壱岐タケチトのブログ旅行恋愛記

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□ スイス旅紀行 □

第8章 終わりに~この旅記を書き終えて~

第8章 終わりに~この旅記を書き終えて~




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やっと書き終わった・・・・

本当に疲れた・・・

ここまできたらあとこの“あとがき”を書くだけとなった。


僕はスイスのこの本は80ポケットあるファイルを試用することにしていた。このファイルに全て埋め込むのは80枚×両面(2)で原稿にしたら160枚。写真を入れたとしても莫大な量になる。このスイス旅行を書こうと思ったきっかけはこの本の初めに詳しく述べている。

最も苦労したのは画像の取り入れと文の構成。画像の取り入れはスイスで実際に映した写真はCDからそのままこのワードに入れ込むだけだが,デジタルカメラで写した写真が本当に苦労した。少しでも良い写真にしたいため,写すたびに暗みが入ったり,ぶれたりして何度も取り直して本当に大変だった・・・そしてこの本の構成。僕は大きく分けて以下のように考えた。
 

1章 はじめに
2章 スイスに行こうと思ったきっかけ~出発までの準備
3章 3月15日
4章 3月16日(ユングフラウヨッホの絶景写真を大量に入れ込む*メインだから)
5章 3月17日
6章 3月18日~19日
7章 旅で買ったお土産など
8章 終わりに

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最初は何も考えず,どんどん写真を挿入したり,解説を入れていった。何しろ80ファイルで原稿にしたら,160枚にもなるのでどんどん入れていかないとこのファイルが埋まらないと思ったからだ。

しかし,最初,本当はスイスを半分,ネパール(この次に書こうと思っているエベレスト紀行)を半分ぐらいでこのファイル1冊で2カ国の旅紀行を作ろうと考えていた。そう考えていたのだがやはり,1冊のファイルに2カ国入れるのは不細工と思った・・何しろ1冊のファイルは1国で残すほうがタイトルもびしっとファイルに大きく書きこめるし,1冊のほうが見栄えがいい!それに保管するのも1冊の本になっていいと思った。

本当に書こうと思ったらどんどん書けてしまう・・・写真もかなり省いたぐらいだ。初めて,スイスの旅紀行を手にする読者の方もいらっしゃると思い,勉強した知識をもう一度ガイドブックや観光資料で確かめながら,アレンジして文章を作り,解説していったつもりだ。

最初は,大学時代のことや旅の経緯をもっと詳しく書きたかった。しかし大学時代のことを書き出したらそれだけでファイルが埋まりそうになると思い,省略した。そもそもスイス旅行のきっかけは図書館で見つけたスイスの本がきっかけだった。しかし,その本を見て“スイスへ本当に行きたい”と思うようになったのはなぜか?他にも世界の本はたくさんあるのになぜ僕はスイスを選んだのか?僕のこの価値観とは何だろうか?



【両親との登山の思い出】
僕が思うには両親との“登山”・・・これが無意識的に脳に焼きついていてこのような価値観をもったのだろうと思う・・・。 僕の両親は登山が好きで僕をよく山へ連れて行った。最初は嫌だった。どうしてしんどい思いをしてまで重い荷物を背負って何が楽しくて長時間歩かなければいけないのかと・・・最初は両親が「山へ行こう!」と誘われたら断っていた。

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しかし,何かのきっかけで一度,初めて山へ行った。(物心がつく前も何度か言ったのは覚えているがずっと背負ってもらったりしていた)小学校,中学校,高校は友人と遊んだり,野球をしたり,ピアノをしたりして,(日曜日もほとんど友達と遊んでいた)登山はそんなに行っていないと思う・・・大学に入ってから両親は休みが合えばよく呉市に遊びに来た。最も生活用品や食料,衣類交換や季節の調達,部屋の掃除などが主の目的でもあったが。僕が初めての一人生活が心配であったようだ。
 

大学の夏休み,冬休み,春休みは本当に長かった。夏休み2ヶ月以上,冬休み一ヶ月以上,春休み約2ヶ月くらいだったかな・・・土日祝は休みだったのでおそらく講義は年に半分もなかったと思う。休みは大学でいてもすることがないので僕は半分以上の日数を徳島に帰っていた。


【大学時代所属の体育会本部の思い出】
大学時代は体育会本部{旧応援団}に所属していた。いわゆる生徒会みたいなもので大学祭の実行,同じ体育会本部の広島県各大学の学祭やコンサートや講演会のイベントへの接待や参加,年に一度の野呂山の“サマーキャンプ”は我が体育会本部の最大のイベントだった。広島県の大学の同じ体育会本部などの学生約200人が呉の野呂山にキャンプに来るのだ。もちろん主催はすべてこちらでする。

トラックを借りて何十ものテントを前々日から運び,朝早くから夜遅くまで運ぶ,キャンプ中の食料「各班をランダムに作り,班ごとでカレーを作ったりする」の買出し,電気モーターの設置,“サマキャン”と僕らは呼んでいたが,準備には約1年はかかる。なぜか僕は4年生最後の年は“サマーキャンプ実行委員長”とういう肩書きになり,サマキャンでは“レクレーション”担当となった。

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サマキャンでは200人もの参加者が2泊3日間,野呂山でキャンプをする。正確には1日目の昼過ぎに参加者はバスで野呂山へ,それから班分けをして班で馴染み,レクレーションスタート(全員参加のクイズ,徒競走,イントロ,などなど),夕食準備,夕食後自由行動,2日目朝食準備,朝食,レクレーション,昼食準備,昼食,レクレーション,夕食準備,“最終日はキャンプファイヤーのため夕食準備兼ファイヤーの準備”,夕食,キャンプファイヤーにて各大学の出し物“女子大学は歌やダンス,男子大学は劇や漫才が中心”,その後ユーロビートのダンスパーティーでオールナイト,最終日は朝食の後,各班で記念写真の撮影,色紙交換,昼頃に閉会式と,こういう流れだ。この通り“レクレーション”というのはサマキャンのレジャー面においては最も重要なものであり僕の担当は“レクレーション”の全てだ。

2年生からレク見習いになり3年生がレク中心者,4年生がレク総責任者となる。1年生は雑用であり何もかも手伝う。他にも施設「サマキャンに必要なトラックやテントの数点検や道具,各業者との取引など最も重要で責任のある役。基本は会長が兼ねる*僕のときは友人M氏のM会長」)食料,警備,召集,会計,など様々にあったが僕はレクになった。1年生のその人の適正を見て4年生ら先輩が役を2年生から決める。一度2年生で役がつけば基本的にその役は3年間同じだ。僕は2年生から4年生までレクを担当した。

レクというものは“司会,クイズの作成,クイズなどに使う道具の作成,イントロのテープ作成,クイズをするにあたり,2年生と3年生のレクに適切な指示出し,この2人が1年生にまた指示する”,ダンスパーティーのCD作成とダンスをすべて覚える“これが一番苦労したかな?一人でビデオ見ながら覚えた。何しろ一人でも踊れる見本がなかったらキャンプの参加者は誰も踊れない・・・プレッシャーが詰まっていた。と,まあこのようなのが体育会本部。他にも大学祭では警備をしたり,お客様にお出しするなべを作ったりする・・・こんな感じが体育会本部!



【なぜ僕はスイスを選んだのか?~突然の父の病~】

その帰っていたある夏休み,両親に“石鎚山”に誘われて宿泊した。この山が大変きつかったのだが頂上に到達したときに凄く気持ちの良い達成感を得たのだった。それから徳島の山も何度か両親と登った。また広島では連休に両親が来てくれたときに“大山”にも登った。こういう経緯が僕に山を好きにさせたのだろう・・・・“なぜ,僕はスイスを選んだのか”自然が好き,アルプスに憧れていたから,ヨーロッパに行きたかったから,いろいろな理由があったが間違いなく“両親に登山に連れられたので山を好きになったから”という要因は大きかったと思う。当時図書館でスイスの山の本を見つけたときは漠然と行きたいと思い実行した。頭の中にこの要因があったのだろうと思う。

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その僕をよく山へ連れて行ってくれた父は57歳の若さでこの世を去った。退職してすぐに母とスイスの旅行に行ったときに黄疸が現れ,8日間旅行だが6日目で先に帰国した。それが“ガン”であった父の最初の症状だった。帰国して一カ月後に手術は無事に終わった。同時に“余命半年”ということを家族に伝えられた。 母は父に最後まで余命のことはふせていた。父は退職後,四国八十八ヶ所に一人,自転車で回るのが夢だった。

結局,回ることはできないまま,この世を去った。なぜ,両親はスイス旅行を選んだのか?“僕が笑顔で帰ってきてすばらしいすばらしいと行っていた山好きの父親がスイスに行きたい”と思ったから。母は“父の意見に同行したということ”だった。妻という女性は男性の夫とは一緒に旅行に行けるだけで幸せなんだと思った。



【夢であった憧れの旅行会社を目指して】
僕は現在旅行会社に勤めている。今年で8年目にもなる。毎日が勉強でまだまだ未熟者ではあるが,仕事内容に関しては満足している。「あれっ」と思われた読者の方もいらっしゃるだろう。そう,僕のこの旅行記ではスイス帰国後はI社で働くと述べていたからだ。僕は4月に入社式を迎え,I社の配属も決まり,I社で働く毎日を送った。僕の大学4年生時の2000年という年は“就職の氷河期”と呼ばれていた。

やりたい仕事をみつけるのもあったが,“就職を早く決める”というのをゼミの教授に教えられた・・・働くということは生きるということ・・・生きるということはすさまじいことであるとよく,教授はよくおっしゃっていたが・・・結婚もして子供のいる今の僕ならこの意味は理解できただろう・・・しかし,独身で子供もいない当時の僕は“自分の意思で100%I社に入社したのではなく就職を決めるためにI社に就職した”ということが入社して働いてから実感させられたのだった・・・僕は思った。(スイスに行くときのHさんのような人に夢を与える仕事,僕も旅行に関わる仕事をしたい!)

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でも,この僕に気持ちはI社の入社式終了後にはほぼなくなっていた(100%ではなかったが)当然,入社式で入社した会社の社長から辞令を手渡しで頂き,新しい先輩もでき,新しい同僚の仲間も出来れば,新しい新鮮な気持ちになるのが人間だ。旅行会社への気持ちは完全には消えてはいなかったが,

「頑張るぞ!僕はこの会社で一生働いて会社に骨を埋めるぞ!」

そう思っていた。4月の入ったときは・・・。あれから約2ヶ月,6月に入った僕は大阪の旅行専門学校の手続きを開始していた。僕の目指した大阪の旅行専門学校とは昼間に旅行会社でアルバイト生として働かせてくれる。(当然バイト代は頂ける)そして夕方から夜までにかけて旅行業の授業を習う。

卒業時には9割以上の生徒が“一般旅行業務務取扱任者”(現在の総合旅行業務取扱管理者)を所得していた。この資格は旅行業界必須の国家資格で旅行業界への就職活動においては大きなアピールポイントとなる。僕はこの学校に来年から行こうと思い,試験勉強(一応筆記試験と面接あり)と入学手続き(合格するものと思い入学への手続きの準備)を開始していた。(スイスに行くときのHさんのような人に夢を与える仕事,僕も旅行に関わる仕事をしたい!)という僕の大きな夢は入社式をおえても撲滅してはいなかったから・・・・両親や友人,周りの人は考えるように説得した。

当然I社は休暇,収入面でも特に不満はなく内定が決まったのは約80人受けて4人だった。せっかく地元に就職が決まったのになぜ,わざわざ就職が決まるかどうかもわからない2年後に向かって大阪の学校へ行くのか?この家はどうするのか?(僕は長男で姉はすでに大阪に嫁いでいる)
しかし,もう夢に向かって走り出した僕を誰にも止めることはできない。当時僕は“あゆ”(浜崎あゆみ)の曲をよくに聞いていた。このときの僕を支えてくれているかのようにあゆの曲は僕に勇気を与えてくれた。


当時僕が好きであった「あゆ」の一部分(歌名タイトルは略)


「輝きだした僕らを誰が止めることができるだろう,輝きだした彼らを誰に止める権利があったのだろう・・・」
「幸せの・・・・基準はいつも・・・・自分の物差しで・・・・見てきたから」
「あなたがもし旅立つその日がいつか来たら,そこから二人で始めよう・・・あなたのこと必要としている人はきっと・・・必ず一人はいるから・・・あなたが必要とする人ならいつもきっと・・・隣で笑っているから・・・」
「周りばかり・・・気にするのは・・・もう終わりにしよう・・・・」


 http://www.youtube.com/watch?v=FIXlhcF9CoA&feature=player_embedded





【大切に思う人≧夢】

ちょうど入社して3ヶ月頃。夢に向かって走り出した僕は一人の女性と出会う。僕は本当にその人を好きになった。そして社会人になって1年も経たない僕は交際後,始まりと同時にその人と将来の約束をした。大阪の旅行試験日の当日まで,何も気にせずにその人と会っていた。今まで勉強したこともその人との出会いですべて流してしまった。僕はI社で骨を埋めようと決意していた。“大切に思う人さえ側にいればそれだけで生きていける”ということがこの時,わかった。(ここではこの経緯については詳しく述べない)



【人生の夏休み】


I社に入社して1年と2ヶ月が経とうとする五月のゴールデンウィーク頃,僕は会社での仕事内容への思いへの限界に達した。同時期,前述した女性と終止符をうつ。(厳密にいえば終わってはいなかったがここではこの経緯については詳しく述べない)このことも仕事に影響がなかったとは言えない。僕は5月に直属の上司に入社して初めて“有給休暇の願い”を出した。体調を崩した僕はそのまま会社に行くことはなかった。

“うつ病”と診断された僕は約4ヶ月,病院に通いながら僕は将来の道を考えながら自宅で一人過ごした。(友人からの誘いもできるだけ断った)出口のない真っ暗な道をライトも持たずに歩いているような感じだった。母の友人で居酒屋を経営しているKさんから「今まで頑張り過ぎたから人生には休暇が必要だから今はゆっくり休みなさい。気が向いたらうちの掃除の手伝いに来て。バイト代は出すよ」僕は掃除手伝いにいったのがきっかけで,最後の2ヶ月は朝に牛乳配達,夜は飲食店でアルバイトを始めた。だんだん元気になっていた僕は体調も良くなり,I社に正式に退職願いを提出した。

秋が始まろうとする9月の頭のことだった。戻ってくるようにも言われたが僕の決意は変わらなかった。後悔もなかった。この5月から9月まで,フリーターであり,心身ともに休暇した4ヶ月はKさんに言われた。「人生の夏休みだったね」


【僕は再び夢に向かって走り出した~そして・・・旅行会社でのアルバイト決定!】

「今度こそ僕は夢に向かって・・・もう何も迷うことはないんだ・・・」

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大阪の旅行専門学校の試験手続きも完了した。もう迷わない!この道以外はない!そう決めた僕は入学までの間(当然試験は受かると考え)地元の旅行会社で学校へ入学するまでのアルバイトしようと決意した。採用はダメだろう,しかし,とにかく廻るだけ廻ろうと思った。当然何社回っても断られ,あきらめかけた最後,あと1社廻ろうと思い,現社長が当時常務だった今,僕が勤めている会社に飛び込みで入っていった。

「すみません,アルバイトに雇ってもらえないでしょうか?」

幸い忙しい時期であったこの会社(現在僕が勤めている会社)に常務が「ほう,旅行の専門学校に行って旅行会社で働きたいのか!」と,話が始まり,また採用するか決めて連絡すると言われた。期日に連絡がなく次の日に僕から連絡した。なんと・・・アルバイトで採用して頂いた。

平成14年の9月中句だった。こんなに嬉しいことはなかった。見ず知らずで赤の他人の僕をアルバイト採用してくれる会社が世の中あるなんて・・・僕は思った。(世の中は悪い人ばかりじゃない・・・こんな人たちも世の中にいる・・・だから人は生きていけるんだ)帰ったら両親は大喜びだった。特に父が・・・


「本当によかったな!よかった!頑張れよ!」


父はこの時から1年半後に亡くなった。



【旅行専門学校の入学取り消し~旅行会社への採用を】

父は本当に僕の将来を心配していた。二度と仕事につまずかないように,自分の好きな仕事に頑張っていけるように。そして,やはり長男である一人息子である僕に家の後を継いで欲しかったのだろう。平成15年の年明けの2月,大阪の旅行専門学校に合格が決まった僕に父は喜んでいる半面何やら悲しげにしていた。


「採用してもらった常務に正社員にして頂けるかどうか頼めないか?お父さん,お前がもし今の会社に正社員で働いてくれたら本当に嬉しいわ!徳島でいてくれたらこんなに嬉しいことはない・・・・会社も事情もあるだろうからむずかしいと思うが・・・お前をアルバイトででも採用してくれた会社だから・・・もし断られたら学校に行ったらいいじゃないか・・・後はお前が決めなさい・・・」

この一言が僕の運命を変えた。9月から2月まで仕事をしていく中で約半年間,僕も専門学校で“知識を身につけるよりは実践で身につけるほうがいい,国家資格は頑張れば働きながら勉強したら所得できる!”ということはわかってきた・・・しかし学校の合格も決まっていてさらに3月の学校に行くまでの間のアルバイト採用と常務らと約束していたためそんな図々しいことはとても言えない・・・しかし・・・

「ここで働きたい!」

その気持ちの方が僕の中で上回った。ダメもとでお願いしてみよう・・・ダメなら大阪に行って頑張ろう!そう決意した。


【自分の気持ちを常務へ伝える・・・】

その日,僕は常務に話があると伝え,お願いした。

「すみません!勝手を言いますが学校へは行きません!正社員で僕を採用して下さい!」と・・

当然,常務は驚いた。

「学校は決まったと前に言ったじゃないか?ご両親にもそう言っているのじゃないか?」

僕は正直に自分の気持ちで答えた。

「ここで働いているうちに知識だけを身につけるのではなく実践で学ぶのが一番の勉強ということがわかりました。どんな仕事でも,給料も文句は言いません!ここで働かせて下さい!」

「・・・また返事する・・・今日にどうこうは言えんわ・・・私一人でも決められないからな・・・」
とりあえず気持ちは伝えた。後は会社が決めるだろう・・・・

ダメなら大阪に行く!それでいいじゃないか!僕はやるだけのことはやったと満足していた。


【夢であった旅行会社で正社員として入社決定!~そして・・・父の死】

数日後,僕は常務(現社長)と営業部長(現常務)に呼ばれた。

「今まではアルバイトということで雑用仕事だけで甘くしてきたが正社員になるのなら男性は営業をしてもらうようになる。修学旅行や慰安旅行,ツアーの添乗はもちろん,営業で売上げのノルマも付く。コンピュータで予約もできるようにならないといけない。君にそんなこともできるか?」
僕は答えた。

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「やります!闘います!! 営業でも何でも旅行の仕事が出来るのなら何でもやります!勝負させてください!」

「ご両親や親戚の方にも旅行にはご協力してもらわないといけない。給料面も高くないということは自分や家族にも納得は頂けるか?」

「大丈夫です!精一杯頑張りますのでよろしくお願い致します!」

「わかった。君の気持ちは確認できたから試用期間3ヶ月つけるが採用しよう!」

「ありがとうございます!本当にありがとうございます!」


僕は現在の会社への就職が決まった。平成15年2月11日のことだった・・・帰って両親に報告した。父は本当に喜んだ。

「本当によかったな!本当によかったな!よかった!これから大変やけど常務を裏切らんように正念入れて頑張るんやぞ!お父さんもう今年で退職するからお前の会社で旅行に行って行ってするからな!営業もいっぱい知っている人に声をかけたるわ!本当によかった・・・」


父は,涙目で喜んだ。僕は今の会社で働くことは今まで心配をかけた父へのせめてもの恩返しと思った。それから約半年後,平成15年8月に退職,その翌月9月に母と二人で僕の手配でスイス・ドイツ8日間の旅行に行くことになった。それが父と母で二人きりの最期の旅行であった・・・

スイスの観光が終えたドイツの6日目で父の体に黄疸が現れ,緊急で帰国。病院で検査した結果,“ガン”であることが判明した。手術は成功。しかし同時に余命半年と告げられた。僕はこの日から父の代わりに四国八十八ヶ所巡りを車で一人,回った。(間,間で回ったので結局父が亡くなるまでにすべて回ることはできなかった)年も明けた3月にはは姉も帰って姉の子の孫も含めて祖谷温泉に家族旅行もした。これが本当に最後の家族旅行であった。

父が亡くなる前の特に印象的だった言葉(以下の2つ)

①「お父さんも四国八十八ヶ所を回りたかったなあ・・・退職もしたからこれからは田んぼも畑もいっぱい耕して米や野菜をたくさん作りたかったなあ・・・」決して余命を誰も告げていない・・・しかしこのような言葉が父から出たのだ。父はわかっていたのだろう・・・自分の余命が短いということを・・・

②「おい!おい!」父が亡くなる前日のことだった。まだ元気ではあったが突然が会社に出かけようとする僕を父が側に来るように招いた。

「頑張れよ!仕事頑張れよ!」

と強く手を握った。いつもの朝と違った。僕が行く頃は何もなく横になっているのだが・・・その日は,僕の手を握ってきたのだった・・・その日・・・僕が帰宅した時,父は昏睡状態に近い状態になりまともに話が出来なくなっていた。つまり,朝の父の握手が父の意識があるうちに僕にかけてくれた最後の言葉だった。







そして・・・




















平成16年6月21日,





























父は静かに息を引きとった。


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僕は“一つだけ”父へ悔いが残っている。それは父に“自分の花嫁を見せてあげられなかったこと”だった。父は僕が結婚できるのか,いいお嫁さんが本当にこの家に来てくれるのだろうか,と・・・決して僕の前ではそんなことは言わなかったが父が強くそう望んでいたことを僕は知っていた。僕はそれができなかった。父はずっとそのことは心残りのまま,この世を去っていった。結婚が決まったら妻と一緒に父の墓に報告を・・・しかし・・・死んでしまってからでは何をしても遅いというのが僕の強く揺るがない考えである。















【初めてのお父さん~息子へ】

2008年5月2日,こんな僕にも子供が生まれた。男の子で名前は“優誠(ゆうま)”と呼ぶ。僕は“誠”という字がすべての字の中で一番好きだった。“誠”というのは当時の“新撰組”の旗のシンボルであり,僕は“新撰組”が好きだった。かっこよかった。誠を尽くして最後まで幕府のために戦った新撰組・・・決して彼らを美化するわけではないが,“誠”という字には僕の中では“率直,誠実,尽くす,偽りのない,誠意,真っ直ぐ,ひたむき”などの意味が思い浮かばれる。そして“優”。“優”には優れている他にやさしいとも読む。“優しく誠の心を持った子に”という願い込めて優誠(ゆうま)という名前をつけた。名前は僕が考えた。


将来,この子らが就職活動する時は今とは比較にならないぐらいシステムも変わり,また就職も困難になっていると思う。自分探しを見つけるフリーターはますます増えてくるだろうと僕は思っている。そんな中,自分の道が見つからないときにこの旅行記を読んでもらいたいと思う。僕はスイス旅行に行ったことによって自分のやりたいと思う仕事を見つけた。この“自分のやりたい仕事を見つけた”というのは僕にとって本当に大きなことだった。僕が尊敬していた大学のゼミの教授はこう言っていた。

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「なぜ,今の若者にフリーターが多いと思う?なぜ“自分探し”が多いと思う?それは“今までの人生が経験不足ということ”だ。つまり,“世の中をそれだけ知らない”ということだ。世の中を知ればやりたいことはいくらでも見つかる。いろいろなことを経験すればその経験に基づいて人は価値観が生まれてくるのだ。だから,君たちも何でもいいから若いうちはいろいろなことを経験しなさい。失敗を恐れる必要はないのだよ」


もし,何か途方にくれたときはこの旅行記を読んでもらって自分の道が見つかればいいと思う。そして,僕は本当に父を尊敬していた。しかし,父について残っているものは写真しかない。父がどういう人物であったかということは写真だけではわからない。月日が立てば本当に人は忘れてくるものである。そこで僕はこのような旅行記を作った。この旅行記には僕の青春時代の思い,出来事を記録したつもりだ。

もし,僕も父のように若くして病気になり,そして若くしてこの世を去ることになれば“父はこういう人物であった”という自分の軌跡を子供に伝えたい。僕の結婚式に父の姿はなかった。僕はこのことで子供の結婚式だけは何があっても絶対に出席できるようにと思っている。孫を見たいとまでは望まない。しかし,父が僕の花嫁を見たかったように僕も子供の結婚式だけは絶対に出席できるように・・・それまでは絶対に健康でいないといけないな!







【スイスは僕にとって青春時代の終点駅であり,社会人時代の始発駅でした】


ここまで読んでいただいた読者の方に僕は心から感謝したい。この本には僕のスイス旅行のきっかけ,スイス旅行の内容,そして現在の旅行会社に入社したエピソードを主観的,独自な発想を述べてきた。そんな僕に付き合ってくれて本当にありがとうございます!途中で書くのをあきらめようかと思ったが(書くのに時間がかかりすぎてしんどくなったので)最初の“目標”を思い返してはパソコンの前に座った。

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遅いときは夜中の3時,4時まで,(気がついたらそんな時間が来ていたという感じ・・・)休みの日は朝起きてから,1日中パソコンの前に座っている日もあった。そんな中,僕の「旅行記を書きたい・・・書いていろいろな人に読んでもらいたい・・・スイスの素晴らしさを一人でも多くの方々に伝えたい・・・」というエネルギーがこの旅行記を完成させた。僕はこれからもこのような旅行記を書いていきたいと思っている。(自分が旅行会社で働いている・・・そして旅行会社の営業マンである僕という人間の性なんだろうな・・・)


「スイスは僕にとって青春時代の終点駅であり,社会人時代の始発駅でした」


僕はこうのように思っている。もし,僕がもう一度,スイス旅行に行くチャンスがあれば今度こそ,アルプス3大名峰を訪れたい。



“モンブラン”,“マッターホルン”,“ユングフラウ”・・・・・



ユングフラウは制覇したので“モンブラン”と“マッターホルン”に行きたい・・・。

そして,今回雨で全く見えなかった“リギ山”にもう一度訪れたい・・・(あとチーズ・フォンデも食べる!笑)最後に僕はこの旅行で買ったすべての絵葉書で最も気に入っている絵葉書を旅行記の最後に綴る。(憧れのスイスアルプス“リギ山”の写真。現在,会社の机に挟んで,仕事のバネにしている)

そんな日まで健康でいれますように・・・僕だけでなく,妻も息子も家族全員健康でいれますように・・・この願いは僕たち夫婦の共通の願いである。



 妻は僕にこう言ってくれたよ!






「あんたは絶対に康でいられるよ!








 だってお父さんが付けてくれているじゃん。










 “壱岐 健知斗” タケチトって。」
















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参考文献
・地球の歩き方 44 スイス 2001~2002年版(ダイヤモンド社・ダイヤモンドビッグ社)
・ワールドガイド ヨーロッパ⑧ スイス ‘00~01’(JTB)
・ヨーロッパアルプス・ハイキングガイド① グリンデルワルト 周辺を歩く(山と渓谷社 / 写真・著者 小川 清美)
・スイス個人旅行ガイド ほか スイス観光パンフレット(スイス政府観光局)
・スイス公式時刻表“鉄道・湖畔・ケーブルカー編サイクルツアースイスセンターより購入)


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Date:2010/06/17
Trackback:2
Comment:8
Thema:海外旅行
Janre:旅行

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このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010/07/04 【】  # 

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このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010/08/13 【】  # 

* Re: NoTitle

> お疲れ様ー
> 財前さんの所からきて一気に読みましたw
> 面白かったですよ
> これからもがんばってください

流様
メッセージありがとうございました!
旅行記、読んで頂いて嬉しいです!
これからもどうぞよろしくお願い致します。
壱岐タケチト
2010/08/14 【壱岐タケチト】 URL #- 

*

私は現在大学4年です。
就職活動をしているのですが、私にはこれといった夢をもったことがなく、ただ手当り次第に説明会や試験を受けて。。。
夢をもって頑張っている友人をみると羨ましくなります。
忙しい時期ではあるのですが、数日でも今までいったことのない所へ旅をしてみたくなりました。それをきっかけに何かが自分の中で変わるのではないか、自分にとっていい発見ができるのではないか。そう思いました。

今、このブログを見つけることができて、本当によかったです。これからの記事も楽しみにしています。頑張ってください!
2010/08/15 【ピアノ弾き】 URL #- 

* Re: タイトルなし

> 私は現在大学4年です。
> 就職活動をしているのですが、私にはこれといった夢をもったことがなく、ただ手当り次第に説明会や試験を受けて。。。
> 夢をもって頑張っている友人をみると羨ましくなります。
> 忙しい時期ではあるのですが、数日でも今までいったことのない所へ旅をしてみたくなりました。それをきっかけに何かが自分の中で変わるのではないか、自分にとっていい発見ができるのではないか。そう思いました。
>
> 今、このブログを見つけることができて、本当によかったです。これからの記事も楽しみにしています。頑張ってください!

ピアノ弾き様
就職活動、本当に大変だと思います。
本当にやりたいことを見つけるのに僕も時間がかかりました。
でも”何か行動を起こすこと”で
”何かは得られる”と思います。
それは旅する、映画を見る、本を読む、・・・何でもいいと思います。
夢を持っている人ということは”本当の自分を見つけた”と言ってもいいかもしれません・・・
たとえば旅先の花を見たり、おいしいものを食べたり、知らない誰かと出会って話することで
何かが変わるかもしれません・・・
旅に出て、何かを見つけれたらいいですね!
でも忙しい時期と言っていましたので無理をしないで・・・これからも頑張ってください!
何もできませんが、僕の旅行記でピアノ弾きさんが何かきっかけを見つけてくれたらなら・・・
こんなに嬉しいことはありません。頑張って旅行記を作ってよかった・・・そう思います。
メッセージありがとうございました!
頑張ってください!応援しています!ファイト!
壱岐タケチト








2010/08/15 【壱岐タケチト】 URL #- 

*

写真がとても素敵です!
ブログ頑張ってくださいね!
2010/10/12 【KUNGO】 URL #- 

* Re: タイトルなし

> 写真がとても素敵です!
> ブログ頑張ってくださいね!

KUNGO様
ありがとうございます。
写真は他より使用させて頂いているのもありますが
だいたいは僕の撮った写真です。
これからもまたお越し下さい!
壱岐タケチト
2010/10/12 【壱岐タケチト】 URL #- 

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2010/06/18 【財前ゴウの総回診2
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