入り口に凄く大きな船が!
立派だなあ・・・







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ますのミュージアム見学開始!
女性のガイドさんが案内してくれた。

驚いたのは・・・


富山県のますのすしは、今ではますではないということ。

さくらますは今はとれなくなったそうで・・・

今は、”アトランティックサーモン”と呼ばれる、フィンランドなど北欧の魚を使用しているそうです。

しかし、冬には限定で、北海道のさくらますを使ったますのすしを販売することがあるが一つ3,000円以上と高いそうです!



でも、北欧の魚でも何でもおいしかったらいいですよね!

地球の自然は限りあるので魚が取れなくなるのは仕方がないこと。

でもそれで終わらずに、このますのすしの伝統を守って作ってくれているだけありがたいことだと思います。

僕たち、旅行人にとったら、夢と希望の伝統を守り続けてくれているんだなと思います。

昔の伝統を守ってくれている富山県のますのすしの会社さんに感謝しないといけませんよね!









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将軍徳川吉宗公は味にうるさかったようだが、ますのすしは絶賛して食べていたという!







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源の誕生!

皆さんも富山に来たら源のますのすしを食べてみて下さい!

でもガイドさんが言うには富山県のますのすしはたくさんの会社があり、会社によって味が違うので、食べ比べてみて自分の好きな味を探すのがいいと言っていました。







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こちらは工場。
一部の工程だがみなさん一生懸命作業をしている。







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この緑の葉をいれるのがますのすしの特徴。
この葉っぱには殺菌作用があるのだ。
すしはできてすぐより、1日ぐらい寝かせた方が味が出ておいしいといわれている。






鱒寿司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

鱒寿司(笹を開いたところ)鱒寿司(ますずし)は、富山県の郷土料理。駅弁としても知られ、鱒(サクラマス)を用いて発酵させずに酢で味付けした押し寿司(早ずし)の一種。表記は必ずしも一定せず、ます寿し、ますの寿し、鱒の寿司などとされることも多いが、すべて同様のものを指している。


[編集] 概要
木製の曲物(わっぱ)の底に放射上に笹を敷き、塩漬け後に味付けをした鱒の切り身をその上に並べる。そこに酢めしを押しながら詰め、笹を折り曲げて包み込み、その上から重石をしたもの。通常は曲物の上下に青竹をあて、ゴムなどで締めた状態で流通する。たいていは曲物の中に笹で包まれた状態のものが1つのものと、2つ重なっているもの(二段重ね)の2種類がある。

食べる時には曲物のふたをはずし、放射状に切り分けて食べる。なお、商品には切り分けて食べる際に便利なように、専用のプラスチック製の小型ナイフが添付されることが多い。このナイフは、笹で包まれた上から鋸のように引きながら切って使用する。次項の献上逸話にもみられるように、従前は冬場で一週間、夏場でも3、4日間は日持ちする食品であったが、近年は消費者の嗜好の変化もあって押しも酢も弱い生寿司に近いものも生まれている。

元来鱒寿司に使う鱒は神通川に遡上してきたサクラマスを使用していたが、現在では遡上するサクラマスが少なくなったことと、需要が増えたことから主に外国産の鱒類、北海道産のものが使用されている。

[編集] 歴史
鱒寿司は神通川流域を中心とした食文化である。平安時代中期の『延喜式』には鮭寿司が貢献物として登場するが、これは米飯を発酵させたなれずしだとされる。『越中史料』第2巻には、享保年間に富山藩第3代藩主・前田利興の家臣吉村新八が、将軍徳川吉宗に鮎寿司を献上したときの製法が、現在の鱒寿司と同じ早ずしであったことが記載されている。なお一般には、この時に吉宗の絶賛を受けたとする逸話が現在の鱒寿司の起源として語られている。

一方婦中町(現・富山市)にある鵜坂神社に、神通川で獲れた一番鱒を塩漬けにして春の祭礼に供えていたものが、江戸時代に現在の早ずしの形態をとる鱒寿司へと変化していったとも考えられている。

[編集] 流通
現在のように鱒寿司が広く流通するようになったきっかけのひとつは、1912年から駅弁として販売されるようになった「ますのすし」である。「ますのすし」は、製造業者のひとつであった「源(みなもと)」によってつくられた造語(商品名)であるが、百貨店・スーパーマーケットなどにおける「駅弁大会」や「物産展」などでこの駅弁が有名になると、鱒寿司を「ますのすし」と称する店が出てきている。

富山市内を中心に30ほどの業者があり、寿司の押し加減や酢の強弱、鱒の切り身の選別も多様である。

現在では、各製造者の店舗のほか、富山駅や高岡駅、金沢駅及びその地域を通る特急列車の車内販売、百貨店、スーパーマーケット、高速道路のSA、コンビニエンスストアなどでも販売されるようになり、東京駅でも購入ができるようになった。

広く流通するようになったことで、従来の一段重ね、二段重ねといったものだけでなく、小ぶりの大きさのものや棒状になったもの、スーパーマーケット向けにプラスチック製の容器に入って笹にくるまれていない簡易包装の商品など、形態もさまざまなものが出現している。

なお、派生品としてコンビニエンスストアなどでは鱒寿司のおにぎりがあるほか、鱒の代わりにかぶら寿司をヒントにブリを使った「ぶりのすし」やカニを使ったものもある。












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僕たち乗務員はミュージアムの2階で食事を・・・


お客さんはますのすしが付いているが僕たちはあるかな・・・・ドキドキ・・・・






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やったー!
生まれて初めて食べるますのすしだ!
\(^o^)/







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こちらが僕たち乗務員の昼食です。
この昆布巻きも非常においしかった!

ますのすし、本当においしい!
酢が効いてあっさりしたサーモンの歯ごたえがなんともいえませんでした!







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これがおいしかった昆布巻き!
個人的においしいのでお勧めです!






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こちらが源のますのすしです。
パッケージに注目!
しかし、他の会社のパッケージもよく似ているそうです!








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こちらが一番安い800円(一人前)







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こちらは1300円の標準用。この上にも2,500円~といろいろある。







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富山県は源を最後に出発・・・

最後に伊吹山を写しました。

帰りは晴れていてきれいに撮影できました!


富山県はなかなか行けませんが今回、富山県というものがどんなところか、何が有名なのかが少しわかった気がします。


また富山県行きたいです☆












次回はベトナム旅行の続きを書きます。


どうぞまたお越しください!


2011年2月16日
壱岐タケチト

2011年2.11~2.12金太郎温泉と富山観光 2日目~岩瀬の街並み~

2011年2.11~2.12金太郎温泉と富山観光 2日目
~岩瀬の街並み~

toyama-iwasetop[1]
http://matinami.o.oo7.jp/hokuriku/toyama-iwase.html









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昨日はぐっすり眠れた・・・


瓶ビールを結局、2本空けちゃって・・・(笑)


金太郎温泉の露天風呂に入るとそれはそれは気持ちよく眠れた。


さて、朝食は和食を食べて今日も1日頑張るぞ!






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ホテルを8:00に出て富山港へ到着。
こちらまでは高速道路を使わずに一般道路の国道8号で40分弱で着く。





ガイドさん
「おはようございます!ずいぶんと早かったですね!」



壱岐
「あ・・お世話になります!」



バスの駐車場にガイドさんが立っていた。


本当にご年配のおじいちゃんだった。


お客さん
「おいくつになるんですか?」


ガイドさん
「今、80歳です!」


お客さん
「ひえー\(◎o◎)/ 凄くお元気で・・・若いですね!」


さすがに80歳の年齢には僕も驚いた。


でも80歳とは思えない元気ぶり・・・


この自分の生まれた岩瀬町を愛し、人々に伝えたいというエネルギーが若さを保っていると思います。






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富山港展望台の石碑で記念撮影の壱岐☆






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岩瀬大町の町並

 東岩瀬は神通川の河口部東岸に位置する。この地は古く西岩瀬湊として栄えていたが、万治3年(1660)の洪水で神通川の流路が変化して、その湊は東岩瀬湊になり、西岩瀬から移住が行われ、西岩瀬は漁村になってしまった。
明暦2年(1656)に東岩瀬村は東岩瀬田地方(でんじかた)と東岩瀬浦方・東岩瀬宿方に分けられ、寛文2年(1662)には浦方・宿方が北陸街道の宿に指定され東岩瀬宿が成立した。
しかし実際には田地方と宿方・浦方及び南西の西宮村とは混然一体の集落であった。

また、東岩瀬町が東岩瀬村から行政的に分けられて成立していたが、前述のようにそれぞれ入り混じって混然一体であったようだ。
また、宿方・浦方の集落が混在しているだけでなく、機能的にも職種的にも入り混じりっていた。
東岩瀬湊は北前船で賑わい大坂廻米の積出し港であった。
天明5年(1785)の浦方鑑帳では110石積以下の船39艘のみであったが、安政5年(1858)には400石~200石積までの船が5艘、他に200石積以下の船は150艘もあった。
地内の町には柳町・新出町・出町・浦町・中町・横町・袋町・福来町・新舘町・川原町・・土場町・新町・一番丁・二番丁・三番丁・四番丁があった。
安政6年の諸商売書上によると、浦方・宿方の合わせて売薬43・渡海船稼35・漁船持35・屎物商30・肴商売30・小船持28・渡海船持25・雑菓子商23・大工22・素麺商売22・諸廻船問屋20をはじめ医者・酒造・蔵宿・質屋・唐津瀬戸物商・油小売・鍛冶・醤油屋・室屋・豆腐屋・旅籠屋・風呂屋・古手屋・船大工・髪結・両替屋などがあり、職種は80種程も有り、商売の合計は600人余りを数えた。
北陸街道の宿及び加賀藩領の年貢米積出湊として一大町場を形成していたことがわかる。
今古い町並みは、富山港に沿った道路の一本東側の道沿いに展開している。
どの家も大型で間口の広い伝統的な様式で建てられた商家建物である。
北前船等の廻船業や肥料や昆布商で莫大な利益を得た商家だろう。
それも一軒や2軒でなく大きな建物が連なっているのは壮観である。
切妻造り平入り、格子・袖壁を備えている。
この地方は2階にも格子を備えているのが特徴だろう。
一般的には2階は漆喰塗込めの虫籠窓が普通だが、矢張りこの通りの裏側が神通川で直ぐ海だから、漆喰は最小限にとのことだろう。
そしてこの通りの裏側は神通川(海)に面していて、船から直接荷揚げしていたようであるが、今は埋め立てられて大きな道路が通っていた。


町並み指数 50
参考文献
  富山県の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1994年
  角川日本地名大事典  角川書店  角川日本地名大事典編纂委員会  昭和54年


http://matinami.o.oo7.jp/hokuriku/toyama-iwase.html


*解説は上記HPより参考させて頂きました。







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富山港から歩いてきた僕たちは森家へと向かう。







森家

(きたまえせんかいせんどんやもりけ)
北前船回船問屋 森家

北前船回船問屋の面影と歴史を残す国指定重要文化財



 岩瀬の大町通りにある森家(国指定重要文化財)は、日本海で活躍した北前船回船問屋。
地元では北前船のことをバイ船と呼びます。
“倍倍"に儲かることから、船の往復もうかる「のこぎり商売」ともいわれ財をなしました。
屋久杉の板戸、能登産黒松のはり、囲炉裏を飾るロシアの琥珀(こはく)、土間には小豆島産の巨大な1枚岩、日本海交易で活躍した北前船回船問屋森家は、各地の富を集め3年の歳月をかけて明治11年(1878年)に建築されたもので、当時のたたずまいを残す東岩瀬回船問屋型町屋の一つです。
棟梁は京都の東本願寺を普請した親方を呼び寄せました。
また、この地域では毎年5月17日18日の二日間には岩瀬諏訪神社の春季例大祭が開催され、14基の曳山車が岩瀬の町を曳き回されます。
夜には祭りは最高潮となり山車どうしが激しくぶつかり合い互いの力をくらべる曳き合いが行われます。
詳しくは「イベント・祭」コーナーの「岩瀬曳山車祭り」をご覧下さい。

料金/大人100円、子供50円
休館/年末年始(12月28日~1月4日)
    なお、臨時の休館日があります。
時間/9:00~16:30

問い合せ先
北前船回船問屋森家
TEL.076-437-8960

交通案内
富山県富山市岩瀬大町108
■公共交通機関の場合
富山ライトレール・富山駅北電停乗車、岩瀬浜駅まで約25分。岩瀬浜駅下車後、徒歩約10分。
■車の場合
富山ICから車で35分
(駐車場) 20台


富山市観光ガイドより









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ここのお店のどら焼きは有名だそうだ。







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この地元銘菓の三角どら焼きが有名だそうです!
おいしそう・・・・
みんな物凄く買っていた。
今回の旅行中でこのどら焼きが一番、みなさんが買物していたと思う。
何しろ15分ぐらいみんなこの店にいて、ほぼ全員、買っていた。
でもどら焼き以外にもお菓子がたくさんありましたよ。







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料金は190円です!






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こちらが森家。
江戸中期~明治期にかけ、北前船で栄えた岩瀬の町の中に残る回船問屋群の1軒。
天井の木組み、一枚岩の通り庭、土蔵の鏝絵彫刻などに当時の隆盛を見ることができる。

日本海交易で活躍した北前船回船問屋森家は、各地の富を集め3年の歳月をかけて明治11年(1878年)に建築されたものであり、当時のたたずまいを残す東岩瀬回船問屋型町家の一つです。



ガイドさん
「みんさん、こっちですよ!」


壱岐
「すみません!森家に入場するので皆様、お集まりください!」


ダメだ・・・


まだみんな、通りをはさんだ隣のどら焼き店から出てこない・・・(笑)


お店の人が2人だったので・・・忙しそうだったけど大繁盛でした!








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何とか皆様揃い、中へ。
この素晴らしい船が江戸時代、当時作られていたのだ。








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うわあ・・・

情緒ある囲炉裏だ・・・

こんなところで鍋をしたいなあ・・・






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海沿いの岩瀬の大町通りには、江戸時代から明治にかけて、北前船が繁栄をきわめたころの廻船問屋が軒を連ねました。
そのひとつ、国の重要文化財の森家が北前船廻船問屋森家として公開されています。
見どころは表構え・吹き抜けのオイの間・土蔵扉の鏝絵彫刻・一枚岩のある土間廊下など。向かいの公園には北前船をかたどったモニュメントが設置されています。
 また、廻船問屋の馬場家の馬場はる子の寄付で、大正12年に現在の富山大学教養部前身である旧制富山高校が創設されました。







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ホクギンの名前で知れている北陸銀行の岩瀬支店。
お店の街並みに作られていた。







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道を見ていると真ん中に何やら穴点がある・・・


これは何だろう・・・・








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ガイドさん
「この穴は、雪が降った時にお湯が一斉に出るんです。このお湯で雪を溶かすんですよ!」


さすが北陸地方・・・


四国ではとても見たことがないわけだ・・・






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富山市消防団岩瀬分団。この懐かしいような絵が何とも言えない!






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富山市立小学校!寒さに負けない雪っ子たちがいるんだな!






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東岩瀬駅到着!
約1時間の散策、お買い物(どら焼き)、見学(森家)でこの駅に到着した。
この駅から富山ルイレールに乗るのだ!






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駅のホーム。
土曜日だが誰も人がいなかった。






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駅のホーム。
こちらの方角が富山駅です!






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少し右端が切れているが、インテック本社の次が富山駅北です。
東岩瀬駅からここまで、約22分かけて僕たちは電車の旅をします☆






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僕たちは休日の9:48分に乗ることに!






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ガイドさん
「さあ、来ましたよ!」


あっ・・・・


電車が近づいてくる・・・









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うわあ・・・かっこいい!




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富山ライトレールの到着だー!

















富山県の金太郎温泉は次回で終わりになります。


次回は、いよいよ富山県の最も有名な名物”ますずし”の食事場所を訪れます!


金太郎温泉の次は、引き続き、中断中のベトナム・カンボジア記を書きたいと思います!


どうぞまたご覧ください!


2011年2月15日
壱岐タケチト


追伸

2月19~20日(土) 三朝温泉(鳥取県) 添乗


2月26日 休み  自社ツアーにあおいと参加(近江牛と竜王アウトレット)*お客で行きます


2月27日(日) 浜坂のかにツアー 添乗


3月3~5日  沖縄本島周遊  添乗(今年、2回目早くも通算、3回目になりました!!(^^)!)


3月7~8日  夕日ヶ温泉のかに会席(北京都*日本海) 添乗


3月の上句までは添乗がぎっしり詰まっていますので
少し忙しくなってきました!


でも、この中でもよかった旅行はまたアップしたいと思います!


今年中に、ネパール、タヒチ、国際恋愛小説書けるのかなあ・・・・(゜o゜) 

2011年2.11~2.12金太郎温泉と富山観光 1日目

2011年2.11~2.12金太郎温泉と富山観光 1日目
illust690[1]
http://kids.wanpug.com/illust112.html







皆様こんにちは!


先日の2月の3連休、2月11~12日の2日間に富山県の金太郎温泉に会社のツアー添乗で行ってきました。


日程は下記の通りとなります。




2月11日(金)1日目


徳島===明石大橋===名神・北陸道===◎日石寺===金太郎温泉




2月12日(土)2日目


ホテル===◎富山港展望台(岩瀬街並みをガイドと歩く)―――船問屋森家―――


東岩瀬駅+++富山ライトレール+++富山北駅(バス乗換)===◎越中反魂丹(薬屋)


===◎海鮮市場===◎ますのすし(昼食)===北陸道・名神・明石大橋===徳島




今回の旅行の大目玉の2つはなんといっても金太郎温泉と富山ライトレール。


今回はすべて富山県の観光となります。


あまり、ご存知でない方もいらっしゃると思いますが(西日本にいるの私も知りませんでしたが)金太郎温泉は富山県の温泉です。
温泉郷にホテルがたくさんあるのではなく、ホテル名自体がホテル金太郎温泉という名前です。


ホテル金太郎温泉公式サイトはこちらです





私の行った感想では、非常にお風呂がいい温泉でした。
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ホテル金太郎温泉公式サイトより






大浴場と岩風呂の大露天風呂があるのですが、岩風呂では日本最大級の露天風呂だそうです。


また、温泉のお湯がいい!


少ししょっぱい塩の味がしましたが、真っ白ですごく温まりました。


調べてみたら、なぜ、金太郎温泉という名前かと申しますと
「金太郎さんのようにすこやかに健康で元気であってほしい」という願いを込めてこの名前が付けられたそうです。(金太郎の発祥地、由来、ゆかりの地とは一切関係ないそうです)


もう一つの今回の目玉は・・・















富山ライトレール
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%AB












この電車は、平成18年4月29日に運行を開始した全国で初めての本格的LRT(次世代型路面電車システム)です。全国でも市内電車は14か所ありますが、富山市がJRから買い取った。JRから買い取りをしたということも富山県が全国で初めてだそうで、世界でも注目されている電車の一つです。

富山ライトレール㈱の公式HPはこちらです。


他にも、日石寺、岩瀬の街並み、丸薬作り体験、ますのすし工場見学などの盛りだくさんの富山県づくしのコース!


今回はお客様は16名様と少なかったのですが、皆様いきわいわいとした楽しい思い出に残る旅行となりました。


珍しいところだったので、ブログはベトナム旅行記の途中だったのですが急遽、記事を書くことにしました。


でも2日間なのでそんなに長い記事にはならないと思いますので、どうぞご覧ください。


それでは本編へとご案内いたします!










朝、5:00に起きる。


添乗の時はいつも目覚まし時計を3つ・・・


今日は寒い!(@_@;)


外を見たら・・・


徳島に雪が積もっている・・・・


いきなりか・・・・


富山県・・・大丈夫だろうか・・・


こんな日に北陸に行くのは辛いなあ・・・・(>_<)






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目の前に見えるのは明石海峡大橋。
淡路島と本州を結ぶ、僕らは添乗でほぼ85%以上通る橋である。
目の前はもの凄い強風と雪・・・
無事に富山まで行けるのかなあ・・・







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北陸道は不思議に晴れていた。
どうやら天気予報のよれば、今回の雪は太平洋側がきついらしい・・・
大阪の阪神高速は全線通行止めになっていたし。
しかしこの雪景色は凄い!
なかなか四国では見られないから。





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見渡す山々。
でも天気が良いからよかった!
もうすぐ立山ICです。







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徳島を7:00出て、最初の観光地である日石寺に14:30に着いた。
立山ICを降りて約20分。
山のふもとにあるこのお寺はけっこうな坂の上にある。
上の写真は百年坂でこのように階段には雪がいっぱいであった。
(正直、結構あぶなかった・・・)






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水がたくさん階段に流れているが・・・
これは雪が解けて流れている水です。







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本堂に到着!
こちらからお寺の方が案内をして頂いた。
とても親切な方だった!






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日石寺の創建は神亀2年(725)行基が開いたのが始まりと伝えられています。
古くから立山の山岳信仰の一端として寺運も隆盛し最盛期には21社60坊を抱える大寺として名を馳せました。天正年間(1573〜92)上杉勢の兵火に遭い多くの堂宇、寺宝、記録が焼失し衰退しましたが正保年間(1644〜48)に弘寒和尚により再興され、さらに加賀藩主前田利常の子宝祈願が成就したことで歴代前田家の祈願所として堂宇が再建されます。
本尊である大岩日石寺磨崖仏(国指定重要文化財)は不動明王像、二童子像(矜羯羅童子像・制咤迦童子像)、阿弥陀如来像、僧形像の5体で構成され、中でも不動明王像(像高313.5センチ)と二童子像(像高214センチ)は行基が自ら彫り込んだと伝わるもので(実際は平安時代末期作)大きさや美しさ、保存状態から全国の中でも指折りの磨崖仏とされます。
境内背後にある三重の塔(上市町指定有形文化財)は弘化2年(1845)に建てられた富山県最古の三重の塔で財政難だった為、外壁が造られず未完のまま現在に至っています。
境内正面の山門(上市町指定有形文化財)は元禄年間に建てられたもので、三間一戸、入母屋、桟瓦葺き、楼門形式、上層部には高欄を回し、下層部の両側には仁王像が安置されています。


日石寺の公式HPはこちらです







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少し暗くて見えないが目の前に見えるのが本堂にある不動明王像。
これはわざと暗くして見えにくくしているという。
すべて石で彫ったものでその石の大きさからお堂から石がはみ出ている。
この日石寺で一番の見所がこの不動明王像である。



◆不動明王像(本堂)
この石仏は、真言密宗の総本山日石寺の本尊として全国の信者の帰依を集めています。
中央に不動明王座像、左右に制咤迦(せいたか)童子立像、矜羯羅(こんがら)童子立像、阿弥陀如来座像、行基菩薩座像が凝灰岩の巨岩に半肉彫りで彫り出されており、中部地方における最高傑作として高い評価を得ています。
作は藤原時代(平安時代中頃)と考えられますが、行基菩薩座像はややおくれて彫りだされたものと思われます。
不動明王座像は右手に力を現わす剣、左手に智を現わす羂索(けんさく)を持つ迫力ある芸術です。
室町時代、上杉勢の兵火に、昭和42年に火事にあいましたが、ほとんど損傷をうけることなく今日まで残っています。

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この解説と写真はは日石寺のHPより利用させて頂きました。








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すさまじい不動明王像の姿に圧倒されたが・・・やはりお寺・・・やすらぎも感じた・・・






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こちらが大日如来。
素晴らしい作りで本当に良いお顔をされていた・・




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お寺の方のお話によれば、日石寺は和歌山県、高野山の真言宗から脱派した真言密教宗であるという。
この密教は大日如来を特に崇め、中心に考える教えである。
上の図をご覧いただきたい。
不動明王像のある本堂がなぜ大日堂より低い位置で置かれているか?
これは大日堂にある大日如来像が不動明王像より、位が高いとされているからだという。






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地蔵堂は延命のお願い事をするお堂。







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こちらが地蔵堂の仏様。
病気平癒、延命に願いを込めて・・・







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それにしてもこの雪の高さには驚きを隠せない・・・






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こちらがお寺の登り口にあるお店。
駐車場もこちらに駐車させて頂きました。







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ここで一つお店の方より頂いた珍しいお茶をご紹介させて頂きます。
羅漢茶。
カロリーがゼロでありながら甘いお茶。
糖尿病やダイエット者に最適のお茶である。







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羅漢果(ラカンカ)
ラカンカ(羅漢果、学名:Siraitia grosvenorii、シノニム:Momordica grosvenorii、中国語 ルオハングオ luóhànguǒ)は、中国広西チワン族自治区を原産地とするウリ科ラカンカ属の多年生つる植物である。従来はツルレイシ属に分類されていたが、近年になって学名が変更された。

甘味成分を含んでおり、食用とされるが、通常生では使わず、乾燥させ砕いたものを煎じて羅漢果茶として飲んだり、料理の甘味料として使われる。
羅漢果を水やメタノールなどで抽出したものを、ラカンカ抽出物という名称で食品材料として用いることもある。日本には生の果実は輸入されておらず、乾燥した羅漢果が輸入されている。

羅漢果の甘味成分は、多くはブドウ糖と果糖であるが、特有の強い甘みをもつ成分としてモグロシド(あるいはモグロサイド)と呼ばれるトリテルペン配糖体を含む。
モグロシドはヒトがエネルギー源として利用できないため、モグロシドやラカンカ抽出物は、他の植物性の甘味配糖体と同様にダイエット甘味料として食品添加物などに利用されることがある。
ただし、モグロシドは他の食品添加物に比べて比較的新しく発見されたものであるため、その安全性の評価がまだ十分ではないとして、一部の生協などでは添加物としての使用を見合わせている。

羅漢果は生育条件が厳しくて貴重な植物であり「S-5」と呼ばれる成分は砂糖の300~400倍と言われる。












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金太郎温泉到着!
早めに16:00過ぎに着いた。


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金太郎の歌






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こちらがお客様の夕食宴会場です!






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こちらは僕の宿泊する部屋です。






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金太郎のお菓子があった。






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こちらはお客様の夕食。
これからまだ出てくるがお客様のいるところで撮れないので最初の部分だけの写真です。






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おお、金太郎人形発見!






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夕食宴会も無事に終わったので、別会場レストランで一人でご飯。

宴会場では、お客様も人数が少ないのでいろいろとお話をしていたら、ビールを(苦笑)・・・
・・・でもせっかくなのでご遠慮なく頂きました、ありがとうございました<(_ _)>

今日1日、仕事が終えたので、これからゆっくりと一人で夕食を頂きます!

私の方が料理、いい、なんてことはないですよ!

全く同じ料理になります。




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一人で寂しく乾杯!

でもこれが楽しみでした(^^ゞ






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一番おいしかったのがこの料理!
かわはぎという魚で、お鍋は昆布のがたっぷり入っている出しで味はしっかりついている。
何がおいしかったといえば、隠し味のバターがとてもおいしかった!







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売店にあった金太郎のかまぼこ(1,000円)







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待ってました!
本日は20:30より富山県の名物踊り、「おわら風の盆」実演ショーが始まる!
楽しみにしていました。






おわら風の盆(おわらかぜのぼん)は、富山県富山市八尾町(旧婦負郡八尾町)で毎年9月1日から3日にかけて行なわれている富山県を代表する祭りである。

越中おわら節の哀切感に満ちた旋律にのって、坂が多い町の道筋で無言の踊り手たちが洗練された踊りを披露する。
艶やかで優雅な女踊り、勇壮な男踊り、哀調のある音色を奏でる胡弓の調べなどが来訪者を魅了する。
おわら風の盆が行なわれる3日間、合計25万人前後の見物客が八尾を訪れ、町はたいへんな賑わいをみせる。



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おわら風の盆の動画です











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踊りが始まる・・・

黒は男の役のようだった。






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季節を順番にこの踊りは表現している。

春は・・・
夏は稲を・・・
秋は刈って・・
冬は仕事がない・・・

など踊りで表現している・・・


本当に江戸時代に来たかのような表現と伝統を感じた。








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そんなに激しい踊りではないが、覚えるのはけっこう難しそう・・・






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最後は皆さんに、前に出てきてもらって一緒に踊る、けっこう出てきてお客さんたちも楽しく踊っていた。






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最後に踊り子さんたちと一緒に撮影した壱岐でした!













2月11日は本当に寒かったですね!


皆様は連休はどこかへ出かけられましたか?


僕は11日、12日と富山県で疲れたので今日はのんびり家で寝てブログを書いてピアノを練習しています。



次回は富山旅行の2日目です!


どうぞまたお越しください!




追伸

この連休は女性の方はチョコレート作りや買いだしで大変でしょうね・・・


あおいも今、実家に帰って妹と一緒にチョコを作っています。



2011年2月13日
壱岐タケチト

バッハ インベンション第1番~楽譜半分を2回繰り返しピアノ演奏した動画です。

バッハ インベンション第1番
(楽譜半分を2回繰り返しの演奏)


壱岐タケチトです。

4月24日に発表会で弾く3曲のうちの1曲です。

楽譜半分だけの演奏ですが練習の形跡を残そうと思ってアップしました。

その半分だけでも下手な演奏で、申し訳ございません。

次のアップには全部弾けるようにしたいと思います。

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バッハ インベンション第1番 
(楽譜半分を2回繰り返しの演奏)



上記クリックでピアノ演奏の動画が流れます。













インベンション

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
インベンション(英語・仏語:invention インヴェンションとも)とは、器楽曲の1ジャンルであり、通常は「ビチニア」の流れを汲む、2声体の鍵盤楽曲のことを言う。同様の3声体の鍵盤楽曲は「シンフォニア」というが、慣用的に誤って「3声インベンション」とも呼ばれている。本来はイタリアやドイツのバロック音楽のジャンルであり、イタリア語でインヴェンツィオーネ(invenzione)、ドイツ語でインヴェンツィオーン(Invention)というが、日本では、特にピアノ界において伝統的に英語読みすることが根付いており、表記は「インヴェンション」ではなく「インベンション」が定着している。


バッハ作品 [編集]
最も有名な作品は、バッハの《インベンションとシンフォニア》の前半部分である。バッハのインベンションは、教育的な意図から作曲され、たいてい公開演奏されることはなく、ピアノの学習者の教材に利用されることが多い。しかしながら、これらの芸術性を認めた多数のチェンバロ及びピアノ演奏家が様々なアプローチで録音を残している。バッハ以外では、アルバン・ベルクの歌劇《ヴォツェック》の中のインベンションが有名。

名称の由来 [編集]
インベンションという名称は、フランチェスコ・アントニオ・ボンポルティ(1672年 - 1749年)が作曲した、通奏低音を伴う多声的な《ヴァイオリンのためのインヴェンツィオーネ Invenzione a violino solo》作品10に遡ると言われる。インベンションとは「創意・工夫」のことを指し、その後もヴィヴァルディの協奏曲集作品8には、《和声と創意の試み》という名称がつけられている。このようにインベンションとは、バッハが《インベンションとシンフォニア》への序文の中でも触れたように、原義を離れて、探究・発見されるべき曲想、といったほどの意味で使われている。

教育用の教材 [編集]
バッハは《インベンションとシンフォニア》を、息子ヴィルヘルム・フリーデマンの音楽学習のために作曲した。この作品についてバッハは、鍵盤楽器の初学者や愛好家が、多声をきれいに弾き分けられ、旋律を歌わせることができるようになることと、作曲の前段階として、優れた曲想とその展開の仕方を覚えられるようになることを目指して、これらの作品を作曲したと述べている。

楽曲の特徴 [編集]
インヴェンションは、模倣様式が採用された器楽曲で、短い呈示部と長めの展開部から成り、一部の曲では短い再現部によって閉じられる。フーガやシンフォニアと違って、主題の応答に属調を用いることはない。バッハのインベンションでは呈示部に転調を含み、長調作品では属調に、短調作品では平行調に進み、時おり転調してから新しい要素を含むことから、そこにソナタ形式の萌芽を見る意見もある。




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http://www.amazon.co.jp/%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E5%85%A8%E9%9F%B3%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC-%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F/dp/4111050107
*こちらがバッハ、インベンションの教本です。



バッハのインベンションの練習方法をHPで見ていたら以下のような文を見つけました。

バッハのインヴェンションを独学するのはとても難しいです。
理由。
ポリフォニーの音楽でご存知のようにインヴェンション2声、シンフォニア3声と言うように多重声部の音楽だからです。この音楽には日本にはありません。
ですから日本人には一般にはとても苦手なものなのです。
日本の音楽は単旋律で出来ているので、我々がポリフォニーに馴染むには多大な努力を要します。
兎も角われ等の血にそのような文化がないからです。



バッハの時代では,クラビィア(当時の鍵盤楽器)の練習が,作曲の勉強の教材でもあったようです。
この曲集は,その意図で書かれていますので,弾くことを目的とした教本とは意味が違う部分があります。
>インベンションを弾く上で何か意識したほうがいいことがあれば…
楽曲様式のことはとても難しい内容なので私もよく分かりませんが,
演奏技巧のためだけの練習曲ではないということは意識しておかれて,
機会があれば対位法などのことも合わせて学習されるといいのではないてしょうか。


上記二つはこのサイトより参考させて頂きました。









明日(今日の朝)から金太郎温泉に行ってきます!

2011年2月11日
壱岐タケチト
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